第14話 甘く淫らな香り


「これか……」




 動画の最後に行った重大発表に、多くの視聴者は興味津々だ。

 そして同時に、コメント欄でその相手が誰なのかを当てる流れになっていった。




「今朝、神宮寺先輩からSNSのダイレクトメッセージが届いたんです。『これは最後通告だ。一週間以内に俺の女にならなかったら、お前と橘恵の過去を暴露する。俺は全て知っているからな』って」


「なるほど。それで本気だとアピールする為に、こうして告知の動画を投稿したと」




 俺は弧夏こなつカナコが奈子メイだと知っていて、お前らの過去も知っていて、何よりそれを世界中に暴露する力を持っている。


 そう、アピールしているのが伝わってくる。


 俺の女にならないと、か……。

 AVやエロ漫画の見すぎじゃないか、と思えるセリフ。

 たぶんだけど女になれというよりも「セックスさせろ」という意味合いの方が正しそうな気もする。




「手を打つなら一週間以内か。じゃないと、配信か動画で投稿されてからだったら対処するのは難しい」


「そうですよね。すみません、先輩。迷惑かけて……」




 自分のせいで過去を掘り起こされ、迷惑をかけたと思って落ち込んでいるのだろう。

 俺は彼女の頭を撫でる。




「謝ることなんて何もないだろ。あれは俺とメイの過去。それに巻き込んだのは俺の方だ。何があっても、メイのことは俺が守るから安心してくれ」


「先輩……」




 メイの身体が、ゆっくりと俺へと近付いて来る。


 だが、

 ──ピコンッ!


 と、俺のスマホが音を鳴らす。




「仕事の連絡か」


「もう、あとちょっとだったのに……」




 メイから離れてスマホを見ると、メッセージが届いていた。


 内容を確認すると、




「ん、燈子さん……?」




 送られてきた相手の名前を確認すると、差出人は燈子さんだった。

 内容は『ごめんなさい、どうしても会って相談したいことがあるの』というもの。

 元から絵文字とか顔文字を使わないタイプだから、文面がどことなく深刻そうで、何か問題があったのかと不安になってしまった。




「ごめん、ちょっと急用ができて出ないと」


「えー、残念。でも、ですもんね?」


「ああ、俺が担当してる方が、なんか相談したいことがあるって」


「そうなんですね」




 メイはがっかりしながらソファーから立ち上がると、俺と話しながら何かを取りに寝室へと向かった。


 燈子さんに『今から向かいます』と連絡を入れる。

 ハンガーにかけていた上着を取って玄関に向かおうとした瞬間──。




「夜の配信は確認するから──んっ!?」




 壁へと押され、メイにキスをされた。

 背中へと腕を回され、強引に舌を絡ませるディープキスに、心地よさから目を閉じた。


 だがふと、さっきまでのメイとは違うあることに気づいた。




「……仕方ないから、今日はこれで許してあげます。いってらっしゃい、先輩♡」


「あ、ああ、いってきます……」




 違和感に気づきながらも、それを彼女に告げることができなかった。


 そして玄関を出て、外の風を感じると、その違和感はどこかへと吹いて消えていったように思った。












 ♦














「ごめんなさい、急に呼び出したりして」




 メイの家から真っ直ぐ燈子さんの自宅マンションへやってきた。

 玄関先で出迎えてくれた燈子さんの恰好は部屋着などではなく、今からパーティーに行くのかと思えるほど高級感のある上品な格好だった。




「いえ、気にしないでください」


「そう言ってもらえて良かったわ。コーヒーを淹れるから、リビングで待っていてちょうだい」




 玄関で靴を脱いで中へ。

 すると、「上着、ハンガーにかけておくわね」と燈子さんに言われ、俺は彼女に上着を渡してリビングへと向かった。


 なんだろう、メイの家は実家のような安心感があった。それに対して燈子さんの家は、ソファーに座っているだけでなぜか緊張する。




「上品な高級レストランに普段着で行ったみたいな場違い感が、いや、それは言い過ぎか……」

 



