第35話 逃走劇


 俺はすぐにメッセージを返した。




『今どこにいるんですか!?』




 普段からそこまでメッセージをしてくるタイプではない燈子さん。

 何かあればいつも電話なので、おそらく、声を出せない状況なのだろう。悪ふざけではないはずだ。


 そして、連絡してからすぐに返事が届く。


 文章はなく、位置情報が送られてきた。


 メイの家を出て、位置情報の下へ急いで向かった。

 幸いなことに、すぐ近くでタクシーを拾えた。交通状況も悪くない。十分もかからず到着した。




「……燈子さん」




 喫茶店の窓から燈子さんの姿が見えた。


 茶色の巻き髪を縛り、左肩から垂らした女性。

 色白の艶やかな肌に豊満な胸元。手に持った本に向ける細い吊り目は、少しだけ性格がきつそうな印象を受ける。

 だが、俺の存在に気づいた彼女がこちらに手を振ると、その印象は消え妖艶に変わる。

 ぽってりとした厚い唇と、その左下にあるほくろ。大人の色気を纏ったような女性の笑顔を見て、ドキッとしてしまう男は俺だけではないだろう。


 俺は手を振り返さず、燈子さんの下へ向かう。




「燈子さん……」

「来てくれて良かったわ」




 何かの小説だろう。

 手に持っていた本を閉じてテーブルに置くと、彼女にメニュー表を渡される。




「はい、メニュー表」

「メニュー表って……メッセージの件は──」




 燈子さんの雰囲気も、現場の状況も普通。噓を付かれたのか、そう思った俺の言葉を止める。


 口元の前で人差し指を立てた燈子さん。




「ここのメニューはどれもオススメよ。マネージャーさん?」




 マネージャーさん、と強調して言われた。

 役職で呼ばれたのは初めてな気がした、いつもは恵くん呼びだから。


 何か理由があるのだろう。

 まあいい、とりあえずメニュー表を見てみよう。




「へえ、美味しそうですね」

「そうなのよ。ただ、テイクアウトがオススメよ。これから仕事でしょ?」




 彼女はスマホを操作しながら、そんなことを言う。

 疑問に思ったことを口に出そうか迷っていると、俺のスマホが音を鳴らす。




『私の右後ろの席にいる男集団に、ずっと後を付けられているの』




 燈子さんからのメッセージだった。

 俺は顔色を変えず、言われた方に一瞬だけ視線を向ける。


 人数は三人。

 年齢はバラバラで、二十代前半から四十代前半まで。

 どこにでもいるようなスーツ姿のサラリーマンが一人いるが、他の二人は少し言い方が悪いが不潔な印象を受ける。

 適当に伸ばされた髭に、寝癖の付いた髪。服装は慌てて出てきたかのようなスウェットにサンダル。


 俺は燈子さんに『彼らはストーカーですか?』とメッセージを送ると、すぐに『たぶん』と返ってきた。


 なるほど。

 このお店に来たのは彼らに何かされても、すぐに店員や他のお客さんに助けを求められるようにか。

 テイクアウトを勧めたのも、すぐにでもここから逃げ出したいということか。




「そうですね、これからすぐ仕事に戻らないといけないのでテイクアウトにします。……あなたはどうしますか?」




 俺のことをマネージャーと呼んだのは、きっと仕事の関係者だと彼らに思わせたいからなのだろう。

 どういう事情があるのかはまだ不明だが……本名の加賀燈子さんで呼んでいいのかわからず、あなたはどうしますか、と聞いた。




「私も夜ご飯用に貰おうかしら」




 どうやら燈子さんに俺の考えが通じたようだ。


 俺たちは店員さんを呼び、注文と同時に会計を済ます。

 それから商品が届くまでは当たり障りのない会話をしつつ、タクシーを店先に呼ぶ。




「お待たせしました」




 店員さんが商品を届けてくれるのと、タクシーが店先に到着するのは同時だった。




「さて、移動しますか」

「ええ、そうね」




 俺たちは急いで店の外へ。


 予想通りというべきか、三人組も店を出る準備を始めた。

 少しだけ時間を空けてから追いかけてくるつもりなのだろう、俺たちが立ち上がっても一緒に出ようとする感じはない。

 だが俺たちが店を出てすぐにタクシーへ乗るのを見て慌て始める。




「ふふっ、面白い光景ね」




 タクシーに乗りながら、燈子さんは彼らの慌てふためく光景を見て楽しそうに笑い出す。




「とりあえずこれで連中は撒けると思いますが……向かう先は燈子さんの自宅で大丈夫ですか?」

「えっと、自宅はちょっと……」

「え、ちょっと、まさか自宅を知られているんですか?」




 慌てて聞くと、燈子さんは笑みを浮かべながら頷く。




「どうしよっか。家に帰って、もしあの三人に押しかけられたら……」

「……」

「今日、どこに泊まろう。一人だと不安で寝られそうにないし、泊まる場所も……野宿?」

「なんでそうなるんですか!?」




 野宿って選択肢はないでしょ。

 ホテルとか、ホテルとか……ホテルとか。




「ホテルしか、ないかな……。でも、一人は怖いのよね」




 燈子さんに上目遣いで見つめられたまま手を握られる。

 タクシーの運転手からはルームミラー越しに「てめえ男だろ? だったら彼女に言わせんなよ」みたいな言葉を含んだ睨みをきかされる。


 俺は大きくため息をつき、目的地を運転手さんに告げた。


















 ♦
















「恵くんのお家って何もないのね」




 ホテルに連れ込むよりは、俺の家の方がたぶんマシだろう。いや、ほんと、マシなレベルだけど。


 そして燈子さんは家に入るなり、殺風景な俺の部屋を見て子供のようなわくわくした表情を浮かべる。




「とりあえず部屋に呼びましたが、狭いので、ホテルの方がオススメです」

「え、ラブホテル? 恵くんがそっちの方がいいって言うなら、私もそれでいいよ」

「いや、ラブホじゃなく! ……というより俺は行きませんから」

「ふぅん」




 燈子さんは俺のことをジッと見つめ、にじり寄ってくる。




「もし私がラブホに行くって選択したら、きっと恵くんは、付いて来てくれると思うなあ」

「な、なんで、ですか……?」

「恵くんは優しいから。私を一人にしないかなって。それに興味あるでしょ? ラブホに入ってから何するのか」




 身体を密着され、視線を奪われる。

 



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