第29話 元カノたちの宣戦布告
神宮寺が逮捕された日の夜、メイは恵に用事があると伝え出掛けた。
今まで一人で出掛けることはあったが、メイの顔に感情が出ていたのだろう、黒鉄からは疑いの眼差しを向けられた。
だが、恵はただ「いってらっしゃい」と言ってくれた。
おそらく、行く場所を知っていて、あえて何も言わなかったのだろう。
それは優しさか、はたまたズルい逃げなのか、それはメイにはわからない。
「家に来て早々、敵意を向けられるのは悲しいわね。とりあえず上がってもらえる? ご近所さんに迷惑だから」
加賀燈子はそう言って、自宅のリビングへと向かった。
メイがここへ来てから数分、燈子は家に上げるつもりはなかった。
今まで二人が話したことはない。そんな知らない人がいきなり訪れても、普通は中には招かないだろうから、当然といえば当然か。
お互いに彼の”元カノ”ってことしか知らないのだから。
だが本題を告げると、燈子はメイに冷たい視線を向け家へ招いてくれた。
「……コーヒーでいい? それともミルク?」
「結構です」
「あら残念。私が淹れるコーヒー、彼も美味しいって言ってくれたのに」
「そうですか。ここへ来る前、彼と一緒にカフェに行ってきたので」
「ふうん、あっそ」
笑顔で、ただ声は明るくない。
メイは出されたイスに座ると、対面のソファー燈子は座る。
「結論から言うと、神宮寺くんにあなたのことを話したのは私よ」
「……隠さないんですね」
「あなたに隠しても意味ないもの。それにここへわざわざ来たってことは、確信があって来たのでしょ?」
コーヒーカップに口を付けながら、燈子はメイを見つめる。
「だけど心外ね。私じゃなくまどかちゃんとか、彼の周りにいた工藤くんとか新海くんとかを疑ってほしかったのだけど」
「周りの人たちとメイは関わりありませんから。それに、あなたが元々、神宮寺先輩のグループにいたのも知ってますから」
「グループって、別に仲良かったわけじゃないわよ? ただ大学時代、連中が一方的に絡んできただけ」
「ええ、知ってます。あの場にいたことも」
そう言った瞬間、燈子の切れ長な目がメイを見る。
だがすぐに、誰もが良い印象を感じるであろう笑顔を作った。
「それも彼から聞いたの?」
「いいえ、先輩ではないです」
「ふうん」
「……どうして、メイの情報を話したんですか? 先輩をまた苦しめることになるって、そう思わなかったんですか?」
神宮寺の話題は、恵にとって辛い過去を思い出す引き金となる。それはおそらく、燈子だって知っていたはずだ。
もしも裏で情報を流していたのが燈子だとわかれば、彼から嫌われるのではないか、という思考に至るはずだが。
「苦しんだら、慰めたらいいじゃない」
「え……?」
迷うことなく、燈子は言った。
「苦しんだらまた私が慰めてあげたらいい。ただそれだけ。それに、あなたが彼に頼らなければそうする予定だったのよ」
「どういう意味ですか?」
「そもそも神宮寺くんにあなたのことを話したときにはもう、私は彼がGG株式会社に入社することを知っていたの。ただ新人の彼が複数人を担当はせず、”手のかからない配信者”を一人担当して、他は私たちの元担当していた加藤さんの側で学ぶ、という予定だったそうよ」
だが、マルモロの一件によって加藤は担当の立場を下ろされた。
「だけど、加藤さんが担当していたあなたは、男嫌いとしてマネージャーたちの中で有名だった。あなただけは、彼が加藤さんの側で学ぶことはなく、誰かが口にしなければあなたの存在を知ることも、関わることもなかったでしょうね」
「……加藤さんが担当から降りて、次に空いている担当の名簿一覧をメイが見せてもらわなかったら、所属するマネージャーに興味がないメイは先輩のことを知ることはなかったですね」
「そうしてあなたが知らないところで、私と恵くんは再会して──私と一緒に、神宮寺くんに狙われたあなたを救う、という予定だったの」
彼女はまるで、前もって作ってきた台本を読むように言葉を続けた。
「彼にこう言うの。あなたの後輩のメイちゃんが大変だって。一緒に助けてあげましょう、ってね……。そして元は善人だった彼は迷うことなく助けるでしょう──陰から、ね」
「……」
「彼はあなたと関わるのを避けていた。助けたいと思っていても、彼があなたの前に姿を現すことはしなかったでしょう」
「なんで、そう言い切れるんですか」
「当然じゃない」
燈子は、自分の頬に手を当てて嬉しそうに笑った。
「彼は私そのものだもの」
「……え?」
「正確に言うなら、彼と付き合っていた頃の私。どっぷりと相手を自分に依存させる性格」
高校生であったメイの耳にも、学生時代の加賀燈子の名前は有名だった。
それは大学を途中で辞めた色気のあるいい女、という他に、何を考えているかわからない魔性の女として。
そして実際に初めて会ってみて、普通とは違うという印象を持った。
「私はね、彼と出会って初めて、自分の本当の姿を知ったの。好きな人を自分に依存させて、好きな人を独占して、自分がいないと生きていけなくなるぐらいイジメるのがたまらなく大好きなんだって♡」
