第41話 客室露天風呂


「ふふっ、はい、あーん」




 結局は、燈子さんの探していたソフトクリームはなかった。

 それでも隣に座った彼女は嬉しそうに、チョコレートのソフトクリームをすくったスプーンを俺に向ける。


 何度目かのあーん。

 喋る間もなく続けられ、気づくと俺のは減っていないのに燈子さんのばかり少なくなっていく。




「俺はもういいですから、燈子さんも食べてください」


「ん、そう? じゃあ……」




 俺へと向き、少しだけ口を開く。




「……もしかして?」


「もしかして」




 今度は俺が、ということだろう。

 さすがにこれまで燈子さんに食べさせてもらったから、周りの目には慣れた。いや、慣れていいのかあれだけど。

 とにかく食べさせないと終わらなそうなので、俺は覚悟を決めて彼女の口元にスプーンを持っていく。


 パクッ。

 冷たそうにする燈子さん。




「美味しいですか?」


「うん、美味しい。ねえねえ、もう一口。あーん」




 おねだりする彼女の表情は子供のようだった。

 正真正銘のデートのようで、本来の目的が何だったのかも忘れてしまいそうになる。


 ──そしてその後も、この空気感は変わらなかった。


 目的地である旅館は街から離れていて、山々に囲まれた場所にある。

 何度かトンネルをくぐり、往来する車は減り、山奥へ進むと目的地である旅館が見えた。

 燈子さん曰く「有名な温泉旅館なのよ」とのこと。

 俺も事前に調べていると、燈子さんの言う通りかなり有名な旅館で、数か月前から予約しないと泊まれないぐらい人気なのだとか。


 車を停め、俺と燈子さんは仲居さんに案内され部屋へ。




「わあ、素敵な部屋ね……」


「凄いですね……」




 案内されるまで、どんな部屋に泊まるのかを知らされていなかった。

 燈子さんには「着いてからのお楽しみ」と言われていた。だから俺も、案内された部屋に入った瞬間、声が漏れた。




「恵くん、早く早く」




 荷物を置いて、燈子さんに手を引かれ部屋の奥へ。


 部屋自体はシンプルな和室だった。

 だが入ってすぐに目についたのは、豪華な客室露天風呂。

 それに八階と高い位置に部屋があるため、窓から眺めると緑生い茂る山々と壮大な滝が流れているのが見え、かなり絶景だった。




「……素敵ね」


「ええ、そうですね」




 つい、見入ってしまった。




「記念に、一緒に撮りましょう」




 そう言いながら、燈子さんは鞄の中から自撮り棒を取り出した。




「これ、どう使ったらいいのかしら?」




 買ったはいいが使い方がわからないらしい。

 彼女からスマホと自撮り棒を受け取り操作する。




「たぶんこれで大丈夫かと」


「さすが恵くん。で、どうすればいいの?」


「ははっ、持ち主なのに、なんでわからないんですか?」


「だって使ったことないんだもん。ほら、早く撮って」




 燈子さんは隣に立って笑顔を浮かべる。

 言われるがまま何枚か写真を撮ると、燈子さんは写真を見て嬉しそうにする。




「雑誌で見たけど、夜になるともっと綺麗な景色が見られるんだって」


「へえ、そうなんですか。あっ、そういえば通り道に灯籠みたいなのがありましたね。もしかして……?」


「ふふん、それは夜になってからのお楽しみ」




 どうやらこれも秘密らしい。

 まあ、時間が経てば見られるからいいか。




「もう13時か。そろそろお昼ご飯にしますか?」


「そうね。だけど想像していたより山奥で、近くにお店なかったわね」




 お昼からお酒を呑みたい。

 なんて来る途中は話していたけど、歩いて行けそうな距離に良さそうなお店はあまりなかった。




「じゃあ、こういうのはどうですか?」




 テーブルの上に置いてあった館内の案内を見る。

 旅館の中には温泉やゲームセンターの他に、室内プールやバーなんかもあった。

 もちろん食事ができるスペースもあって、館内を出て外のお店を行くよりもいいのかもしれない。




「へえ、お洒落なお店ね。雑誌にはあまり載ってなかったから盲点だったわ」


「たぶんその雑誌が発売されてから、色々と館内のお店も変わったんじゃないです?」


「……うう、せっかく予習してきたのに」




 悔しがる燈子さん。

 そんな彼女に、俺は手を差し出す。




「何も知らずに見て回るのも、楽しいんじゃないですか? 俺ばっかり秘密なのもあれですから」


「まあ、そうよね……。残念、全て先に知っておいて、お姉さんアピールしようと思ったのに」


「残念でした。じゃあ、行きましょうか」




 燈子さんは俺の手を握ると、自然に指を絡めて隣を歩く。

 立ち上がらせようとしただけのつもりだったけど、無理に離すのも……それにどこか安心感があって、心地いい。


 それから、一階から三階にあるお店スペースを見て回る。

 平日の昼間ということもあって家族連れは少ない。外国人の姿も見えるが、多くは恋人だったり夫婦で来ているお客さんばかりだった。

 きっと、俺たちも他人からはそう見えているのだろう。




「ねえ、恵くん見て見て。屋内プールだって」




 看板を見ながら燈子さんが手招きをする。

 お昼ご飯そっちのけで、彼女の意識は屋内プールに向いていた。




「へえ、意外としっかりしたプールですね」




 写真を見る限りでは、かなりしっかりしたプールだった。

 とはいえ、学生がわいわい騒いで遊ぶようなプールとかではなく、どちらかというと落ち着いた雰囲気の、お酒を呑みながら楽しむ大人のプールって感じがした。

 夜になればライトアップされる。これが噂に聞くナイトプールというやつか。




「恵くん、こういう雰囲気って苦手でしょ?」


「まあ、好きではないですね。燈子さんは?」


「元々、運動は苦手だから……。どちらかというとゆっくりできる温泉の方が好きかな。それにここの客室露天風呂だったら、二人っきりで入れるから」


「え?」




 変な声が出てしまった。




「もしかして、一緒に入ったり……」


「ふふん」


「……」


「とかいって、期待していたんじゃないの?」


「そ、そんなわけないじゃないですか」




 いや、少しは……。




「じゃあ、予言してあげる」




 燈子さんは繋いだ指に力を込め、体を俺に寄せる。




「恵くんは今日の夜、私と一緒に温泉に入ります。タオルも付けず、肌を寄せ合って」


「……」


「夜を楽しみに待ちましょうね、恵くん?」




 にっこりと微笑む燈子さんを見て、俺は強く否定できなかった。








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