オールドルーキー

西風

第一章

第1話 野営

 空が濃い青から黒へと変わろうとしている。


 森の中からでは残照の明るさすら見えない。

 二十歩も離れてしまえば何も見えなくなってしまう薄闇の中で、微かな空の明るさと勘を頼りに地面を軽く均しつつ、手頃な枝や落ち葉を探す。


 今日は新月だ。月明かりはない。もう四半刻もしないうちに、微かな星明かりだけが唯一の頼りになってしまう。まともな野営場所が見つからなかった以上、急いで火を準備したいところだが、燃やすのに丁度良いものが無かった。


 そこらの木から何本か枝を払うべきだろうかと考える。少し手間がかかるが、何も見えなくなってしまう前にせめて火種になるものだけでも用意すべきだと腹を決めた。


 荷物を下ろし、周りよりも少しだけ幹が細い、それでも一番低い枝まで跳び上がらなければ届かない、そんな木の枝に跳びつく。枝が少ししなるが、それなりにしっかりした太さだ。幹にも近い。折れる心配はなさそうだと直感でわかる。跳びついた反動を利用して身体を引き上げつつ、幹を蹴り、枝の上に足をかける。

 全身が枝に乗っても安定している。そのまま幹の方に少し体重をかけつつ、枝の上で立ち上がり、手が届く枝をいくつか触る。何本か触ったところで、幹に比較的近いところにある分かれ目から伸びている細めの枝を見つけた。手首より気持ち太い程度。これならば鉈で切り落とすことができそうだ。


 腰に差した鉈を引き抜く。肉厚で幅広、そしてよく手入れされている。見た目からして一眼で上級者が持つものだとわかる一級品だ。刃の付け根には、薄く文字が彫り込まれている。名前だ。自分の名前ではない文字が刻まれた鉈を枝に向かって振り下ろす。

 地面の様子が見えない闇の中では、重心をずらして落ちてしまえば怪我をする可能性もある。こんなところで怪我をしてしまえば、この五日間の苦労は水の泡になってしまう。一人で行動している以上、誰の助けも得られずに、動けないまま果ててしまう可能性さえある。

 力を込めながらも、慎重に、何度か枝に鉈を叩きつける。そのうち、手で抑えていた枝の張りが弱くなり、少しずつ重さを感じるようになってきた。力を込めて体重をかければへし折ることもできるだろうが、安全策として軽く打ちつけながら枝を揺する。

 何度か続けているうちに、枝から軋むような音がしはじめた。枝が自重に耐えられなくなっているようだ。

 そのまま少し枝を揺すれば、軋む音も大きくなる。幹に身体を預けながら、少しだけ力を込めて枝を下に引くと、音を立てながら枝が落ちていく。葉もまだかなり茂っている。踏み台にしている枝に引っかかりながら、地面に落ちた。


 落ちた枝にある細かい枝をざっと払う。生木はそもそもが焚き火に向かないが、それでもどうしても生木を使う場合は、葉だけは燃やさないようにする。煙が多くなるからだ。旅をするようになってから、最初に教えられたのがこの知識だった。

 もうすでに空は真っ暗になっている。木々の隙間から見える空には星が見える。手元の視界は怪しくなっている。払った枝から何本かを手元に集め、葉をさっと取り除く。


 下ろしておいた荷物を探り、革袋を一つと、金属の棒、発火石を取り出した。革袋の中にあるのは乾燥した牛糞を丸めて、葉で包んだ着火剤だ。ザラザラと細かい凹凸のついた平たい金属の棒で発火石を擦る。軽く一撫でするだけで大きな火花が飛び、着火剤に飛んだ火花は最初は何事もないように感じるが、徐々に煙が出る。そして、しばらくすると中から少しずつ火が上がってくる。この上に枝をいくつかと、枝を更に細かく削りながら木屑を散らし、火を大きくしていく。


 少しずつ大きくなった火が安定してきたところで、更に枝を足す。生木が爆ぜる音を立てながら煙を出し、そして燃える。

 なんとか火をつけることができて、安心したところで、腰を下ろして水を口に含む。水の量も心もとないので早く水場に出たいところだが、明日の昼くらいまではもつだろうと開き直った。