 そんなことを言っていると、キッチンに燈子さんの姿が見えないのが気になった。


 コーヒーを淹れるって言ってから少し時間が経った。

 前に家へ来たときは俺の座る位置から、コーヒーを準備する燈子さんの姿が見えたんだけど。




「ん、どうかした?」




 気になって立ち上がると、リビングにやってきた燈子さん。




「あれ、コーヒーを淹れてくるって」


「あら、そうだったわね。ごめんなさい、上着をハンガーにかけることに満足して忘れちゃったわ」


「珍しいですね、燈子さんが忘れるって」


「もう、私だって忘れることぐらいあるわよ。ちょっと待っててね、今から淹れるから」




 うっかり何かを忘れた燈子さんは、付き合っていたときにもあまり見たことがなく、どこか珍しく感じる。


 それから仕事の話──をしたんだけど、燈子さんのというよりも主に俺がこの仕事に慣れたかどうかの話ばかりだった。




「そういえば、何か相談があったって」




 ふと、ここへ来る目的を思い出して聞いてみた。




「そうだったわ。ダメね、私……恵くんとのお話が楽しくて忘れるところだったわ」




 手を合わせ、にこりと笑ってそんなことを言われて、一瞬だがドキッとしてしまった。




「恵くんに、お仕事の手伝いをしてもらいたいの」


「仕事のですか? ええ、もちろんいいですよ」


「そう、良かった……。じゃあこっちの仕事部屋に来てもらっていい?」




 そういえば、ASMRの音声を撮るときに使う部屋に入ったことはまだなかったな。


 俺は燈子さんに付いて行く。

 カーテンは閉めきっていて、真っ暗な部屋。

 燈子さんに続いて中へ入ると、パチッ、と電気が付けられる。




「え……?」




 彩奈の配信部屋はそこまで広くない防音室で、メイの配信部屋は寝室と一帯になっている。

 どちらも簡単に想像できる部屋だった。だが、この部屋はどこか異質な感じがした。


 ──ガチャ。


 部屋の雰囲気に圧倒されていると、扉のカギが燈子さんの手によって閉められた。




「燈子さん……?」


「どうしたの? そんな母親を探す子犬みたいなかわいい顔して。少し変わった部屋だけど、ただ仕事の手伝いをしてほしいだけよ?」


「えっと、ここで俺ができる手伝いはない気が……」


「ううん、恵くんにしかできない仕事があるの。実は今ね、新しいシチュエーションのASMRを撮ろうと悩んでいたのだけど、いいのが思いつかなくて。……だけど、いいのが思いついたの」




 香水とも芳香剤とも違った、甘ったるい匂いを発する煙。

 おそらくいい匂いがするタイプのお香だろう。その匂いに部屋中が包み込まれる。




「どんな、シチュエーションなんですか?」




 喋っていないと、何かに飲み込まれるような感覚があった。だけどすぐに、その質問は悪手だと理解した。




「えっとね……大事に大事に成長を見守っていた隣の子を、よくわからない女に取られて、それを取り返そうと、彼女では味わえないような快楽を彼に味合わせて逆に寝取る、ってシチュエーション。うちの視聴者さん、こういうの大好きなのよ──恵くんと一緒で、ねえ?」


「──ッ!?」




 不意に後ろから抱きしめられた。

 言いたいことは山ほどあった。それなのに、体が動かない。




「燈子さん、待って……仕事の相談って」


「ええ、これも仕事よ。新しいASMRを実際に体験して、興奮するかどうか教えてほしいの。それとも……二人三脚で頑張っていくって言ってくれたあの言葉は、嘘だったのかしら?」


「嘘では──」


「──じゃあ、抵抗したらダメよ? 目を閉じて、全て忘れて……大丈夫、あの時よりも気持ちよくしてあげるから」




 全身が、まるで自分のものではなくなってしまったかのように力無く、燈子さんに促されるまま動いていく。

 椅子に座らされ、目隠しで視界を奪われ、燈子さんの耳元で囁く声と部屋を包み込む甘ったるい匂いが思考を奪う。




「安心して。ちゃんとには返してあげるから……」


「え……?」




 なんで19時?

 そう思って声を漏らすと、燈子さんは俺の耳元で囁いた。




「恵くんから……大嫌いな匂いがするの」


「匂い、ですか……?」


「そう。私の大嫌いな──女狐の匂いがね……?」








 ♦









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