09:決着
切り込んできた刃を、スウェイズは右の前腕で受けた。刃は弧を描いて切り返し、左肩口を狙ってくる。それを今度は左の拳で迎え撃つ。金属音が響き、レイピアが弾かれる。
プルデェンスは弾かれた勢いに逆らわず、レイピアを引いた。体勢を整え、すぐに踏み込んでの三連突きを放つ。
スウェイズは一撃目を右手でいなし、二撃目を上半身を反らして躱す。そして三撃目に被せるように半身で歩を進めた。右の拳が伸びてプルデェンスの顔へと伸びた。
咄嗟にプルデェンスは首を竦め、自分の右肩に顎を押しつける。衝撃が執事を襲った。プルデェンスが体ごと後退る。人であれば吹き飛んでいたであろう衝撃。
「今のは堪えました」
プルデェンスの口から血が滴る。それをぬぐうことなく、首を振り子のように左右に振った。二度ほど「ゴキッ」という音が鳴る。
「少し無理をしないといけないようです」
そう言ってプルデェンスは懐から手のひらに収まる程度の小瓶を取り出した。片手で器用に栓を弾いて抜く。そして小瓶の中身を口へと運んだ。
流れ出た赤い液体をプルデェンスは飲み干す。
「かはぁ」
プルデェンスの口から熱い息が漏れた。目が充血し、白いはずの結膜が真っ赤に染まる。肌すらも赤くなり、血管が浮き出てくる。人でありながら人とは違う姿。
プルデェンスが動いた。先程とは比べものにならないスピードで、レイピアを振るう。
上下左右から襲い来る刃をスウェイズはなんとかいなす。だが、躱しきれなかった刃がスウェイズの顔を、掠め服を切り裂いた。傷口から血が流れ落ちる。
「
表情を変えることなくスウェイズが言う。
生きている人間が吸血鬼の血を飲めば、喰人鬼となり強靱な肉体を得る。だが同時に吸血鬼の血は大きな負担を体に与える。その心臓に対して。その為、耐えることができず心臓が破裂して死んでしまう者も多い。
「これでも限界は弁えております」
再びプルデェンスが動いた。同時にスウェイズも動く。
姿勢を低くして、脇をしめて両腕を目の高さぐらいまで覆う格好でスウェイズは距離を詰めた。プルデェンスはそれを見て斬撃から突きの連撃へとパターンを変える。
致命的は攻撃のみを両腕の義手で受け、スウェイズはプルデェンスの懐へと潜り込んだ。左腕でプルデェンス右腕を外に弾く。そして体勢を崩した執事の胸の辺りに右の拳を置いた。
刹那、スウェイズの前腕から「カシュッ」という音がした。次いで衝撃がプルデェンスを襲う。外ではなく体の内側へ潜り込むように。
「かはっ」
プルデェンスの口から息と共に血が吐き出された。手からレイピアが離れ、プルデェンスはその場に崩れ落ちた。
☆
魔犬が押し潰さんとばかりに迫ってくる。体を起こし両の前足をノランへと伸ばす。
ノランは下がりながら剣を一閃する。魔犬は体を捻ってそれを躱した。床に転がりながらも立ち上がり、今度はノランの腕へと噛みつこうと飛びかかる。
剣がその形を変えた。液状になり、咄嗟にノランの右前腕を籠手のように覆う。魔犬が噛みついた。しかしその牙は通らない。
ノランは魔犬が噛みついたままの状態で右腕を上げた。魔犬の体が浮く。そのままノランは腕を振り下ろした。
「ギャン」
魔犬は頭部から床に叩きつけられる。ノランの右腕を覆っていた血が再び剣の形になった。そして一閃。魔犬の首を切り落とす。
「まだ護衛はいるのかい?」
剣を下げ、ノランは無造作にザビエラへと近寄って行く。ザビエラは左手の指輪を見せるように、ノランへと向けた。
「〝歌えよ雷声。踊れよ
人差し指に嵌めた指輪から雷撃が走った。それは幾重にも別れノランを囲うように襲う。
ノランは剣で己を囲うように、腕を振った。刃の軌跡に沿って赤い液体の膜が現れる。膜は長球を半分にした形状をつくり、稲妻の奔流からノランを守った。膜に触れた
眩い光が消えた刹那、ノランは走り寄ってザビエラとの間合いを詰めた。右手に持った剣でザビエラの首を狙う。だが刃が彼女を捉えることはなかった。
ザビエラは床を蹴り、椅子ごと背後に倒れた。すぐ目の前を赤い刃が通り抜けて行く。そしてその体からは想像できない素早さで横に転がりながら起き上がった。
「驚いた。腐っても吸血鬼。器用なもんだねぇ」感心したようにノランは言う。
「その椅子は購入したばかりだったのよ。それも特注の品を」
少しだけ悲しそうにザビエラは言う。それから左手薬指の指輪を抜き取った。
「〝汝は狡猾。汝は堕落。
呪文を唱え終わると共に、ザビエラ右手の中から黒いものが現れた。それは彼女の右腕に巻き付き、頭をもたげる。大きな蛇だ。節となるいくつものパーツを組み合わせた、黒い鉄で出来た蛇。鎌首をもたげノランを睨む様は自らの意志を持っているかのようだ。
ザビエラが右腕を振るう。巻き付いた蛇が伸びた。蛇は鞭のようにしなりながらノランを襲う。
ノランは剣で切り払おうとする。だが弾いただけで切ることはできなかった。
「キミは魔術師じゃなかったのかい……って言いたいところだけど吸血鬼だもんねぇ。見かけ以上に動けても当たり前か」
「本当に失礼ね。
ザビエラは眉根を寄せ、吐き捨てるように言う。
「でもキミを吸血鬼にしたのは
「あいつも嫌な奴だったわ。すぐに心臓を砕いてやったけど」
「へぇ……」ノランが面白いものでも見たような顔をする。「どの氏族だったのかは知らないけど、眷属が主人を殺すなんてたいしたもんだね」
「同じように、こいつであなたの心臓を抉り出してあげるわ!」
再びザビエラが右腕を振るう。蛇は一直線にノランの心臓へと向かった。
ノランが蛇に向かって左手のひらを出す。手のひらからわき出るように赤い液体が出た。それはノランの操る自身の血だ。血がいくつもの小さな触手となって向かってくる蛇を捕らえた。からみつきその勢いを落とそうとする。だが鉄の蛇は止まらない。
「無駄よ」
向けられた左手をすり抜けるように蛇はノランの胸へと迫ったその刹那――ノランは左手をぎゅっと握りしめた。
「なっ!?」
カシャンという音を立てて蛇が止まる。ノランの血は互いに細い糸のような状態で絡み合い網を作っていた。その網に阻まれ止まったのだ。
「惜しい。もうちょっとだったね」
鉄の蛇が身を捩る。だが赤い網は絡みつき自由を奪った。ノランが左腕を引き上げた。蛇が引っ張られ、つられてザビエラの体勢が崩れる。
ノランは右手に持った剣で鉄の蛇を構成する節の間へと刃を通した。蛇が分断される。そして体勢を崩したザビエラへと走り寄る。ザビエラが顔色を変えた。
ノランが近づく。剣を一閃させてザビエラの右腕を切り落とした。その勢いのまま柄頭をザビエラの胸へと向ける。剣が変化した。
今まで柄頭だったところが伸びて
切っ先がザビエラの中へと潜り込む。ノランの手に固い感触が返ってきた。吸血鬼の心臓である血晶石に当たったのだ。
ガラスが砕けたような音が響いた。
ザビエラが後退る。その胸から刃が抜けた。残った左手でザビエラは傷口を押さえている。だが血は止まること無く溢れ出す。
彼女は血に染まった手を見て、ノランへと視線を向けた。
「ああああ」
ザビエラがノランへと手を伸ばした。しかしノランに触れる前に、指の先から塵へと変わっていく。それはやがて全身に広がり、かつてザビエラであった塵の山を造り出した。
「終わったのか?」
「ああ。そっちも終わったみたいだね」
操っていた血を体内へと戻し、隣に来たスウェイズにノランは答える。それから背後を見た。床にはプルデェンスが倒れていた。
「ザビエラ様! アランがアランが」
突如、少女が飛び込んできた。額から血を流し、必死の形相を浮かべている。手で押さえられた左肩からも血を流していた。アラナだ。
「司祭がいたの。そいつがアランを殺したの。ザビエラ様、血をちょうだい! アランの仇を……ザビエラ様?」
室内の様子がいつもと違うことに、アラナはようやく気づいたようだった。少女の視線が床に倒れているプルデェンスへと向かう。それからノランとスウェイズを見る。
「あなたたちは誰? プルデェンスが倒れているわ。ううん。プルデェンスはどうでもいいの。それよりもザビエラ様よ。ザビエラ様はどこなの?
