第10話 女狐
全身に付いた汗や体液なんかを流すため、シャワーを浴びていた。
「本当に凄いな……」
高層マンションという外観だけでなく、部屋も風呂場も、何もかもが豪華な作りになっている。まるで高級ホテルの一室のようだった。
「先輩、着替えここに置いておきますね」
脱衣所から声をかけられる。
返事をする間もなく人の気配がなくなる。風呂場を出ると、俺が来ていたYシャツやズボンは消え、代わりにパジャマが置かれていた。
男物のパジャマ。
着てみると、サイズは俺にピッタリだった。
どうして男物のパジャマを持っているのか、もしかして……?
という疑問は抱かなかった。
俺を不安にさせないように、着やすいようにタグは取っても、わざわざ未使用だとわかるよう袋に入ったまま置かれていた。
俺の過去を知っているメイの配慮なのだろう。
付き合っていたときから変わらない徹底っぷりに、懐かしい気分だ。
『相変わらず完璧なまでの献身的な態度に俺への依存だな。俺と別れてから別の男はできてませんって、言葉に出さず何度もアピールしてくる』
「それが本当かどうか、わからないけどな……」
『おいおい、それ本気で言っているのか? あの女が別の男に心変わりするわけないって、そうさせたお前が一番理解してんだろ?』
「ああ、わかってる。わかってるさ」
だけど、信じていた相手に裏切られたら、それから簡単に人を信じられなくなるんだ。
信じるのが怖くなるんだ。
『だからこそ、こうしてあの女は何度も無言でアピールするんだろうな。──自分はあなたを裏切らない、絶対に離れない、ってな』
「そして同時にこうも言っている。──だけど他の女は平気で裏切る。あなたに相応しいのは自分だけだ、って」
そこまで計算して行動している可能性はある。メイは頭が切れるタイプだから。
「あっ、やっと出てきた。先輩、今日はメイの
着替えを終えると、メイはキッチンに立っていた。
料理を作っている最中なのだろう。換気扇の音と食欲をそそるいい匂いがする。
「今日は配信しない日なのか?」
「はい、おやすみなので安心してください」
メイはにこっと笑う。
そんな彼女に俺は頷き、ソファーに座る。
「それとスーツ、アイロン掛けておきましたので」
ハンガーにかけられたスーツにしわは一切なく、メイがアイロン掛けしてくれたのは見てすぐにわかった。
そして、アイロン掛けをするときに邪魔だったのだろう、ポケットに入れていた俺の”スマホ”が、テーブルの上に置かれている。
俺は手に取り、調べ物を始めた。
配信サイトの検索欄で”こ”と一文字を入力すると、予測変換の一番上にメイのチャンネルである”
チャンネル登録者数は300万を超えている。さすがの人気だ。
そんな彼女のチャンネルにある自己紹介動画を開くと、動画が始まった。
『みんな、コンコン!
声は確かにメイ本人だったが、普段の声よりも少し幼い感じに喋っているようだった。
それからも自己紹介動画を見続ける。
どうやら、この
女狐か、かなり露骨な設定だ。
ただコメントの反応とかを見ると、
見た目と設定年齢は6才の幼女──だが、配信する時間帯や内容によっては、妖艶な大人の女狐のイラストに変えるそうだ。
雰囲気は似ているが全くの別人のように感じる。
それと最も驚いたのは、弧夏カナコの声を聞き比べてみると幼女と大人の姿で受ける印象や雰囲気が全く違うことだった。
幼女の見た目をした弧夏カナコはかわいらしい下っ足らずな喋り方だが、大人に化けた弧夏カナコは聞きやすく色っぽい声だ。
そこまで彼女に詳しくない者であれば、それぞれ別の人物が演じていると勘違いしてもおかしくないだろう。
「ご飯できたよ……って、ああっ、メイのチャンネル見てる」
出来上がった料理を運んできてくれたメイが、スマホの画面をのぞき込む。
「しかもそれデビュー当時のだから……1年前? だったかな」
ということは、18才のとき──俺と別れてすぐ、この活動を始めたのか。
「幼女と大人の弧夏カナコってキャラクターにしたのって、メイの考えなのか?」
「そうですよ。一度で二度おいしいみたいな感じで、見てくれてる人も毎日が新鮮で楽しんでくれるかなって」
「人気が出たのも頷けるな」
「くすくす、良かったです。ところで、先輩はどっちのカナコが好きですか?」
メイに聞かれ、少し考える。
「どっちも違った魅力があって好きだけど……個人的には大人版かな。ああいう感じのメイって初めてだから」
「もう、聞いてるのはメイじゃなくてカナコなんですけど?」
「あはは、ごめんごめん。ただどうしても、声を聞いているとメイの顔が浮かんでさ」
「それはそれで、嬉しいような、んー。言われてみれば、先輩の前だといっつも責められてばっかだから、こういうSっぽい感じの喋り方しないですもんね。ふむふむ、なるほどなるほど……」
メイが膝の上に座り、深呼吸する。
俺の頬に手を当て、彼女はいつもと違った笑みを浮かべる。
「いつも責められてばかりだから、今度はわたくしが、あなたを責めてあげようかね?」
一瞬にして声色だけではなく表情の雰囲気まで変わった。
おそらく役を演じているのだろう。さっきまでスマホで流れていた声が目の前から聞こえる。
たしかにいつもと違った大人の色気をまとったメイは、新鮮で違った興奮を得られる。
「メイに責められるのも悪くないね」
「ふふっ、じゃあ今から──」
「──だけど」
俺はメイの頭を撫でる。
「せっかく作ってくれた料理が冷めちゃうから、後でな」
そう伝えると、憑き物が祓われたように元のメイに戻った。
「もう、せっかく気分が乗ってたのに!」
「残念だったね」
「ふんっ! いいですよいいですよーっだ! その代わり後で覚えておいてくださいね。勃たなくなるまで搾り取ってみせますから!」
子供のように笑うメイ。
彼女から箸を受け取ると、俺たちは食事を始めた。
♦
夜ご飯を食べ終わって少しのんびりしてから、俺は昼間、彼女が話していたことを聞いた。
「神宮寺には、いつから脅されてるんだ?」
「一か月ぐらい前からです。急にSNSのメッセージで連絡してきたんです。その時は「もしかして奈子メイ?」みたいに半信半疑な感じで、たぶんメイが弧夏カナコだって確証を持てなかったからだと思います。だから今まで無視していたんですけど……。数日前からどうしてかわからないんですけど、メイだって確信を持ったみたいで」
「声でわかったとか……?」
「そうなのかなって疑問に思っても、配信の声を聞いただけで確信を持てるとは思えないんです」
全く声が違う、というわけではないが、普段のメイの声や幼女の姿や大人の姿といったそれぞれ声が違うから、もしかしてと思っても確信するのは不可能に近いはずだ。
「当てずっぽうで、という可能性は?」
「それもないと思います。当てずっぽうで弧夏カナコを探るようなこと、今のそこそこ知名度を持っているあの人にはできないと思います」
「知名度を持っている……?」
メイはスマホを手に取ると、操作を始めた。
「先輩は”暴露系配信者”って知ってますか?」
「……ああ、知ってるよ。ゴシップ記事みたいな感じで、有名人とかの秘密だったり不祥事を暴露する──もしかして」
「神宮寺先輩は現在、暴露系配信者として活動してるんです」
♦
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