06:教会
グレールの町にある教会はけっして大きくはなかったが、町と同じく古い建物だった。
ここまで案内をして来たハウを先頭に、四人は扉を開けて中へと入った。
入ってすぐに見えるのは、木製のベンチが並んだ会衆席。一番奥には祭壇があり、その後ろの壁には大きなタペストリーが掛けられている。タペストリーに織られているのは十字の上に楕円がついたシンボル。
それは〈見えざる神〉が手を広げているのを表現していると言われる、カミール教のシンボルだ。
祭壇の前には祭服姿の初老の男性が一人立っていた。突然の闖入者を見て驚いた表情を浮かべる。
「ハウじゃないか。ウェーランドが探していたぞ」
初老の司祭がハウを見て言う。その口調は穏やかだった。
「親方が?」
ハウがしまったという表情になる。リリアを連れ出した後すぐに戻るつもりで、こっそり抜け出して来たのだ。だがホアキンやスウェイズと会ったことで、思いの外時間を費やしてしまった。
「後ろの方たちは?」
初老の司祭はハウの後ろにいる三人に目を向けた。リリアとスウェイズの順に視線を廻らせ、ホアキンで止める。ホアキンは微笑んで会釈してみせた。
「テオフィルスの都より参りました。ホアキンと申します」
ホアキンは胸の前で、手の甲が相手の方を向くように広げた両手を重ねてみせた。そして軽く頭を下げる。カミール教徒の祈りの仕草だ。その姿は堂に入っている。
「おお。テオフィルスから。私はこの教会を任されております、アイバーです」
初老の司祭――アイバーは驚きの声を上げた。テオフィルスの都は教皇の住まう場所。カミール教の総本山であり、どの国にも属さない都市国家だ。
アイバーもホアキンと同じ仕草を返した。
「して、グレールにはどのよなご用件で?」
ホアキンは一瞬だけスウェイズの方を見る。それからアイバーに近寄ってなにやら耳打ちをした。
アイバーは先程よりも驚いた表情を浮かべた。
「承知いたしました。この教会はご自由にお使いください」
年下のホアキンに対し、アイバーの態度が随分と慇懃なものへと変わる。
「ハウ。ウェーランドには私から伝えておくから、この方にお前の知っていることを話しなさい」
そう言うと、アイバーはホアキンに頭を下げて教会から出て行った。
「さて、ハウ。何があったのか話してください」
ホアキンの言葉に頷いてハウが口を開こうとする。だが、思い出したかのようにスウェイズの方を見た。
「構いません。私の考えが間違っていないのなら、この方にも聞いてもらった方がいいでしょう」
またしても含むようなホアキンの物言いに、スウェイズが軽く顎を引いてじっと司祭を見つめた。スウェイズの瞳に浮かぶのは猜疑の光か。
「もし間違っていたら申し訳ないのですが、貴方はカプラン博士の血縁ではないですか?」
スウェイズの視線に込められた感情に気づいたのか、ホアキンは柔らかい笑みを浮かべて言う。司祭の告白にスウェイズの表情が一瞬揺らいだ。
「スティーブン・カプランは俺の祖父です。司祭さまは祖父のことを知っているのですね」
「直接お目にかかったことはありませんが、お名前は。ヘルシングと双璧をなす吸血鬼研究の大家。確か、七年ほど前に列車事故に巻き込まれてお亡くなりになったと」
「はい。教会の方で祖父の名前を知っているということは、司祭さまは――」
「ええ。隠す必要もないので言っておきますが、私はラザラズです」
スウェイズの言葉を引き継ぐようにして、ホアキンは告げる。
カミール教の施す〝救済〟には色々な形が存在する。人々への〝奉仕〟であったり犯した罪への〝赦し〟を与えることであったり、あるいは布教そのものも救済と認定している。
そして異端と認定したモノ――例えば吸血鬼――への武力行使も彼らは〝救済〟と呼んでいた。それを実行するのが〝
「私はこの町にいるという、名を呼ぶも汚らわしき〝弟殺しの末裔〟に救済を施しに来たのです。そいつは各地より孤児を攫って来て、己の糧としていると」
〝弟殺しの末裔〟――それは吸血鬼のことを指すカミール教独特の言い回しだ。
「貴方も追ってこられたのでしょう?
