08:訪問
「やだわ。シャノンの使いとやらが来たの?」
広い食堂に女性の声が響く。壁に備え付けられたオイルランプの照明。大きなダイニングテーブルの上に置かれた燭台の炎。そして天井から吊されたシャンデリアにも蝋燭の炎が揺らめいていた。
声は大きなダイニングテーブルの奥に座る女性のものだ。細かい細工の施された椅子に座る彼女は、豊満な体をしていた。その丸い体躯を包むのは真っ赤なドレス。顔を含め露出している肌が色白であるために随分と映える。
ベージュブラウンの髪は綺麗に纏められており、きらびやかな髪飾りが付けられている。首もとを飾るのはいくつもの宝石がついた首飾り。左手の人差し指から薬指までの三本にそれぞれ指輪が嵌められていた。
派手で、決して趣味がいいとは言えない装いの女性。この屋敷の主であるザビエラ・オグデンだ。
その横にはプルデェンスが立っている。
「はい。昼間に堂々と現れましたので、タフサルサラスの眷属ではないと思われます」
ザビエラの言葉にプルデェンスが答える。手に持った瓶から、ダイニングテーブルに置かれたワイングラスに赤い液体を注ぎ込んだ。錆びた鉄の匂いが辺りに広がる。
「あら。
ザビエラは注ぎ終わったワイングラスを手に取ると、口元へと運んだ。香りを楽しむようにしばし止める。そしてゆっくりと赤い液体を口に含んだ。
「彼女の真似をしてみるのだけれども、これじゃ風情がないわね。やはり肌に牙を埋め、温かく新鮮なのを飲むのが一番ね」
興が冷めたとばかりにザビエラはワイングラスを置いた。
「逃げた子供はどうしたの?」
「アランとアラナに行かせました。すぐにでも連れ帰るかと」
「そう。連れ出した方の子供も?」
「そう申しつけております」
「この椅子を作ってくれた職人の徒弟……だったわね。いい腕をしてるわ、あの職人。いっそのこと、みんなを喰人鬼にしてしまいましょうか」
そう言ってプルデェンスに視線を向ける。執事の頬がピクリを動いた。ザビエラはそのわずかな変化を見逃さない。彼女は意地悪な笑みを浮かべてみせる。
「おや。お前は気に入らない? そう言えば、アランとアラナの時も反対したわよね」
「……いえ。ザビエラ様のなさりたいように」プルデェンスは頭を下げた。
ザビエラは左の親指を、自らの牙に当てる。そして軽く噛んで穴を穿つ。血が指の腹から溢れ始めた。彼女は左手をプルデェンスの方へ差し出した。
自分のお腹辺りに差し出された、指の太い手。親指からしたたり落ちる血。プルデェンスの視線はそれに釘付けになる。両手が震え始めた。その震えはやがて全身へと伝播し、プルデェンス跪く。彼の両手がザビエラの手を掴んだ。
「飲みなさい。心配しなくてもいいわ。わたしの一番の下僕はお前なのだから」
熱に浮かされたような視線を向けてきたプルデェンスに、ザビエラは鷹揚に頷いてみせる。執事は鳥が木の実を啄むように、彼女の親指を口に含もうとしたその時――
「おや、これはお取り込み中だったみたいだねぇ」
突如、食堂の扉が開き男が二人入って来た。
一人は黒茶色のジャケットに身を包んだ赤毛の青年。もう一人は黒いスーツ姿の黒髪の青年。ノランとスウェイズだ。
プルデェンスが弾かれたように立ち上がる。ザビエラは落ち着いた様子で二人を見ていた。
「お前たちがシャノンの使い? 随分と無粋な連中ね」
「ノッカーはちゃんと叩いたけどね。誰も出てこないから勝手に入らせてもらったよ」
まるで友人の家にでも来たような調子でノランが言う。視線を向けたザビエラが一瞬、驚いた表情をみせる。
「その髪の色……呪われた氏族ね」
「ご名答。僕はノラン・ソラス・ラティマー。初めましてザビエラ・オグデン」
ノランは優雅にお辞儀をしてみせた。
「タフサルサラスがソラスの生き残りを匿っているという噂は知っていたけど……氏族の誇りを捨ててシャノンの犬に成り下がったのかしら、
挑発的な声と表情。ザビエラは尊大さを隠そうともせずにノランに向けて言い放つ。対するノランは涼しげな表情を浮かべて言う。
「なんだい。キミは僕にこう言って欲しいのかい?
