第26話 就寝
療養所は入り口に篝火が焚かれており、この時間でも明るかった。終日の看護体制が整っているのだろうか。建物の中に入り、近くに来た関係者に用件を伝えた。
程なくして、先日顔を合わせた医者がやってきた。疲れている表情をしているが、壁にかけられている燭台や、酒精灯、油灯などの揺れる火に照らされているからかもしれない。
ルークスは何も言わずに袋を差し出し、もう片方の手でランドの背中を軽く押して医者の前に立たせた。
「せんせい、おかあさんのおくすりおねがいします!」
医者はランドを見やり、ルークスから受け取った袋の中身を確認した。
「ニニギアじゃないか。どうやってこれを?」
「こいつらから依頼を受けて、俺が取りに行った」
「しかし、ニニギアを取りに行くような依頼は……」
「組合を通じて俺が受けた依頼だ。そして取ってきた。それで良いだろう」
医者が言おうとした言葉を遮り、これ以上の詮索はやめるようにと目で訴えた。ランドの前で話すことではない。
「……そうか。わかった。とりあえず、これで薬を作ろう。明朝にはできているはずだ。これだけの量ならばかなり余るはずだが、余った分はどうする?」
「買い取れるか? 仕入れ量が決まっていて難しいなら、どこか別の診療所か店にでも売るが」
「いや、問題なければ買い取らせてくれ。補充が完了するまでに同じ症例の患者が出たら厄介だ。この時期はどこの診療所もニニギアが無いだろうからな」
「わかった。いくらだ?」
「この量なら、そうだな……二百、いや少しだけ色をつけよう。二百五十スーリでどうだ?」
「良いのか?」
「ああ。在庫が無いところへの緊急補充だからな。それに今回は採取してきた冒険者に対する敬意というやつでもある」
「では、遠慮なくもらっておこう。薬は明日こいつが取りに来る」
「そうか。今日は夜勤だから、明日来る時間帯によっては他の者が対応するかもしれない。その時は何か書き残しておこう」
「できればあんたにそのまま対応してもらいたいが、そうもいかないか。薬代と先日の診療費はどうすれば良い?」
「薬は六十スーリ、診療費は四十スーリだ」
「それでは、どちらもニニギアの代金から引いてくれ」
「良いのか?」
「ああ。立て替えるだけだ」
「そうか、ちょっと待っていてくれ」
医者は一度奥の部屋へと戻っていった。
「おじちゃん、くすりのおかね?」
「ああ、そうだな。とりあえず俺が肩代わりしておくから、母さんが治ったら返してくれれば良い」
そう伝えるとランドはルークスの腰にしがみついたきた。
「おいおい、どうしたんだ?」
「なんでもない」
そう言いながらもしがみついたまま離れようとはしなかった。
「待たせたな。これがニニギアの代金と、明日の薬の受取票だ」
そう言って、金貨一枚と銀貨五枚、そして数字が書かれた木札を渡してきた。
「その木札は薬の引換証だから無くさないようにしてくれ。支払い済みなのもこちらでわかるようにしてある」
「ランド。これを持っておけ。そして明日の朝、ここに薬を取りに来るんだ。できるか?」
「うん。このまえもきたから、みちはおぼえてる」
「では、すまないが、薬の使い方とかも明日説明してやってくれ。どうしても難しければ紙にでも書いて渡してやってほしい」
「あんたは来ないのか?」
「ああ。今日帰ってきたばかりでな」
「なるほど。朝取りに来るなんて無理ってわけか」
「そういうことだ。ランド、帰るぞ」
「待て。名前を教えてくれないか?」
「ルークスだ」
「そうか。何かあったらあんたに依頼を出すかもしれない。その時は頼む」
「ああ。組合に依頼を出してくれ。真っ当な依頼ならないくらでも受けるよ」
「わかった」
医者は笑いながら頷いた。
ランドの背中を押し、診療所を出る。診療所を出たところで、ランドが一度振り返った。
「ありがとうございました!」
医者に礼を言った。薬ができることを理解して、気持ちが少し落ち着いてきたのだろう。それでも、ルークスの外套を握りながら帰宅した。
「お前、腹は減ってないか?」
長屋の門を開けたところで、ランドに聞いた。
「うん、おにくたべたからだいじょうぶ」
「そうか。それなら良い。明日は朝起きたら診療所に行くんだぞ。一人で行けるな?」
「これをもって、しんりょうじょにいって、くすりくださいっていえばいい?」
「ああ、そうだ。金も払ってあるからな」
そう言って、ランドが家の鍵を開けたところで、家に戻ったら閂をしっかりとして、火は使わないようにと注意した。
「おじちゃん。ありがとうございました」
丁寧に挨拶してくる。木剣をやった時でさえここまで丁寧に挨拶しなかったのに、急激に大人になったものだと苦笑しながらルークスは答えた。
「おう。それじゃあ、明日頑張れよ。もし、何かあったら扉や窓を叩いて大きな声で呼んでくれ。これから寝るが、しばらくしっかり寝て無くてな。俺はなかなか起きないかもしれない」
「うん。おやすみなさい」
「おやすみ」
挨拶を交わして、ランドが扉を閉めた。閂をかける音がしている。扉を閉めたら暗くなって見えないだろうに、器用なことだ。だが、これで大丈夫だろう。
隣に移動して、自宅の扉を開ける。
扉を開けた瞬間に、埃っぽい匂いが少しだけ漂ってきた。空気もこもっている気がする。換気をしたいところだが、それは無理だとわかっていた。
扉を開けたまま、家に入ってすぐの棚にある燭台に火を灯した。そして、それから扉を閉め、閂を持ち上げ、差し込む。一つ一つの動きが緩慢になっているのがわかった。
その場に背負い袋を下ろし、水袋を取り出した。残っていた水を飲み干し、そのまま革袋を床に投げ出した。視界が少しずつ狭くなっている。
最後の力を振り絞るようにして、その場で外套を脱ぎ捨てた。
あと少し。
あと少し。
この言葉だけが頭の中に詰まっている気がする。
火がついた燭台を握り、ふらつく足を引きずるようにして、そのまま奥へと向かった。階段脇にある寝室だ。扉を開ける。
埃臭さを感じながら、ああ、帰ってきたんだと思った。
寝台横までなんとか移動し、引き出し付きの小棚の上に燭台を置いた。
ふらつきながら、寝台の横で床に座り込んだ。意識が飛びそうになりながら、長靴の紐を解いていく。靴下も脱ぎ、その場に放り出した。
そして、汚れた服や身体はそのままになんとか立ち上がり、そして寝具が汚れることに考えが及ぶこともないままに寝台へと倒れ込んだ。
そして布団を無理矢理身体に巻き付けるように一度転がり、そこで意識は途絶えた。
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