教会がラザラズを使って吸血鬼に対抗するのに対し、民間にも
「俺は――」
スウェイズは言葉に詰まった。いま自分がここにいるのはシャノンという吸血鬼からの依頼を受けてのことだ。しかもこの場にいないとはいえ、一緒に来ているノランも吸血鬼。素直に打ち明ければすぐにでも争いに成りかねない。
誤魔化す必要があった。だが生憎とスウェイズは器用な性格ではなかった。
「依頼を受けてこの町に来ました」
結局、はっきりしない答えをスウェイズは口にした。
そんなスウェイズをホアキンがじっと見つめる。僅かに目を開き、切れ長の三白眼が彼を見つめている。教会に来る前にみせた、獲物を前にした蛇を連想させる表情。
スウェイズの背筋に緊張が走った。
ふとホアキンの表情が緩んだ。
「そちらにも事情がおありなのでしょう。とりあえずハウの話を聞きましょうか」
ホアキンがハウへと顔を向ける。つられてスウェイズも見る。
視線を受けて、二人の会話をポカンとした表情で聞いていたハウは、慌てた様子で話し始めた。
☆
「あはははは。それは災難だったねぇ」
ノランがベッドに座ったまま笑い声を上げた。それを見て、近くに立っているスウェイズはしかめっ面を浮かべる。二人はグレールの町にある、ホテルの一室にいた。時間は夕刻を過ぎたあたり。外では夜の帳が落ちようとしている。
「災難なんてものじゃない。ラザラズが来てるとは思わなかったぞ」
「シャノンの婆さんのことだ。教会がザビエラに目を付けたことを知って、僕たちに押しつけたんだよ。鉢合わせると面倒だからね」
「それはお前もだろう」
愉快そうなノランに対し、スウェイズは呆れたように言う。
「大丈夫だよ。ソラスは滅んだことになってるからね。もっとも、疑いはするだろうけど」
言いながらノランは脚を組んだ。左腕をお腹の前に置き、右肘を左手の手首の辺りへ乗せる。それから右手を口元に寄せた。
「で、孤児の女の子はどうなったの?」
「リリアなら町の教会で保護するそうだ。お前の方はどうだったんだ?」
「僕? 僕の方はバッチリさ。ちゃんと宣戦布告……もとい、挨拶をしてきたよ」
「相手を無駄に煽るな。まったくお前という奴は」
スウェイズは顔を俯けると、額に手を当ててため息をついた。
「ハウって子たちの話と僕が見て来たのを合わせると、ザビエラの手下は三人ってとこだね。執事と双子の三人。あの三人は人間辞めてるかもね」
「人間を?」ノランの言葉にスウェイズは顔を上げた。「だがザビエラは
「そうだね。昼間訪ねた時、執事は太陽を恐れていなかった。だから吸血鬼じゃあない。もちろん
人間が吸血鬼になるには、吸血鬼の血をその体に入れる必要がある。それも心臓が完全に停止し死の状態になってからすぐに、だ。そうすることで心臓は血晶石へと変わる。血晶石は動くことのない吸血鬼の心臓であり、存在の根源となる。
唯一の例外はノランの氏族であるソラスだ。
「でもあの三人からは血の匂いがした。体臭のように染みついた血の匂い。まるでいつも血を口にしてるみたいな……ね」
「だとすると――」スウェイズが口を開く。
吸血鬼は人の血を心臓である血晶石に蓄える。そして血晶石へと集まった血は特別な力を備えるようになる。停止した心臓を血晶石に変え、吸血鬼として生まれ変わらせるほどに。
ではもし、まだ生きている人間が吸血鬼の血を体内に取り入れるとどうなるのか。
飲んだとしても心臓が血晶石になることもなければ、吸血鬼になることもない。だが圧倒的な陶酔感に襲われ、吸血鬼のような強靱な肉体を得る。そして吸血鬼と同じく人間の血を求めるようになるのだ。それは麻薬のような抗いがたい誘惑となり、人間を襲わせる。
しかしいくら人間の血を飲んだとしても、その渇望が満たされることは、決してない。だから彼らはそれ以上を求め始める。血のみならず肉を、臓物を喰らうようになるのだ。
その為、彼らは吸血鬼になぞらえてこう呼ばれる――
「
「だろうね」ノランはスウェイズの言葉を肯定する。「ザビエラが自分の血を、あの三人に与えているんだ。眷属の代わりにするために」
喰人鬼は血を与えてくれた吸血鬼に対し、〝子〟や〝眷属〟のような繋がりはもたない。だが彼らにとって吸血鬼の血は麻薬に等しい。血を与えてくれる吸血鬼の下僕となることも珍しくない。
「二、三日くらい様子を見ようと思ってたけど、ラザラズに先を越されるのも面白くないなぁ。今夜にも乗り込もうか」
そう言って、ノランは不敵な笑みを浮かべた。
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