その言葉にザビエラの表情が変わった。きつく結ばれた口の端が震える。
「
「命の期限……ねぇ。でもキミが僕より長く生きるなんて保証はないでしょ? 例えば、今夜滅ぶかもしれないし」
「お前がわたしの心臓を砕くというの?」
左手の指輪をせわしなく触りながら、ザビエラは言う。ノランは答えない。不敵に笑うのみだ。
「ザビエラ様。ここは
プルデェンスが壁に掛けられたレイピアを手に取った。そしてゆっくりとノランたちの方へと歩いて行く。ノランとの距離が二メートルを切った刹那、レイピアを持つ右手が霞んだ。
鋭い切っ先がノランの心臓へと迫る。だがノランと入れ替わるように黒い影が現れ、その切っ先を弾いた。
「喰人鬼。お前の相手は俺がする」
スウェイズだ。白い手袋をした両の拳を軽く握り、プルデェンスを睨む。構えは右半身。左拳は顎の下に。右拳はやや下に突き出すように構える。
「じゃあ任せたよ、スウェイズ」
ノランはザビエラの方へ向けて歩いていく。プルデェンスがそれを邪魔しようとする。
しかしスウェイズが距離を詰め、右の拳を放った。プルデェンスが僅かに下がり距離を取る。そしてスウェイズを睨みながらレイピアを構えた。
「あなたも吸血鬼……ですかな?」
「いいや。喰人鬼でもない。人間だ……一応な」
「では
プルデェンスがレイピアを振るう。僅かに踏み込み、弧を描くように上段から斜め下へと刃が走った。スウェイズはそれを退いて間合いを外す。切っ先が下がった刹那、今度は切り返した刃が刺突となって伸びてくる。
スウェイズはステップを踏んで体ごと避けた。右の拳が霞むと、突き出したレイピアが弾かれる。同時に踏み込んで、スウェイズは左の拳を放った。
弾かれたレイピアを素早く戻し、プルデェンスは手元を覆う形状の
近い距離から予想外の連撃を受け、スウェイズの反応が遅れる。両腕を使って相手の突きを逸らしつつ、間合いの外に
「鉄を打ったような感触。籠手……にしては華奢ですね。義手ですか?」
プルデェンスはスウェイズを見ながら言う。彼の手袋とジャケットの袖は、所々切り裂かれていた。隙間からは血は流れず、銀色が覗いている。
「ああ。ついでに聖別済みだ」
スウェイズは手を開き、もう一度握りなおした。その動きは自然で滑らかだった。
☆
「キミの相手は僕……ということらしいね」
ザビエラの方へ近づきながらノランが言う。
ザビエラは椅子に座ったまま、左手の中指に嵌めている指輪を抜き取った。それを無造作に空中へと投げる。
「〝夜はお前の時間。さぁ出ておいで。赤き瞳で射貫いておやり〟」
ザビエラが口にしたのは呪文だ。指輪はノランの目の前に落ちる。刹那、指輪の黒い石が蠢き大きな塊へと変化した。
それは仔牛ほどの大きさの犬だった。黒く長い毛並みの犬。耳は左右に垂れており、燃えるような赤い目がノランを睨む。
「
血純とは吸血氏族が持つ異能のことだ。七つの氏族それぞれ固有の異能があり、心臓に
「元は人間の魔術師だったのかな?」
「ええ。血純なんかなくったってわたしには魔術がある。シャノンも魔術を嗜むらしいけど、魔術比べなら負けないわ」
二重になった顎を上げ、誇るようにザビエラは言う。
「あれは魔術……なのかなぁ。よく分かんないけど、一緒にするとシャノンに怒られるよ? あの婆さんは怒ると怖いんだ」
「ふん。わたしを殺す為にお前を寄越しておいて、何を今更。さぁ、あいつを殺しなさい」
ザビエラが魔犬に命じる。魔犬はノラン目がけて飛びかかった。
「ソラスの心臓は特別なんですってね? 抉り出すのが楽しみだわ」
迫る魔犬を見てなお、ノランは不敵な笑みを浮かべる。垂らした右手のひらに赤い雫が生まれた。傷もなにもない肌から流れ出たそれは、やがて量を増し床へと落ちていく。
ノランが胸へ引き寄せるように右手を振った。赤色の軌跡をが生まれる。刹那、ノランの右手には剣が握られたいた。長い
ノランは剣を両手で持ち、魔犬の噛みつきを剣身で止める。魔犬は噛みつきながらもノランを押し込もうとする。だがノランが動くことはなかった。逆に、華奢な体躯からは想像できない力で魔犬を押し返す。
力負けを悟った魔犬が背後に跳んだ。
「ソラスの血純は操血とは聞いてたけど、見たのは初めて。血で武器を造り出すのね」
ノランの持つ剣を見てザビエラが言う。
「形を剣にしているのは僕の趣味さ。ちなみに名前もあるよ。クラウ・ソラス。伝承にある光の剣から名付けたんだ。吸血鬼の心臓を砕くのに相応しいと思わないかい?」
そう言って、ノランは悪戯を思いついた子供のような顔をしてみせた。
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