07:襲撃

 燭台の炎が教会の内部を照らしていた。ゆらめく明かりの中、祭壇の前で跪く人影が二つあった。ホアキンとリリアだ。

 ホアキンが祈りの言葉を終えると、二人は立ち上がった。


「司祭さま。ありがとうございます。食事と……その……湯浴みまで」


 修道女の服に身を包んだリリアが言う。彼女は教会に連れて来られた時よりも幾分、血色が良くなっていた。そして随分と身綺麗になっている。


「あなたはカミルではありませんが、生憎と教会にはその服しかないのです。服が乾くまでそれで我慢してください」


 カミール教では修道女のことをカミル。修道士のことをカミロと呼ぶ。


「とんでもない。ちゃんと洗濯された服なんて久しぶりです」


 そう言ってリリアは、はにかんでみせる。その表情は年相応の少女のものだ。


「あなたを誘拐して来た者については私の方で対処します。しばらくはこの教会で面倒をみて貰えるよう、アイバー司祭にもお願いしておきました。

 ですから安心して、今後のことを考えてください」

「本当にありがとうございます」

「私は当然の救済をしただけです。感謝はあなたを連れ出したハウにしておあげなさい」

「はい」


 リリアは目に涙を浮かべて頷いた。刹那、教会の扉が乱暴に開かれる。驚いて視線を向けた二人が見たものは、倒れるように入って来たハウだった。祭壇への通路半ばまで駆け寄ったところでバランスを崩して転倒する。


「ハウ!?」


 リリアが駆け出す。床に倒れたハウは左腕を押さえていた。顔は額から流れ出た血で染まっている。


「どうしたのですか!?」


 ホアキンもやって来てハウを抱き起こす。起こされた瞬間、ハウが痛みに眉をしかめた。


「司祭さま……あいつらが。早く……リリアを連れて、逃げ……て」


 ここまで走って来たのだろう。息を切らしながらハウは言う。ホアキンを見上げる瞳は真剣そのものだ。


「あいつら?」

「ほら。言った通りでしょ、アラン」

「そうだね、アラナ。少し痛めつけて逃がしたら、あのの所へ案内してくれたよ」


 少女の、少年の声が、入り口の方から聞こえた。ホアキンがそちらへ視線を向ける。

 立っていたのは茶色の髪をした青い目の二人組だった。そして二人の顔はとてもよく似ていた。声もそっくりだ。違うのは髪の長さと着ている服くらい。


「リリア。ハウを連れて奥へいきなさい。アイバー司祭に言って医者へ」


 ホアキンはリリアにハウを任せると、双子から庇うように立ちはだかった。リリアの肩を借りてハウが起き上がる。


「おやおや。知らない人がいるよ、アラナ」少年が言う。

「わたしたちの邪魔をするみたいね、アラン」少女が返す。

「あなたたちがハウの言っていた双子ですか」


 ホアキンは落ち着いた様子で話かける。双子はそんなホアキンを見て、同時にくすりと笑った。


「子供二人に大人を一人。連れ帰るのは大変だね、アラナ」

「じゃあ、あの司祭はここで殺してしまいましょう、アラン」


 双子はホアキンの問いかけに答えない。その様子と会話の内容からホアキンを障害と見なしていないようだ。


「でも目立った動きをすると、プルデェンスに怒られるよ、アラナ」

「いいじゃない。困らせてやりましょうよ、アラン。あたしあいつ嫌いなのよ」


 言うと同時にアラナが動いた。常人ではあり得ない速度でホアキンへと迫る。その手にはいつの間にか大振りの短剣が逆手に握られていた。猟師の使うハンティングナイフだ。

 あっという間にアラナがホアキンの懐に潜る。そのままアラナは、下から突き上げるようにホアキンの首を切りつけた。


「司祭さま!」


 リリアが叫んだ。刹那、金属がぶつかり合う音が教会内に響く。


「!」


 アラナの顔が驚きの表情を浮かべる。ナイフはホアキンの首の手前で止められていた。その刃を止めているのは、右手に持つ大型の回転式拳銃だ。四角の長い銃身が見事にナイフの侵攻を止めている。