 ルークスは、魔法が使えればな、と独り言ち、もう一口水を飲んだ。魔道具を買っても良いが、今回のような遠出や強行軍はあまりしない以上、宝の持ち腐れになる可能性が高いと思っていた。運用には費用がかからないとは言え、使用頻度を考えれば圧倒的な無駄だと、安全性や利便性を無視していたが、今回のように準備もそこそこに突発的な依頼を受けると、どうしても購入に考えが傾いていく。


 続けて二口ほど水を飲み、余計なことを考えるのを止めて、焚き火の横に穴を掘る。明かりがなかったため火をつけることを優先したが、風除けの石などが無い場所では、穴を掘ってそこで火をつけるのが良いとされている。火が風に飛ばされるためだ。散らばるだけならまだしも、他の物に燃え移っては目も当てられない。湿り気を帯びた木が多い時期では、そこまで気を使わないことも多いが、単純に風に飛ばされた時の面倒さを考えれば、穴の中で火を起こした方が良いのは明白だ。今晩は風が無いが、突風などで薪が散らばるのは腹立たしい。


 荷物のなかから取り出した手鋤てすきで穴を掘る。一手半いっしゅはん(約三十センチ)ほどの深さで、一歩いっぽ(約八十センチ)程度の円状に掘り進める。そして、そこに火のついた枝を押しやり、落としていく。その上に更に小枝をまとめていく。少し太めの枝はもう一度鉈で短く切り、木の表面を軽く削り、毛羽立たせていく。それをいくつか作ってから、やっと食事の準備をする。


 干し肉と固く焼き締められたパンを取り出し、料理用の小型ナイフで削り、金属製の器に水と乾燥させた香草の欠片と共に入れる。蓋をかぶせて、枝を蔓の部分に引っ掛けて、火の上に吊るす。これで煮えるまで待てば、肉入りのパン粥ができる。味は説明できたものではないが、それでも温かい飯を食えるだけマシだった。


 パン粥が温まるまで、手持ちの道具の確認をする。

 剣、鉈、獲物の解体や簡単な工作に使うナイフ、調理用のナイフが二本。ベルトに通したポーチ。背中の大きさに合わせて作ってもらった、背負い袋。蝋を塗って防水処理を施した、薄手の馬革の外套。調理器具。布類。金属製の水筒と、革で作った水袋。そして、四つの革袋を取り出した。


 一つは着火剤が、一つは発火石などの細かい道具や薬が、もう一つには残りわずかとなった干し肉とパンが、そして最後の一つには草が数本入っている。これが片道二日、森の中をさまようこと三日、合計五日をかけてやっと見つけたニニギアと呼ばれる薬草だ。


 ニニギアの見た目は一般的な薬草に見えるが、砂地以外にはどこでも生える薬草とは違い、森の奥、特に灰狼が多い地域にしか生えないと言われている。もちろんそこには薬草も生えているので、見分けがつきにくいので、発見するのに時間がかかる。時間がかかれば、その近辺を根城とする灰狼が襲ってくる。場合によっては群れで攻撃を仕掛けてくることもあるので、索敵役と採取役に分かれて活動する。最低でも二人。できれば四人くらいはいた方が良いと言われるニニギアの採取を一人で行った。仲間を集める余裕はなかったのだ。時間も、予算も、そして精神的にも。


 ニニギアの状態を確認し、異常が無いことがわかると、袋の口を締める。続いて、順に食料、小道具、着火剤の状態や在庫を確認し、先程使ったばかりの柄が取り外せる手鋤や火付け棒などとともに、背負い袋に穴などが無いことを確認しながら戻していく。

 続いてポーチを開け、止血剤やちょっとした紐などの緊急時に使う道具、集中力を高める時に使う特殊な香草を練り込んだ丸薬を確認し、ベルトに戻す。


 刃物も順にチェックしていく。調理用のナイフは肉用とそれ以外を分けている。どちらもそれほど切れ味は悪くなっていない。刃こぼれもないため、ボロ布で申し訳程度に脂を拭って鞘に収める。

