10:帰還
マデリンはタイプライターを打つ手を止めると、軽く背伸びをした。
ノランたちがシャノンの依頼を受けてグレールの町へ向かってから五日が過ぎていた。大きな問題さえ起こらなければそろそろ帰って来てもいい頃だ。
マデリンは二人がいないせいで静かになった事務所を見渡した。小さな調査事務所。ここには日々、様々な調査依頼が持ち込まれる。依頼主は個人から企業まで様々。
唯一共通しているのはどの調査にも、吸血鬼が関わっているかもしれないという点だ。
スティーブン・カプランが創設した〝ヴァンパイア〟リサーチセンター。祖父の研究資料と共に事務所を受け継いだのは、スウェイズとマデリンだった。
その祖父はすでに亡く。母親もいない。父親は時計技師として小さな工房を構えている。
孫である二人が祖父の遺志を受け継いだのは、ノランの存在が大きかった。ある日、スティーブンが連れてきた吸血鬼。それも人間と同じように太陽の下で生きることのできる吸血鬼。初めて会った日のことを、マデリンは今でも覚えている。スウェイズが十歳。自分が八歳の時だ。
祖父の後ろに隠れ、恥ずかしそうに自分を見ていたノラン。それから彼は頻繁にカプランの家に来るようになり、体の弱かったスウェイズの話し相手になった。そして三人一緒になって遊ぶことも多くなった。
時にはマデリンの悪戯で泣かせたこともあった。その時のことを思い出して、彼女の口元が僅かに緩む。子供の頃は純粋だったのだ。自分も、ノランも。なのに――
「やっと帰って来れたよ。車で長距離はやっぱ疲れるねぇ」
「お前は助手席で寝てただけだろう」
事務所の扉が開いて、ノランとスウェイズが入って来た。
「おお、マデリン。相変わらずキミは綺麗だね」
ノランはマデリンをみると真っ先にそう言った。
なのになぜ、こんなに軽薄になってしまったのだろう。笑顔を浮かべているノランを見て、マデリンはため息を一つついた。
「二人とも無事に帰って来たっていうのに、ため息で出迎えってひどくない?」ノランはスウェイズに同意を求める。
「そのため息は俺にではなく、お前に向けられたものだ。俺は関係ない」
スウェイズは入り口の衣装掛けへと上着を掛けると、自分の席に座った。
「二人ともお帰りなさい」マデリンは改めて言葉で迎える。
「新しい依頼は入ったか?」
スウェイズは自分の机にあった書類に目を通しながら言う。どれもマデリンが仕上げた報告書だ。
「いいえ。それよりも
マデリンは衣装掛けにある上着を見て、それからスウェイズを見た。上着の裾は所々破れ、着ているワイシャツの裾も、鋭い刃物で裂かれたように破れている。その間からは義手の銀色が覗いていた。
「ああ。これか? 今回は相手がちょっとな」
まるで外で遊んでいて破れたとでもいうように、軽い口調でスウェイズは答える。
「兄様、あれは新調したばかりのスーツです。それをこんなに早く駄目にして」
「あ……っと」
スウェイズは視線でノランに援護を求める。だが、たじろいだ様子のスウェイズを見て、ノランは笑っていた。
「いや。すまない」
謝るスウェイズを見てマデリンはため息をついた。
「やーい、ため息つかれてやんの」
ノランがはやし立てる。それをスウェイズが睨むが、ノランは舌を出してみせた。
「しばらくは古いので我慢してもらいます」
そう言ってマデリンは台所へと向かった。
時には命の危険に晒される。そういう仕事であることは彼女も承知しているし、いつも心配している。そんな彼女の心情を理解しているからこそ、二人は真っ先に無事な姿を見せに来てくれたのだ。
そしてそんな二人の心遣いを、マデリンは嬉しく思う。だから彼女は気丈に振る舞ってみせる。
「あーホント疲れた」
「おい、ソファで寝るな。眠いんなら帰って寝ろ」
ノランとスウェイズの声が聞こえてくる。
「もう一歩も歩きたくない。ここで寝る」
「依頼人が来たらどうするんだ。邪魔になるだろ」
「ひと仕事終えて帰ってきたんだ。今日はお休みにしようよ」
「今夜はシャノン様にも報告しに行かなきゃいけないんだ。それまでは溜まった書類の整理だ」
「キミはホント真面目だね」
「お前が不真面目なだけだ」
二人の会話を聞きながら、マデリンはレンジ・クッカーに入れた石炭に火を付ける。それからケトルへと水を入れコンロの上に置いた。
今日はいつもよりいい紅茶を入れよう。ノランの好きな焼き菓子もあったはずだ。
ティータイムの準備をしながら、マデリンは自然と鼻歌を歌っていた。
<了>
紅鏡のヴァンパイア 宮杜 有天 @kutou10
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
同じコレクションの次の小説
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます