第37話 魔性の彼女とダンスを




 燈子さんと一緒にマイクを購入しに行ったお店──CI音響スタジオで、前回の担当スタッフと会う約束したのは14時から。

 それまで俺は、黒鉄に昼飯を奢りながら今回の問題を報告した。




「……なるほどな」




 食事を終えた黒鉄がタバコに火を付ける。

 その表情には、どことなく真剣な雰囲気があった。




「話を聞いた限りでの感想としてだが……マイクを買った店でお前らに顔を合わせ、会話もして最後まで対応した奴が、そんなあからさまなストーカー行為なんてすると思うか?」


「……思わないな」


「しかも喫茶店だったか? そこで同じお店にいて、ましてや顔まで見られてるんだぞ? 犯罪行為をしているって自覚があったら普通はしないだろ」




 黒鉄の感想は至極まっとうなものだった。




「じゃあ、考えられる可能性としては……」


「まあ、その燈子さんが勘違いしてるのか、それとも嘘をついているかのどっちかだろうな」




 黒鉄の言った通り、もしもあの男性スタッフがストーカーと同一人物だったとすれば、わざわざあの喫茶店で、同じお店に入るのは不自然だ。

 本来なら顔を見られないように、お店の外で燈子さんが出てくるのを待つのが普通だろう。




「たぶんだけど、男性スタッフとストーカーが同一人物だった、というのが勘違いっていうのはあると思う。だけどストーカーという存在が勘違いだったってことは、燈子さんに限ってないだろう」


「だったら」




 言いたいこと、わかるよな?

 みたいな視線を向けられる。俺は目を背け、ソフトドリンクを飲む。


 明らかな解答をせずにいる俺に呆れてか、黒鉄が口を開く。




「俺はあのエロ狐しか、話したことのあるお前の元カノは知らない。が、まあ……その燈子さんとやらがどんな女かは知ってるつもりだ。お前が──神宮寺や神崎が同じ大学にいるのを知っていながら、燈子さんと一緒にいたいが為に大学に入ったというのに、入学と同時期に自主退学してお前の前から姿を消したって話を聞いて、”いい子”ではないのは、なんとなくわかってるつもりだ」




 黒鉄は、明らかに燈子さんを疑っていた。




「だけど……」


「だけど、じゃない。お前はただ、その女を信じたいだけだろ?」




 いつにもなく真剣な表情。

 