 解体用のナイフは刃渡りは一手いっしゅ(約二十センチ)、そして半手の取っ手がついている。獲物の解体はもちろん、戦闘にも使える。これも鉈と同じ文字が彫られている。刃こぼれは無く、傷さえ無いように見える。小さな文字が全面にぎっしりと彫られている金属製の鞘に収める。この鞘はルークスが持っている数少ない魔道具だ。ベルトの右側に吊るす。

 続いて鉈だ。刃長は一手半で、ナイフよりも一回り大きい。長さはもちろん、幅、厚みも全てが大きい。先端は平たくなっており、刺突はできない。叩きつけるように斬るためだけのものだ。武器として使えないことはなく、実際にこれを使って戦った経験もある。だが、それ以上に先程のような枝や薪の切断、解体時に骨を叩き斬るような使い方をするためのものだ。そして、文字。一瞥した後、特殊な文字が刻まれた皮製の鞘にしまい、側に置いておく。

 最後に剣。刀身は四手程度。一般的な長剣に見えるが、柄は片手でも両手でも扱えるように少し長めに作られている。刃の根元には、鉈やナイフと同じ文字が彫られている。ただ、彫った者が違うため、少しだけこちらの方が洗練された文字に見える。裏面には何節かの言葉が刻まれている。これも魔道具だ。ただし、ルークスは使ったことが無い。使うことができないのだ。幸いにも本日は戦闘をせずに済んだため、状態は悪くなっていない。それでも、毎晩必ず鞘から剣を抜き、状態を確認し、脂を拭う。そして、彫られた文字を眺める。


 しばらく眺めていると、焚き火に吊るした器の蓋が音を立てた。剣を鞘に収めて、左脇に避ける。


 カタカタとうるさい音を立てる器を、枝ごと動かして、自分の前に置く。ボロ布で蓋をつかみ開けると、肉と香草の匂いが漂ってくる。この匂いに味が追いつく日が来るのだろうか。

 匙を使って溶けたパンと肉を掬い、少しだけ冷まして舌を火傷しないように口に含む。干し肉の塩辛さと香草の香りが移ったパンと汁が、冷えた、そして疲れた身体に染み込んでくるようだ。味はともかくとして、塩気と穀物、そして水分で身体が回復していく気がする。飲み込み、喉を通り、腹の奥に温かいものが落ちていく。そして染み込んでいく。そんな気がするのだ。

 最初はゆっくり、そして完全に冷めてしまう前に器を掴み上げて、口の中にかき込んで行く。すぐに空になった器の中に水を入れて、蓋をして振る。そしてその水を飲む。水場まで距離がある以上、洗うことはできないし、水も無駄にすることができない。妥協点がこれだ。飲んだあとは軽く火で炙って乾燥させ、冷めたあとに背負い袋に仕舞うのだ。


 人心地ついたところで、薪代わりの枝を足していく。火はしっかりとしており、安定してきたようだ。木屑は必要ないだろう。ただ、朝までもたせるには、もう少し薪となるものが必要だ。先程とは違って、火に照らされて明るくなった周囲を眺める。鉈で落とせそうな枝がすぐに見つかり、今度は地面の上で立ち、少し手を伸ばして力いっぱい鉈を叩きつける。

 三度ほど叩きつけるだけで折れた枝から、葉を払い、そして一歩程度の長さのものを三本作った。


 最初に落とした枝を含めても、量を考えると少しだけ心許ないところだが、腹も膨れたためか襲ってきた眠気に抗うことが難しくなってきた。

 剣を抱き、外套を纏う。背負い袋を枕にし、鉈をすぐ側に置く。そして横になる。一人の野営は慣れたものだが、緊張感を維持しながら眠るのはいつまでもわずかな不安がある。万が一、何かに襲われた時に熟睡してしまっていたら。起きていれば何かしらできるかもしれないが、襲われる不安以上に、熟睡してしまう不安が強いのだ。それでも眠らなくてはならない。


 目をつぶり、耳をすませる。生木が燃える音、虫の声が遠くに聞こえる。そして自分の息遣いを聞いているうちに、意識が薄れていく。何も夢を見ないことを願いながら、眠りにつく。

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