「……くる──」
「──狂ってる? ご主人様に忠実なメス狐のあなたに言われたくないわね」
はっきりとした燈子の言葉に、メイは何も言葉が返せなかった。
「……脱線しちゃったわね。それで恵くんと一緒にあなたのことを救って、関係をやり直すつもりだった。だけど私の予定が狂ったのは、彼が入社したその日。まさか新人に複数人を担当させるとは思わなかったわ」
「それで、メイと先輩は再会した」
「ええ、そう。あなたが直接、彼に相談したことで私の描く予定は台無しになって、結果、私の知らないところで物語は完結してしまった」
はあ、とため息をつく燈子。
「今回は残念な結果になってしまったけど、仕方ないわ。私の考えが甘かったのだから」
「じゃあ、先輩のことはもう──」
「これからはもっと頑張らないと。彼をまた、私に依存させる……女狐がちょっかい出せないように」
燈子はきっと、変わり者なのだろう。
歪んだ恋愛の考えを持っているが、それをメイは否定できない。
自分自身もそうであり、人間なんて、みんなそんなものなのだから。
それを表に出すか隠し続けるかの違いであり、彼女は隠すことなく表に出して生きているのだろう。
「であれば、メイも頑張りますね。先輩を悪女に狂わされないように」
「ええ、お互いに。……それじゃあ、勝負をしましょうか」
「勝負?」
「どちらが先に彼と結ばれるか。もちろん、すぐに帰って彼に告白してもいいけど……あなたはしないでしょうね」
「……じゃあ、あなたはするんですか?」
「いいえ、しないわ。彼にそう言えば、きっと逃げちゃうでしょうから」
それについては同感だ。
橘恵は善人と悪人の狭間で行き来して、悩み苦しんでいるような人間だとメイは思う。
時に優しい一面を見せたり、時に誠実な姿を見せたりと善人としての行動をしたと思えば。
欲望に忠実になったり、感情を消して誰かを貶めたりといった悪人の行動をとる。
おそらくは彼のこれまでの人生で、ぐちゃぐちゃに歪んでしまったのだろう。
そんな彼に二人が告白しても、今の彼は頷かない。
メイについては「自分とこれ以上は関わらせてはいけない」と身を引き、燈子には「この人とこれ以上関わったら自分も相手も駄目になる」と考えて。
それは一見すると善人としての行動からくるものだが、二人から離れず関係を切らない部分は、欲望に忠実な悪人としての部分がそうさせているのだろう。
そんなぐちゃぐちゃな感情の恵の側にいるには──適度な距離感を保ち、善悪どちらも刺激せずにするしかない。
それをメイは理解しており、燈子も理解している。
だからどちらも「付き合う」という言葉を口にしない。
「だけど結ばれる方法ならある。……あなたなら、わかるでしょ?」
「……もし、メイが先に結ばれたら、先輩のことは諦めてくれますか?」
「ええ、諦めるわ。だけどもし先に私が結ばれたら……」
燈子はお腹を撫でながら、にこりと微笑む。
その幸せそうな表情を見て、そうなってしまったあるはずない未来を想像して、メイは怒りから拳をギュッと強く握る。
「帰ります」
「はい、どうぞ。あと、そうそう。彼の前ではお互い仲良くしましょうね? 彼を困らせたくないでしょ?」
「わかりました。先輩の前であなたと会うことはないと願いたいですが」
「ふふ」
メイは玄関へと向かう。
燈子と関わることも、顔を見ることも、これから先ずっとなければいいのにと願いながら。
そして玄関で靴を履きながら、メイは最後に彼女に聞いた。
「他の男性を好きになろうとは、思わなかったんですか?」
彼女ほどの美貌を持っていれば多くの男性が寄ってくるだろう、だがなぜ、燈子は恵に固執するのか。
率直な疑問だった。
そして燈子は、少し言うか迷ってから。
「……あなただって同じでしょ、普通の人じゃあ合わないって」
「……」
「自分の恋愛感情は歪んでいる。だけど変えられないし、隠せない。この感情を押し殺し、上辺だけ楽しそうに男性と付き合っていても、いつかは苦しくてダメになる。だけど本当の自分の姿を見せても”普通”の人は受け入れてくれない。そんな自分を受け入れてくれる人間なんて……」
そこまで言って、燈子は話すのを止めた。
きっとこれは彼女の本音なのだろう。
元々は彼女も、大勢と同じで他人に合わせて生きてきたのだろう。
ダメなことはダメ、みんながこう言っているからこうしないといけない。そうした人に合わせる生き物である人間、いや日本人らしく。
だが恵と出会い、本当の自分を知った。
歪んだ自分を。そうなってからは、きっと戻れなくなってしまったのだろう。周りに合わせる生き方を。
そしてそれは、メイ自身も同じ考えを持っている。
「それでは、さようなら」
「ええ、さようなら」
メイは彼女に何も言わず家を出た。
ただはっきりと、あなたには負けないという意志を込めて睨み、彼女も応えるように睨み返した。
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