 ホアキンの左手がアラナに向けられた。祭服の袖口から、右手に持つのと同じ銃が飛び出る。それを握った瞬間、ホアキンは躊躇うことなく引き金を引く。

 銃声が轟いた。

 アラナは素早く身を捻り銃口から体を反らすと、後ろに飛び退いて距離をとる。


「気をつけて、アラン。こいつただの司祭じゃないわ」

「そうだね、アラナ。今度は二人で襲いかかろう」


 アランが構えた。その手にはアラナと同じハンティングナイフが握られている。


「いまのうちに奥へいきなさい」


 双子から目を離さずに、ホアキンは背後にいるリリアとハウに声を掛ける。突然の銃声に身を竦めていた二人が、慌てて教会の奥、祭壇の向こうにある扉へと入っていった。


「見たところ〝弟殺しの末裔〟ではないようですが……なぜ、手を貸すのですか?」

「ザビエラ様はね。わたしたちに血をくれるの」

「ザビエラ様の血を飲むとね、とても幸せな気分になれるんだ」


 双子は陶酔しきった表情を浮かべて言う。


「でもね、ザビエラ様以外の血は飲んでも幸せになれないの」

「だから体全部を食べるんだ。血だけでなく全部」


 アラナの表情が、アランの表情が歪んだ。瞳は爛々と輝き、口は裂けよとばかりに広がる。それは正気ではない者が見せる笑みだ。


「なるほど。喰人鬼グールというわけですか。〝弟殺しの末裔〟に唆されているだけなら慈悲もあったのですが――」


 ホアキンの目が僅かに開かれた。切れ長の三白眼が双子を睨めつける。それから銃を持つ右手を左上に、同じく左手を右下に向け体の前で交差させた。


「神の御名において、汝らに〝救済〟を与えましょう」


        ☆


 銃声が二つ響いた。一つはアラン。一つはアラナを狙ったものだ。だが、左右それぞれの銃口から発射された弾丸は空を切った。

 アラナはホアキンの左側へと回り込む。アランは木製ベンチを足が掛かりにして空中へと飛ぶ。ホアキンは右手の銃でアランを狙う。


 即座に放たれた弾丸はしかし、アランの持つハンティングナイフによってその軌道を逸らされた。衝撃によりバランスを崩したアランが床へと落ちる。

 その隙にアラナがホアキンへと近づいた。姿勢を低くして死角へと潜り込もうとする。


「!」


 確実に死角入ったはずのアラナの目の前に銃口が待ちかまえていた。アラナは勢いを殺すことなく床に転がる。銃弾が彼女の左肩を掠めた。転がりながらも、ホアキンの脚を狙ってハンティングナイフを振う。

 ホアキンはそれを上に跳んで避ける。同時に体を左回転させてアラナの方を向いた。仰向けの彼女と視線が交錯する。ホアキンは無表情に右の銃を向け、同時に引き金を引いた。

 アラナは咄嗟にハンティングナイフの側面で銃弾を受ける。頭を狙った銃弾は刃によって弾かれる。たが、衝撃でナイフごと額へと押し込まれた。すぐに起き上がりホアキンを正面に捕らえる。彼女の額からは血が流れていた。


「アラナ!」


 ホアキンの着地際を狙い、アランがナイフを振るう。

 ホアキンは背後に回した左手の銃でそれを受けた。それから右回転し、銃把の底でアランを殴りつける。咄嗟に腕を引いて、アランはそれを受け止めた。その隙を突いて腹部に左手の銃が突きつけられる。

 銃声が響いた。銃弾はアランの腹部へと潜り込む。衝撃で背後に飛ばされるアラン。だが彼は倒れない。片手で腹部を抑えながらも立っていた。


「アラン!」


 アラナが叫んだ。走り寄ろうとした彼女の足が止まる。銃口がすでに自分の方を向いていたからだ。

 ホアキンは体を開いた状態で両腕を伸ばし、双子へと銃口を向けていた。


「こんなに痛いのは久しぶりだよ」アランが司祭を睨みながら言う。

「喰人鬼が強靱なのは認めますが、長引けばあなたたちが苦しむだけです。素直に〝救済〟を受け入れてください」


 視線はアランに向けていたが、言葉は双子に向けたものだ。意識も二人に向けられている。視界の外にいるとはいえ、アラナが動けばすぐにでも引き金は引かれるだろう。


「救済なんて……自分たちの都合を押しつけてるだけのくせに」

「教会なんて何もしてくれない。僕たちを助けてくれたのはザビエラ様だけ」

「血を吸われることなく、逆に与えられたから……ですか?」ホアキンが静かに言う。

「そうさ。僕たちは選ばれたんだ」

「そうよ。わたしたちは選ばれたの」


 双子が同時に答える。そして互いの言葉を補うように言葉を継いだ。


「他の子たちみたいに」「血を吸われなかったもの」


 アランが走り出す。ホアキンが引き金を引く。自分へと迫る弾丸を、アランはハンティングナイフを使って受けた。弾ははじいた、二度目の衝撃でナイフが砕ける。思わず足を止めたアランは、折れたハンティングナイフをホアキンに向けて投げた。

 それと同時にアラナも動いた。ホアキンが投げられたナイフを撃ち落とした隙に、向けられた銃の内側へと迫る。そして司祭の左腕を狙ってナイフで切りつけた。


 ホアキンは腕を素早く上げると同時に左回転して刃を躱す。その勢いのまま右手の銃をアラナに向け引き金を引いた。彼女の左肩が撃ち抜かれる。

 衝撃で背後に下がりながらもアラナはナイフを投げる。ホアキンは余裕をもってそれを躱しながら再び引き金を引く。だが右の銃からは銃声はしなかった。弾切れだ。

 アラナが笑みを浮かべた。銃ではなく、司祭の背後を見て。


「? ……!」


 背後に気配を感じホアキンが振り返った。アラナが投げたナイフを左手に持ったアランが迫ってくる。咄嗟にまだ弾の残っている左手の銃を構えようとするが、振り下ろす前にアランが右腕上げ、ホアキンの腕を下から支えた。これでは銃を向けられない。

 そしてアランは左手で持ったナイフをホアキンの右脇腹へと突き出した。

 ホアキンは左足を引いて右半身へと変わる。同時に右手の銃を使って迫ってくるナイフを逸らす。半身になって下げることのできた左の銃を腹に添えるように構えた。

 その銃口が狙うのはアランの頭部だ。


「嫌っ。アラン!」


 アラナの叫び声と同時に銃声が響いた。頭を撃ち抜かれたアランがもつれるようにしてホアキンに抱きつく。


「こいつは強い。逃げるんだ、アラナ」


 頭を撃ち抜かれて尚、アランは自らの片割れを見つめて言う。二人の視線が交錯する。数瞬の後、アラナはホアキンの横をすり抜けるようにして教会の出口へと走った。

 ホアキンが左手の銃でアラナを狙おうとする。だがアランに左腕ごと抱きしめられている為、銃を向けることができない。

 アラナの姿が消える。まるでそれを確認したかのようにアランの体から力が抜け、その場に崩れ落ちた。

 ホアキンは銃を収めると両手を組んで動かなくなったアランの前に跪いた。


「我が〝救済〟により、汝のその魂が神の御許へと召されんことを」


 祈りの言葉を告げると、ホアキンは静かに教会を後にした。


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