第36話 どうなんだろ
「……燈子さん」
「ん?」
「ん、じゃありません!」
「いたっ!」
燈子さんの頭上にチョップをかます。
「えー、なんで叩くの……? 恵くんはいつから、DV夫になっちゃったの?」
「なってませんし、力入れてないじゃないですか。それよりどうしてあんなことになったのか、そもそもなんで住所まで知られるようなことになったのか説明してください」
すぐに燈子さんのペースに持っていかれるこんな俺でも、一応は彼女の仕事上のパートナーであるマネージャーだ。
ここで乗せられたら、話を聞けなくなってしまいそうだ。
「ざんねん。慰めてくれるかなって期待していたのに」
「残念でしたね。サンドイッチを食べながら話を聞かせてください」
「んー、説明といっても……私もたぶんそうかな、ってことしか知らないのよ」
俺の家に誰かが来ることなんてないから、お客様が座れるような二人分のイスもソファーもなく座布団しかない。
少し格好悪いが、俺たちは座布団に座りながらサンドイッチを手に取る。
「たぶんこれが原因かなっていうのは、一週間前、新しいマイクを買い替えに一緒に出掛けたの覚えている?」
「ええ、あのめちゃくちゃ高いマイクを買ったときですよね」
興奮気味の燈子さんからいきなり電話がきて、新しい機能の付いたマイクが発売されたから一緒に見に行ってほしいと頼まれた。
マイク一式で百万円以上して驚いたから覚えている。
ただ燈子さん曰く、普通の配信者とは違ってASMR配信で使うマイクはこれぐらいの値段がするのだとか……。
「そういえば、あのマイクを使ってこの前、配信してましたよね」
「ええそうなの。コメントとかでも「音が違う!」って大好評だったんだけど……」
「だけど?」
「購入する時、お店で対応してくれた人、覚えてる……?」
「対応してくれた人?」
思い出す。
確か二人でお店に行って、最初に声をかけたお姉さんが対応してくれたんだ。
女性同士ということもあって燈子さんと仲良く話をしていたのを覚えている。
それからASMR配信をしているという話題になって、試しにそのマイクを使って音声を録音させてもらって……。
「そういえば途中から担当が代わって……燈子さんが、せっかく同性の友達ができて嬉しかったのにってふてくされてましたよね」
「ふてくされたって、まあ、その通りだけど。……それでその代わった人、さっきお店にいたスーツを着た人に似てると思わない?」
思い出そうとするが、記憶にない……。
燈子さんの言っているのはお店の中で唯一スーツを着た男性のことだよな。
「もしかして、その人が……?」
「たぶんだけど。私の配信って全員が男性リスナーで、なにより声だけでエッチな気分にさせる配信じゃない?」
「……」
聞かれて、つい黙ってしまった。
妙な間が空いてから、はあ、と答える。
「他の配信者さんよりもこういう危険が起こりやすいって自覚はあったから、身バレしないようにって細心の注意を払ってきたの」
「だけど今回のことが起きた。今までってどうだったんですか? 身バレした経験って」
「ううん、一切なかったわ。だって顔出しもしていないし、SNSでも文章だけで写真とか載せていないから。身バレする可能性があるとすれば声だけど……」
「普段の燈子さんと夜草燈火さんの声って違いますもんね。普段はもう少し抜けた感じで──」
「──ん? なあに? 抜けた感じって、どういうことかな……恵くん?」
恐ろしいほどの笑顔を浮かべる燈子さんに見つめられた。
謝るけど、実際にそうなんだよ。
普段の燈子さんの雰囲気や声って、どこか抜けた天然な感じで、マイペースな喋り方で……さっきみたいにスイッチを入れた瞬間に、夜草燈火さんに変わるんだ。
「……まあいいけど。とにかく、声で気づかれることもないかなって。だから可能性としては、私が夜草燈火だって話をしたあのお店かなって。そもそも男性スタッフに代わるんだったら、夜草燈火だって名乗らなかったのに」
そういえばスタッフが女性から男性に代わったときに、女性スタッフさんが燈子さんのことを夜草燈火だって紹介していたな。
男性には警戒していたから、おそらく最初から男性スタッフだったら話していなかっただろう。
「確かにこれだけ聞くと、可能性があるとすればあのお店か……。燈子さんが夜草燈火だということも知っていて、保険とか購入後サポート関係で住所も記載したから」
「違うと思いたいんだけどね。お店に連絡しようかなって思ったのだけど、なんて言ったらいいのかわからなくて……」
お店に行って担当してくれた男性スタッフを見つけて「この人ストーカーです!」なんて言うわけにもいかないしな。
実際に男性スタッフとスーツ姿のストーカーが同一人物だったらあれだけど、もしも燈子さんの勘違いだったら最悪だ。
それに引っかかる。
お店で面識のあった男性スタッフが、わざわざ素顔を晒して燈子さんのことをストーカーするとは思えない。
そんなのお店に行って顔を見ればすぐにわかるんだから。
「とにかく状況はわかりました。ただ、もう少し早く相談してほしかったです」
「ごめんなさい。恵くん、例の件で色々と忙しかったみたいだから」
例の件というのは神宮寺の件だろう。
確かに忙しかったけど、それとこれとは別だ。
「自分の方で何かできないか考えてみます、このまま放置はできませんから。とりあえず明日お店に行って、喫茶店にいたスーツ姿の男性と同一人物か確かめてみます」
「ごめんね、面倒なことさせて」
しょんぼりとする燈子さん。
言い方が少し悪かったか、こんな表情をするのは珍しい。
俺は慌てて言い方を変える。
「いや、怒ってるとかではないですから!」
「ほんと……?」
「俺は燈子さんのマネージャーなんですから、困ったことがあったらなんでも言ってください!」
「なんでも……?」
「はい、なんで──」
嫌な予感がした。
俺は恐る恐るといった感じで燈子さんの表情を見る。
「恵くんって、相変わらず優しいのね。ありがとう。それで早速、相談があるのだけど……♡」
燈子さんは、不敵に笑った。
♦
──次の日。
俺はあの男と待ち合わせをしていた。
「よお、問題児!」
時間は昼前。
なぜ昼過ぎではなく昼前なのかというと、依頼料としてあいつに昼飯を奢る約束をしているからだった。
「酷い挨拶だな、黒鉄」
「問題ばかり引き寄せる奴に問題児って呼んで何が悪いんだ?」
「俺が問題を起こしてるわけじゃないんだが……」
「一緒だろ、何もしなくても問題を抱えた女が寄ってくるんだから。んで、今度はどんな面白そうな問題を解決したいんだ?」
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