05:邂逅

 グレールは大きくはないが古い町だった。今は廃墟となった城館がある小高い丘を中心に、町並みが広がっている。町を囲うように広がる田園は荘園制がまだ主流だったころのなごりだ。

 中心の丘を下りきった路地にノランたちの姿はあった。石造りの建物が並ぶ、石畳の敷かれた道路。その脇に停めてある車の中だ。外を眺める彼らの視線の先には古い屋敷が見える。


「あそこがザビエラの潜んでいる屋敷……か」


 スウェイズが言う。この辺りはグレールの中でも比較的裕福な者たちが居を構えている地区だ。ノランたちが見ている屋敷以外にも、部屋をいくつも備えた大きめの住宅が並んでいる。その中にあって、大きな庭は持たないが塀により隔離されたザビエラの屋敷は、隣人たちから生活を覗き見されることを防いでくれていた。


「屋敷から出る可能性の少ない今の方が理想だけど……こうも町中に堂々と住まわれては、昼間っから襲うわけにもいかないしねぇ」


 言いながら、ノランはダッシュボードに両腕を乗せて顎を預けた。住宅街だけあって、車内から見渡す限り人通りは少ない。だが乗り込めば相手も無抵抗とはいかないだろう。自分を滅ぼしに来たと知れば尚更だ。


「夜に出直すか?」スウェイズがノランを見て問う。

「そうだえねぇ」


 答えようとしてノランもスウェイズを見返す。その瞳にスウェイズより向こう――屋敷の門が写った瞬間、ノランは悪戯を思いついた子供のような表情を浮かべた。


「けど、とりあえず挨拶に行っておくのも面白いかもね」

「は?」


 スウェイズは一瞬、間の抜けた声を上げた。そしてノランの視線が自分ではなく、屋敷を見ていることに気づく。すぐにスウェイズも屋敷の方を向いた。

 門から飛び出てくる人影があった。少年と少女の二人組。先を走るのは町のどこにでもいそうな格好の少年だった。その後ろ、手を引かれながら走っているのは、みすぼらしい格好をした少女だ。二人とも十代前半といったところか。

 ノランが車を降りた。音で気づいたスウェイズがノランへを呼び止める。


「おい、ノラン!」

「キミはあの子たちを追いかけてくれ。できれば話を聞いてくれると嬉しいな」


 スウェイズの方を向くことなく、ノランは言う。スウェイズは少年たちの去っていく姿を見て、それからノランの背中に悪態をついた。


「先走るなよノラン」


 背中越しに右手を上げて、ノランはスウェイズの言葉に応えた。スウェイズは車を降りると少年たちを追いかける。


「なんだか面白いことになってきたねぇ」


 歩きながらノランが楽しそうに言う。鉄格子で作られた門の向こうに屋敷の玄関が見えた。門からの距離は五メートルくらいか。昔は門番がいたであろう門には誰も立っておらず、開かれたままになっている。そして玄関も開いたままになっていた。

 ノランが敷地内へと足を踏み入れた途端、声が聞こえてくる。


「莫迦者、なぜあの子供を入れた」


 開け放たれた扉から見える玄関広間エントランスホールには、初老の男性が一人と、子供が二人立っていた。

 落ち着いた様子で声を上げたのは初老の男性。スーツ姿で執事然としている。かつては黒髪だったであろう頭髪には、白いものが混ざっており一見するとグレーに見えた。顔の皺は少ないが、黒い瞳には歳月を重ねた者が見せる光があった。


「この間納めた椅子に不具合があったって言ってたから通したよのね、アラン」

「その場で修理できるっていってたよね、アラナ」


 子供の方は少年と少女の二人組だった。先程飛び出て行った二人よりやや年上だろうか。茶色の髪をした青い目の二人組だった。そして二人の顔はとてもよく似ていた。声もそっくりだ。違うのは髪の長さと着ている服くらい。

 少年――アランが着ているのは黒いズボンに白いシャツ。その上には黒のベストだ。少女――アラナの方は黒のワンピースを着ている。


「少女の方は連れ戻して来い。でなければ――」


 言いかけて男性が言葉を止めた。近づいてくるノランに気づいたからだ。


「何かご用でしょうか?」


 玄関広間エントランスホールから外へ出て、ノランを迎える。男性が近づいた瞬間、ノランがスンと鼻から息を吸い込んだ。


「ここはザビエラ・オグデンの屋敷で間違いないかな?」


 人懐っこい笑顔を浮かべてノランが言う。それにつられることなく、男性は探るような視線をノランへと向ける。


「そうです。私はこの屋敷で家令を勤めるプルデェンスと申します。貴方は?」

「ノラン……いや、シャノンの使いで来たって言った方が分かりやすいかな?」


 その台詞を聞いてプルデェンスの動きが一瞬止まった。そして今度は値踏みするかのような視線でノランを頭から足先まで見る。


「左様でございますか。しかしながら申し訳ございませんが、今は面会をお受けできかねます。主人は休んでおりますので」


 言葉と口調は丁寧だったが、プルデェンスの態度は格下の者へみせるそれだった。そしてこの老執事は自分の主人が何者であるかを理解している。己の主人であるザビエラは吸血鬼であると。


