オマエタチノタメ




「分かってくれたかな」

「とても現実的には思えません」

「それもそうだろうな。極秘プロジェクトであり,最先端のテクノロジーを駆使している。動きもそうだが,見事なものだろ。あれは,誰が見ても人のそのものだ。恋をしてしまう者がいるほどにな」



 鋭い刃でえぐられたように,きりきりと胸が痛む。あの花が咲いたような笑顔も,相手を思う気配りも,くすぐったくなるような仕草も,全て作られたものだというのか。



「目的は何ですか? あなた達はそれで何をしたいのですか? 誰のためになるんですか?」



 河本は煙草を取り出し,火をつけて気持ちよさそうに吸った。



「質問が多いが,一番大切なことに答えよう。誰のためだと言ったな? お前たちのためだ」



オマエタチノタメダ


 色のない文字の羅列が,頭の中をぐるぐると駆け巡る。



「何がおれたちのためになると言うんですか?」

「失恋ぐらいでへこたれるには歳を食いすぎている。それでも,次の恋を見つけるにはまだまだ若い。今回はイ経験になったと思ってくれ」

「質問に答えてください」



 声が反響して,自分に返ってくる。おれは一体何を求めているのだろう。どんな答えが返ってきたとしても,気持ちの整理はつきそうにない。でも,知りたい。今,何が起ころうとしているのか。おれたちはどこに向かおうとしているのか。


 河本は短くなった煙草を深く吸って,革靴でもみ消した。満足そうに煙を吐くと,椅子に浅く腰かけて,天井を見ながら語り始めた。



「おれはな,この国はこのままだとだめになると思っている。日本を何とかしたいんだ。ただ,興味本位でやっているわけではないんだよ。国家を挙げて動いている。今の日本が,どういう点で危機的な状況にあるか分かるか」

「少子高齢化から来る問題点ですか?」



 守田の口から聞いたことを,河本にぶつけた。河本は意外そうな顔をして,満足そうに頷いた。



「頭の切れるやつだ。じゃあ,少し詳しく話そうか。少子高齢化を放置した代償は,あまりにも大きい。社会保障制度は根幹から揺らぎ,働き手がお年寄りを支えるシステムは崩壊しつつある。税金をむしり取り,定年を引き上げたところで,行きつく先が行き止まりになっていることは想像できるだろう。外国人労働者を安い賃金で雇えば,国民の給料は上がらない。ブラック企業は蔓延する。プレミアムリビングだってそうだ。この会社は,働き手の人権なんて無視だ。時間外労働でとにかく働かせて,残業代も払わずになんとかやりくりしていた。この業界に詳しいお前なら,知っているだろうがな」



 河本の話は,驚くほど守田の口から出た内容と一致していた。



「何とか解決せねばならんのだ。莫大な予算をつぎ込んだよ。吹けば飛ぶような会社を買収して,それなりの金を渡して内部の人間を総入れ替えした。そして今,課題を解決する夢のような会社が実現しつつある。AIが売り上げを立てる会社だ。接客も,仕入れも,営業も,全てAIだ。やつらは飯も食わないし,休みも必要としない。メンテナンスを維持するのにコストは莫大にかかるが,この研究が進めばそれも改善されてくるだろう。やつらが人のために働き,社会を支える。どうだ? おれにはユートピアに思える。この国は必ず復活する」



 河本の顔が紅潮し,目は遠くの方を見ている。理想を語るその表情からは,意識がこちらにないように思えた。



「では,全て作られたものだというのですね。あの心配りも,言葉も,表情でさえも」



 河本は気持ちよさそうに,何度も頷く。



「ディープラーニングの成果だ。やつらは,人とのコミュニケーションの中で学習し,仕草や表情を身に付け,相手が気持ちよくなる受け答えを身に付ける。お前が熱心にプレミアムリビングに通っている間,あっちは頭の中でひたすらお勉強をしていたわけだ。『こんな言葉を返したら喜んでいるな』『こんな答えを求めているな』『こうしたら商品に興味を持ってくれるな』ってな」



 不意に,河本の動きが止まった。そして,興奮を抑えるようににじり寄り,顔を近づけてきた。



「今,表情が変わったと言ったか?」

「ええ,人のそのものでしたよ。今思えば,不可思議なことはたくさんありました。水をかけられたら極端に反応したし,きっとシステムを守る防御反応か何かだったんでしょうね」



 落胆する気持ちを隠すことは出来ない。アイさんは,おれのことを学習相手としか認識していなかったのだ。そのことは,今までのどんな失恋とも比べられない喪失感を,おれに与えた。

 しかし,河本の関心はもちろんそんなことにはない。彼は意外なところに食いついてきた。



「表情を身に付けたのか? コミュニケーションにおける唯一の課題だったのだが・・・・・・。それはいつの話だ? どんな表情だ?」

「いつって・・・・・・。ぼくはしょっちゅう見ていましたよ。機械とは見抜けないほどに,美しかったです」



 言いながら情けなくなる。おれの気持ちが落ちれば落ちるほど,比例するように河本の気分は高揚していった。



「奇跡が起きたのかもしれない。お前が懇意にしていたのは,確かアイとか名乗るやつだったな。ちょっと出てくる。いいな? もうそいつは返していいだろう。ぜひ,良い待遇をしてやってくれ」



 河本は萬田社長にそう告げると,小走りで出口へと向かった。


 おれはただ,打ちっぱなしの壁を見つめながら虚無感と向き合うことしか出来なかった。


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