04:追憶

 暖炉にくべられた火と、オイルランプの明かりが広間リビングに満ちていた。背の低いテーブルを挟んで座っているのは二人の男性と一人の子供。

 一人は初老。白髪交じりの黒髪に理知的な光を湛えた瞳を持ち、怜悧な顔立ちをしている。


「ライナー」初老の男性が口を開いた。「今回も非常に興味深い話を聞かせてもらった。感謝している」

「少しでも研究のお役に立てたのなら私も嬉しいですよ。カプラン博士」


 応えたのは赤毛の男性だった。博士と呼ばれた目の前の男性よりも、ふた回りは若いだろうか。柔らかい表情を浮かべている。


「スティーブンでいい。君とは知らぬ仲ではないだろう」


 そう言って初老の男性――スティーブンは笑った。赤毛の男性――ライナーも笑顔を返す。


「しかし君たちソラスは七氏族の中でも本当に変わっている。動く心臓を持ち、太陽の下で生活する。人間と交わることのできる唯一の吸血鬼。〝子〟も他の氏族とは違い、人間と同じように生まれ、そして育つ。違うのは血を飲むことと、人より長く生きることくらいか」


 スティーブンはライナーの横に座っている少年を見る。歳の頃は七つくらいか。ライナーと同じ赤毛の少年。自分にむけられた視線を感じ、不思議そうにスティーブンを見返して来る。


「他の氏族からは半吸血鬼ダンピールなどと莫迦にされますがね。子を作るにも必ず片方は人間でないといけない。それに無事に生まれる確率は低い」


 そう言ってライナーは隣に座る少年の頭を撫でた。


父様とうさま、やめてよ」


 少年はくすぐったそうに言う。ライナーはそれでも撫でるのを止めない。愛おしむように優しく息子の頭をなで続けている。


「こうして見ていると、君たちは本当に人間と変わらんよ」


 目を細め、スティーブンはゆっくりとした動作で目の前の親子を交互に見る。ふと、その目に真剣な光を浮かべた。


「タフサルサラスの……シャノンだったか? 彼女とも話したことはあるが、人に感じるとは別の恐怖を覚えたよ」


 老博士は言いながら、組んだ指を神経質そうに動かしている。


「彼女は吸血鬼となって長いですからね。人であった頃の記憶は忘れたと言ってましたよ」


 息子を撫でるのを止めてライナーが言う。同時に広間リビングの扉が開いた。


「もうお話は終わり?」


 女性の声が聞こえる。ライナーが視線を寄越すと、そこにはバターブロンドの女性が一人立っていた。ライナーより少し若いくらいか。彼女の前にはティーセットの乗ったカートがある。


「紅茶を持ってきたけど……お酒の方が良かった?」


 女性はライナーを見た後に、スティーブンへと視線を移した。


「メイベル。気づかいはありがたいが、私はもう退散するよ」


 スティーブン笑顔を浮かべ言葉を返す。


「あら。今日焼いたお菓子があるの。包むからお孫さんたちに持って帰ってあげて。それまでは紅茶でも飲んで待っててくださいな」


 女性――メイベルはカートを机の近くまで持ってくると、手際よくティーカップに紅茶を注ぎ、ライナーとスティーブンの前に置いた。そしてお菓子の盛られた皿を中央に置く。

 皿の上には麦とドライフルーツを長方形に焼き固めたお菓子がいくつも乗っていた。


「こらノラン。それはお客さまとお父様の分よ。あなたには後であげます」


 さっそくお菓子を手にとってかぶりつこうとした少年ノランを見て、メイベルが言う。


「はい……母様かあさま」ノランはしゅんとした様子で菓子を皿に戻す。

「私は紅茶だけいただくよ。食べなさい」


 ノランはスティーブン、メイベルの順に顔を見る。メイベルは仕方がないといった感じでため息を一つつくと、息子に頷いてみせた。

 母親の許しが出たことで、今度こそノランはお菓子にかぶりつく。よほどこのお菓子が好きなのだろうか。浮かべる表情は満足げだ。


「慌てて食べて喉に詰まらさないようにね。あとでミルクを持って来てあげるから」


 そう言ってメイベルは部屋を後にした。菓子を包みに行ったのだろう。


「太陽の呪いと祝福を受けた氏族……か」スティーブンが口を開く。「太陽の光に焼かれることはないが、寿命という呪いを与えられたというが私はそうは思わん。人と吸血鬼を繋ぐことができるのだから」


 スティーブンはメイベルが出て行った扉を見ながら言葉を継ぐ。そしてノランに視線を移した。


「ノランを連れてぜひ一度、うちへ来るといい」

「博士の家へ?」ライナーが応える。

「ああ。うちにも君の息子と歳が近い孫が二人いる」


 その言葉にノランが顔を上げてスティーブンを見る。


「一人は生まれつき体が弱くてね。部屋に籠もってばかりだ。もし良ければ友達になってやって欲しい」

「いいよ!」


 スティーブンの言葉にノランは元気よく頷いた。


        ☆


「ノラン、もう着くぞ」


 助手席で眠っていたノランが、スウェイズの声で目を覚ます。

 二人の乗った蒸気自動車スチームカーは田園の広がる道路を走っていた。舗装されていない、土を押し固めただけの道路。車の移動にあわせて土煙を上げている。

 車の進む先に見えるのは古い町だった。かつては町を囲っていたであろう城壁はすでになく、建物はその外へと広がっている。


「なぁスウェイズ。キミはカプラン博士のことを覚えているか?」

「爺さんの? なんだいきなり」


 スウェイズは横目でノランを見る。ノランは窓から外を眺めていた。


「懐かしい夢を見たんだ。父様に母様。そしてカプラン博士がいた」

「……変わり者の爺さんだったのは良く覚えている。だが一緒過ごした記憶は少ないな。吸血鬼の研究だと言って、いつも各地を回っていたから」


 しんみりとした調子で言葉を紡ぐノランに合わせるように、スウェイズも静かに答える。


「だが」スウェイズは言葉を続ける。「帰ってきたら必ず俺に土産話を聞かせてくれた。外に出ることがなかなか出来なかった俺には、それが楽しみだった」

「そうか……」

「で、どんな夢だったんだ?」

「何がだい?」

「夢の内容だよ。お前の両親とうちの爺さんが出てくる夢の」

「内容は……忘れたよ」


 顔を外に向けたままノランは言う。その視線は流れる景色とは違う、どこか遠くを見ているようだ。


「おい」呆れた表情を浮かべてスウェイズは言う。「わざわざ爺さんのことを覚えているかなんて訊いておいて、内容の方は覚えていないのか」

「よくあることじゃないか。起きてしまうとどんな夢だったか忘れることなんて」


 ノランがスウェイズの方を向いた。人の良さそうな笑顔を浮かべ、肩を竦めてみせる。


「僕はね、カプラン博士には感謝しているんだ」


 ノランは正面を向き、両手を頭の後ろへやるとそのまま背もたれへ体重を預ける。そして決して広くはない空間で、器用に脚を組んだ。


「両親を殺された後、吸血鬼である僕を引き取ってくれた。そして何よりキミたちと引き合わせてくれた。今はキミたちだけが僕の家族だ」

「……ノラン」

「おいおい。しんみりするなよ。僕は悲しくて言ってるんじゃあない」おどけた調子でノランは言う。「シャノンの婆さんの依頼をさっさと片付けて、マデリンの所へ帰ろうじゃないか」


 車は田園地帯を抜け、町の中へと入って行った。

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