「まぁそうだろうね。僕は別に面会を申し込みに来たわけじゃあないんだ」


 プルデェンスのそんな対応を意に介したふうもなく、ノランは相変わらず軽い調子で話しかける。


「? では、私がご用件を伺っておきます」

「いいよ。いきなり押しかけるのも悪いと思ってさ、ちょっと挨拶に来ただけだから。今度は夜にでも伺うよ」

「それでしたらこちらも相応の用意をしておかねばなりませんので、できれば来られる前にご一報いただければ」

「相応の用意……ね」ノランはニヤリと笑う。「なら一応教えておくよ。そうだなぁ……今夜……かもしれないし、明日の夜かもしれない。もしかしたら十日後の夜かな。次は昼間にやって来るなんて無粋なことはしないから安心してよ」


 ノランとプルデェンス、二人の視線が交錯する。先に視線を反らしたのはプルデェンスだった。ゆっくりと頭を下げる。


「主人には来客があったと伝えておきます」


 そう言ったきり、老執事は微動だにしなくなった。言外に帰れと言っているのだ。

 ノランはプルデェンスの背後に目をやる。アランとアラナはいつの間にか姿を消していた。


「よろしくね」


 背を向けてノランが去っていく。が、ふと思い出したかのように足を止めた。


「そうだ。キミたちは香水をつけた方がいいね。随分と血の匂い染みついてるよ。まるでいつも口にしてるみたいだ。

「……ご忠告、痛み入ります」


 再び歩き出したノランの姿が消えるまで、プルデェンスは動かなかった。


        ☆


 ハウはリリアの手を掴み、半ば引っ張るようにして町中を走っていた。後ろは振り返らない。振り返った瞬間にあの双子か、執事の姿が見えたら恐怖で足が竦んでしまうかもしれないから。

 あの屋敷には以前から妙な噂があった。屋敷の主を見た者はなく、執事と双子の使用人しかいつも出てこない。普段はとても静かな所だ。だが希に聞こえるのだ。いないはずの子供の、すすり泣く声が。


 だからあの屋敷には幽霊が住むと言われていた。いや、今住んでいる者こそが幽霊なのだと。

 そんな屋敷へ出向いたのは、半月ほど前のことだった。ハウはこの町に住む、家具職人の徒弟だ。親方が仕上げた品物を納品しに行った時に、初めて執事と双子に会った。

 その時のことをハウは今でも覚えている。執事から仄かに香る錆びた鉄のような匂い。双子から向けられる絡みつくような視線。

 言いしれぬ不気味さをハウはあの三人から感じ取ったのだ。


「ハウ、ごめんな……さい。も……う走れ……ない」


 突如、ハウは後ろに引っ張られた。手を繋いでいたリリアが足を止めたのだ。ようやくハウが後ろを向く。

 リリアは痩せた、みすぼらしい身なりの少女だった。ハウがあの屋敷から連れ出した少女。ハウは屋敷で聞いてしまったのだ。リリアのすすり泣く声を。「助けて」という言葉を。

 それが気になったハウは納品した椅子の修正を理由に、屋敷を訪れた。そしてリリアを見つけ彼女から話を聞いた。


 リリアは孤児で、グレールから遠く離れた場所から連れて来られたこと。彼女以外にも数人いたが、今はリリア一人になってしまったこと。双子がリリアを見て漏らした「食べる」というひと言。