ねぇ。ザビエラ様に血を貰わないと。じゃないとアランの――」
銃声が響いた。アラナの胸に血の花が咲く。大きく目を見開き、言葉を紡ごうとして口を開く。だが――
「っ……ぁ」
声を出すことなくアラナは倒れた。
「
ゆっくりと歩きながらホアキンが入って来る。両手には銃が握られていた。銃口は下を向いているが、距離的に構えて撃つだけの余裕はある。
スウェイズは身構えた。その横で、ノランは力を抜いて突っ立っている。
「カプランさん。これはあなたが?」ホアキンがプルデェンスに目を向ける。「ハウを襲った双子は喰人鬼でしたが、この男も?」
「ええ」二つの質問にスウェイズはひと言で答えた。「それよりもハウが襲われたというのは?」
「リリアを取り戻すためにハウを襲って居場所を聞き出したかったのでしょう。双子が教会へ乗り込んで来ました」
「ハウは――」スウェイズが慌てた様子で訊く。
「大丈夫です」ホアキンは微笑んでみせた。「怪我はしていますがリリアとアイバー司祭が付き添って医者に診てもらっているはずです。ところで〝弟殺しの末裔〟がいたはずですが……」
「それなら倒したよ。ちゃんと心臓を砕いてね」ノランが答える。
「あなたは?」
ホアキンの視線がノランへと向けられる。正確にはその髪へと。その目は僅かに開かれていた。切れ長の三白眼でノランを見つめる。整ってはいるが、どこか蛇を連想させる顔立ち。
「今度はキミが蛇か」
「今度? 蛇? それはどういう――」
「いやゴメン。こっちの話さ」
訝しむホアキンに向けて、ノランは笑顔を浮かべ、手をひらひらさせた。
「僕はノラン。スウェイズの相棒だ」
「あなたも
「
ノランがスウェイズを見た。スウェイズは視線で訴えかける。
「ああ。そうそう。ザビエラを倒すよう依頼を受けて来たんだよ」
「そうでしたか」ホアキンが微笑む。「私はてっきり〝弟殺しの末裔〟かと思いましたよ。確かいましたよね。髪の色が特徴的なソラスという氏族が」
ホアキンの雰囲気が変わった。思わずスウェイズがノランの前に出ようとする。ノランはそれを止めた。そして笑顔を浮かべたまま口を開く。
「もしそうだって言ったら……キミはここで戦うのかい? ラザラズのホアキン司祭」
ホアキンとノランの視線が交錯する。張り詰めた雰囲気がこの場を支配した。時間にして十秒ほどだろうか、ふとホアキンの表情が和らいだ。
「いいえ。私が命令を受けたのは、この屋敷にいる〝弟殺しの末裔〟に〝救済〟を施すことです。なによりソラスは、同族の手によって滅ぼされたと聞いてますしね」
言葉とは裏腹に、ホアキンは探るような視線を向けている。
「ふーん。でも僕が本当に吸血鬼なら、ラザラズの言葉は信用しないね」
「おい、ノラン」
ノランの言葉にスウェイズが慌てた様で窘める。当のノランはスウェイズの心配など何処吹く風だ。
「なるほど」
ホアキンは肩を竦めると、銃を持ち上げた。今度こそスウェイズがノランの前に出る。
「慌てないでください。撃ちはしませんよ」
スウェイズが警戒する前で、ホアキンの銃はシリンダーの後ろから折れる。上を向いたシリンダーから弾が全て飛び出した。
「これで撃つことはできません。信用していただけましたか?」
「もちろん。ザビエラの残骸はここにあるよ」スウェイズが何か言う前に、ノランが答える。「あとは司祭さまに任せてもいいかな?」
「ええ。構いませんよ。ご協力、感謝します」
ノランがスウェイズの背中を押して歩き出した。
「お、おい。ノラン?」
「こっちの用事は済んだんだ。帰ろう」
二人はホアキンの横を通って食堂を出る。すれ違う時にスウェイズがホアキンに一礼する。
「そうだ。もし司祭さまがポプラスに来ることがあれば、〝ヴァンパイア〟リサーチセンターを訪ねるといい。小さい事務所なんだけど僕はそこにいるから」
背中越しにノランが言った。そのまま二人は屋敷から去って行った。
「ノラン……覚えておきましょう」
ホアキンは僅かに目を見開き、そう呟いた。
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