5000兆円分のキセキ

綾坂キョウ

第1話 私を殺した神様

 あぁ重い。苦しい。

 札束の風呂に入りたいって妄想したことはあるけれど、札束を布団代わりにして寝たいとか、ましてやそれに潰されて死にたいなんて思ったこともないのに。ほんと、勘弁してほしい。


 というか、このまま私が死んだらこの金はどうなるんだ? せっかく私の元に降ってきたのに、死んだんじゃ使えやしない。

 下手したら、通りがかりの人間にいくらか持ってかれてしまうかもしれないし、取り敢えず行き倒れの死因として警察に押収されるのかもしれない。いや、こんな大金だし国のものってことにされたり?


(ふ——ざけんなっ!)

 この金は私んだ。

 どこから、どうして、どうやって、ここにあるのかなんて知ったこっちゃないけれど、とにかくの元に降って来たんだ。現在進行形で潰されてる私が言うんだから間違いない。これは、私んだ。


 未来なんて見えない人生だった。幸せのかけらも掴めないまま、終わるんだと思っていた。

 でも、この金があれば。

(こいつを——ッ)

 全身を凄まじい圧が潰しにかかる中、必死に、もがくように伸ばした手のひらに。

 誰かの手のひらが、ポンと重ねられた。


「え……」

 声が、出た。そのとたん。


 ふっと身体が軽くなって、目の前が真っ白に明るく輝いた。

「えっ、え?」

 ぐいっと、腕が引っ張られる。優しい力で、でも確実に。

 そのまま勢いで立ち上がった私は、そこでようやく、繋がった手のひらの主人の顔を見た。


「おはよ」

 そのひとは軽い声でそう言うと、にっと明るく笑って見せた。


「お……はよう、ございます……?」

 知らないひとだ。いや。なのか?

 ツンとつりあがった大きな赤い眼に、白い髪。肌にはいくらか鱗が見えて、光が反射してきらきらと輝いている。


「あ……れ。金……あの金はっ⁉︎」

 自分を、文字通り圧し殺すほどにあった大量の札束。見失ない、混乱した私を見て、目の前の相手はくすりと笑った。


「お金なら、あそこだよ」

 そう、指さされたのは足元だった。え、と見下ろすと、そこには大量の札束と、そしてその下に私の身体があった。


「え……えっ⁉︎」

 わけが分からない。もっと言えば、立っている私の足は、札束の山を透き通ってしまっている。

「きみは死んだ」

 躊躇なく、いかにも軽い調子でそのひとは言った。

「ぼくが殺した」

「は……ぁ。え?」


 なんとも間抜けな声が出てしまった。目をぱちくりとさせる私に、彼だか彼女だかも分からないそのひとは、微笑みながら続ける。


「ぼくはね、神だから。きみの絶望も、戯言も、聞き漏らしはしないんだよ」

 死んだ? 殺した? 神?

 あまりに唐突すぎる単語の連発に、私の頭はかえってそれらを「そういうものか」と受け入れてしまった。「そういうこともあるのかもしれない」と。


「でも私。別に、その。なにも言ってませんけど……」

 自称神様は、トンと私の胸に指を立て、それからくいっと顎で札束を示した。私もつられて、もう一度それを見下ろす。

「きみ。思ってただろ? 大金があれば、って。具体的に」

 まぁ、確かに。考えてはいたけれど。考えていただけだけど。そこはやっぱり、神様だから、ということなのか。

 ただ、それって、つまり。


「……これ。ほんとに……5000兆円あるってこと、ですか……?」

 神が、にやりとした。


 まさか、そんな。馬鹿みたいな金額。

 でも大量の札束の正体が、それだけの重みだとしたら。圧死してしまうのも納得がいく。


「さて、きみに質問だ。ぼくはきみの絶望か大金希望、そのどちらかを叶えてやることができる」

「え。いや、あの。意味が」

「意味なんて、そのまま受け取れば良い」

 そう言うと、神の身体がふわりと持ち上がった。私の身体も、同じようにふわりと浮かぶ。まるで、自分が煙がなにかになったような感覚だ。今にも、掻き消えてしまいそうなほどに、頼りない。


 神は、地面に積み上がった札束の山と、その下に押しつぶされたままな私の身体とを見下ろした。

「きみは死んだ。だが今は、ぼくの与えた仮の死だ。生きかえらしてやることもできる」

「はぁ」


 正直、自分で殺しておいて、「生きかえらしてやることもできる」だなんて。なんというか……。

「ぼくのこと、胡散臭いと思っただろう、きみ。良いじゃないか。どうせ生きてたって絶望しかなかったんだろう? 死のお試しができるなんて、貴重だよ」

「まぁ。それは、はい」

「お試し後、もし生き返りたければ言ってくれ。ぼくがきみの願いを叶えてやろう。神だからね。ただ」

 神がほんのり、にやりとした。


「その場合は、あの金は回収する。奇跡はお一人様一つまでだ」

「……じゃあ、生き返らなければ?」

「奇跡として、あの金はきみに全部与えよう」

 鷹揚に神は頷くが、まったくもって太っ腹なわけではない。

「金をもらっても、生き返れないんですよね? その場合」

「そうだな。まぁ、あの世では金など使う機会はないからね。大金を持って行かずとも、もう絶望することもあるまいよ」

「……あの世なんてあるんですか?」

「うん。魂を洗い流し、まっさらにしてリサイクルするだけの場だけどね」

「ふぅん……」

 唸り、じっと考え込む。


 絶望と希望。

 変わり映えのない絶望的な生と、死と同時に手に入る使えない大金。

 あの世。魂のリサイクル。


 ほんと、意味がわからない。分からない、が。


「決めました」

 迷いなく、私は告げた。


「5000兆円ください」







 


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