 それを聞いた時、ハウは思い出していた。双子から向けられた視線のことを。ハウは気づいてしまった。あの視線の意味に。

 あれは空腹時、目の前に食事が置かれた時に向ける視線だ。少なくとも人が人に向けるような視線ではない。


「リリア、もう少しだけ頑張って。教会までいけばきっと保護してくれる」


 ハウはリリアの背中に手を当て、彼女を励ました。リリアが頷く。二人はゆっくりと歩き出した。

 しかし背後から迫って来る靴音を聞いて、その動きが一瞬止まる。慌てて振り返ったハウの目に飛び込んで来たのは執事とも双子とも違う、黒髪の青年の姿だった。

 ハウはその事に一度は安堵した。だが青年が真っ直ぐに自分たちの所へ向かっている事に気づくと、再びリリアの手を引っ張って走り出した。


「ハウ?」

「誰だか分からないけど、追っかけて来てる。とにかく逃げよう」


 リリアが振り向いて確認する間もないほど強引に、ハウは彼女を引っ張る。


「おい。待ってくれ」


 呼び止める声でハウは確信する。あの男はリリアを取り戻しに来たのだと。


「俺は、話を聞きたいだけなんだ」


 思いの外近くで声が聞こえてた。驚いてハウが背後を見る。先程よりも随分と近くに青年の姿があった。大人と子供の差を考えても、追いつくのが早すぎる。

 このままでは捕まる。そう考えて視線を進行方向に戻した時、祭服を着た男性の姿が目に入った。その手に大きな旅行鞄トランクケースを持ってはいたが、それは確かに司祭だった。


「司祭さま!」


 ハウが叫ぶ。男が足を止めて振り向いた。

 それは二十代半ばの青年だった。くすんだ色の金髪。開いているのかどうか分からないくらい細い目。顔立ちは整っているが、痩躯で青白い肌をしているせいで吹けば飛ぶような弱々しい印象を受ける。

 その姿に頼りなさを感じつつも、ハウは司祭の所まで駆け寄った。そして必死な様子で訴えかける。


「助けてください。人さらいに追われているんです」


 ハウの知らない司祭だった。この町の教会にいるのは初老の司祭だ。目の前の青年ではない。だが祭服を着ている以上、カミール教の司祭には違いない。

 カミール教。〈見えざる神〉を信仰するこの世界最大の宗教。教皇を頂点とした聖職者は皆、人々に救済を施すことで〝神を見る者カミール〟を目指す。

 だからきっと、この司祭は自分たちを助けてくれる。それは都合のいい思いこみだったかもしれない。だが彼らが縋るには充分な理由だった。


「人さらい……ですか」


 司祭がハウたちを庇うように前にでる。走り寄ってくる黒髪の青年の動きが緩やかになり、やがて司祭たちの前で止まった。


「私はホアキンと申します。見てのとおりカミール教の司祭です。この子の言っていることは本当ですか?」

「いや、俺は……」


 青年が困ったような表情を浮かべる。それから戸惑うように、切れ長の目がハウたちを見た。ハウはリリアごと、司祭の後ろに隠れる。


「困ったな。俺は人さらいなんかじゃない。君たちに、あの屋敷の話を聞きたかったんだ。あそこの主に会わないといけなかったから」

「なんだよ。やっぱり、あいつらの仲間じゃないか!」ハウが叫ぶ。

「違う違う。会うと言っても……ああ、もうなんて言えばいいか。そうだ。あの連中がやってることを止めに来たんだ」

「止める?」


 今度はハウが戸惑うような視線を青年へと向けた。


「ああ。俺はスウェイズ。スウェイズ・カプラン。あの屋敷の主人であるザビエラ・オグデンは孤児を攫っている。もしかしてその子もそうじゃないのか?」


 スウェイズは視線をリリアに向けた。リリアはビクリとして、ハウにしがみついた。


「孤児を誘拐……ですか」ホアキンの細目が僅かに動いた。「これも神のお導きかもしれませんね」 


 ホアキンがスウェイズを見る。開いているのかどうか分からないくらいの細目だが、真っ直ぐに見られているのがスウェイズにも分かった。数瞬の後、司祭が後ろを振り向く。そしてハウと目線が同じ高さになるようにしゃがみ込んだ。


「君たちの名前は?」

「ハウ。この子はリリア」

「ではハウ。私はこの町は初めてなので、教会へ案内してもらえませんか? そこで話を聞きましょう」

「わかった! こっちだよ司祭さま」


 ハウの表情が明るくなった。リリアの手を引き早足で歩き出す。ホアキンは立ち上がると、スウェイズへと顔を向ける。


「それから貴方も」

「俺も? いいのか?」


 スウェイズは意外だといった表情を浮かべた。


「ええ。あの子たちに話を聞きたいのでしょう? それに――」


 ホアキンが僅かに目を開いた。切れ長の三白眼がスウェイズを見つめる。それはどこか蛇を連想させる顔立ちだった。今の彼に最初に感じた頼りなさはない。


「貴方の話も興味があります。


 ホアキンの、なにやら含むような呼び方を聞いて、スウェイズは表情を引き締めた。

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