「そして信じたいのは、仕事のマネージャーだからとかじゃない。ただの男として、一度裏切られたくせに信じたいだけだ。……お前のそれは、ただの依存症のそれと同じだ」


「依存症って、別に俺は……」


「あのエロ狐がお前に向ける感情と同じだ。お前と燈子さんは、似た者同士なんだろうな」




 黒鉄は大きくため息をつく。

 別に怒っているわけじゃない。それでも声色にも言葉にも棘があるから、つい委縮してしまう。




「黒鉄の言う通り、俺は燈子さんを信じたいんだろうな……。ただそれは、恋愛感情があるからとかじゃなく、あの人は……」


「あの人は?」


「……寂しい人だから。俺しか頼れる人がいないから」




 俺は燈子さんの過去を知っている。

 そしてどんな人なのかも。それは良い意味でも悪い意味でもだ。




「……まあ、二人しか知らない何かがあるんだろ。それを聞く気はないが」




 黒鉄は腕を組み、少しだけ沈黙してから。




「俺が想像する人物像通りなら、既に仕掛けは発動され、お前は彼女ので踊らされてんだろう」


「かもな。だけど、本当に困っているかもしれない。見捨てるわけにはいかない」


「はあ……まあ、お前はそういう男だからな。単純で、馬鹿で、女にだらしないむっつり野郎」


「……お前に言われるのは、なんだかムカつくな」


「はっ、これぐらいの悪口は許せ。代わりにこっちでも調べてやっから」


「できるか?」




 そう問いかけると、黒鉄は鼻で笑い、席から立ち上がる。




「店に来た三人がどういう人物かわかれば、お前に教えてやる。代わりに燈子さんが何処へ出かけるかとかの情報を逐一俺に教えてくれ」


「黒鉄に、燈子さんの行動を……?」


「ああ、そうだ。その三人組はストーカーなんだろ? だったら彼女が出掛けたら、また現れるかもしれないだろ」


「そういうことか。了解だ」


「んじゃ、交渉成立っと。成功報酬はランチじゃなく回らない寿司を期待してるぜ。そんじゃ」




 と、黒鉄は手を振る。

 時間はまだ14時にはなっていない、お前はこの店でもう少し時間を潰せということだろう。




「あー、そうそう」




 先に店を出ようとした黒鉄が振り返る。




「このこと、あのエロ狐には秘密にしとけよ。発狂して何をしでかすかわからねえからな」




 そう言い残して去っていく。

 言われなくてもそのつもりだ。


 これは俺が解決しなくちゃいけないこと。

 メイに、余計な心配をさせるわけにはいかない。




















 ♦




















 CI音響スタジオに向かい、担当してくれた男性スタッフと会話した。


 ──結果、俺が喫茶店で見たスーツ姿の男性とは別人だった。

 相手の方も燈子さんのことをあまり詳しい感じではなく、仕事相手の一人ぐらいの知識しか持っていなかった。


 そして何より、俺と燈子さんが喫茶店にいた時間、その男性スタッフは仕事をしていた。それは他のスタッフからも聞いてわかった。


 だから燈子さんの話は間違っていた。




「あっ、おかえりなさい、アナタ♡」




 燈子さんは、家に帰ってくるなり俺を笑顔で出迎えてくれた。


 家に帰るのは怖いからと、少しの間ここで住まわせてほしいと頼まれたからだ。




「はい、スーツ。ハンガーに掛けておくね」


「あ、ありがとうございます」




 スーツを渡すと、匂いを嗅がれる。




「燈子さん!?」


「うん、臭い。タバコを吸う人と一緒だった?」


「それは」


「ちゃんと匂いとか気を付けないと。嫌いな人は嫌いだからね、こういう匂いって」




 そう言いながら、燈子さんはスーツに消臭剤を吹きかける。




「それでどうだったの、CI音響スタジオで担当してくれた人」


「……別人でした」


「あら、そう……私の勘違いだったのね。ごめんなさい、恵くん」


「いえ、気にしないでください」


「だったら尚更、困ったわね……」




 燈子さんはそう言いながら困り顔を浮かべた。




「私って月に三回ぐらい配信してるじゃない? 二つは自宅でも撮れるシチュエーションASMRで、もう一つは出掛けてLIVE配信で流すASMR」




 全員が全員というわけではないが、燈子さんの場合はよく遠くに出掛けて、そこでASMR配信をすることがある。

 要するに、実際の花火大会を見ながら、恋人感覚で楽しむASMR配信であったり、遊園地でデートしながらするASMR配信だったり。


 夜草燈火の隣で一緒に行事を楽しむ、をコンセプトにしたASMR配信は月に一度の恒例行事として絶大な人気を得ている。




「確かにこの状況で一人で出掛けるのは怖いですよね」


「そうなの。撮り貯めていたストックも無いし、どうしよっかな……って、考えていたんだけど」




 燈子さんは不意な笑みを浮かべ、

「会社に相談したらね、恵くんをボディーガードとして使っていいって言ってくれたの」

 二枚のチケットを俺に見せる。




「じゃじゃーん! 彼氏とイチャイチャ二泊三日の温泉旅行♡」


「ちょ、ちょっと待ってください! どうしてそんな──」


「だって恵くん、言ってくれたじゃない。困ったことがあったら言ってください! って」




 俺は黒鉄の言葉を思い出す。


 もしかしたら俺は、既に燈子さんの手の平の上で踊らされているのかもしれない、と。









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