03:付託
ノランたちが入ったのは
錆びた鉄の匂いに、ノランの鼻孔がくすぐられる。
「よく来た」
マーシャとは別の、
流れ落ちる黄金の滝のごとき金色の髪。どこまでも白く透きとおるような肌。美しい女性だった。血のように赤い唇に扇情的な笑みを浮かべ、青い瞳でノランたちを見つめている。体を纏うのは胸元の大きく開いた黒いドレス。
この屋敷の主であるシャノンだ。手には赤い液体の入ったワイングラスを持っていた。
「昨夜はご苦労だったな、スウェイズ・カプラン」
シャノンの言葉にスウェイズは胸に手をあて軽くお辞儀をしてみせる。その仕草は格好と相まってまるで執事のようだ。
「お望み通り来たよ、シャノン」ノランが言った。「昨日捕らえた吸血鬼が何か喋ったのかい?」
「あの吸血鬼ならすでに処分した。今夜は別件で来てもらったのだよ」
「処分とは相変わらず手厳しいね。誰かの眷属だったら揉めるかもしれないのに」
「ふん。ただのはぐれ者だったよ。仮に眷属だとしても、欲望のままに狩りをするような輩を放っておくなら、主従共々処分だ」
そう言ってシャノンはニヤリと笑ってみせた。扇情的な唇から牙が覗く。対するノランは肩を竦めてみせる。
「この街でタフサルサラスには逆らえないからねぇ」
「ふん。バルツァベルの奴らなら喜んで喧嘩を売ってくるだろうがな。だがそういう話ではない。昔とは違う。今は
「三百歳を越える、お婆さまの言うことには重みがあるねぇ。シャノン・タフサルサラス・サトクリフ」
ノランの背後に剣呑な気配が生まれた。マーシャがノランを睨み付けたのだ。しかしノランに気にした様子はない。
「百歳にも満たぬ小童が。この街で私にそのような口を利くのはお前くらいなものだよ。ノラン・ソラス・ラティマー。呪われた定命の氏族よ」
どこか
「で、今夜はどういうご用件で?」
「グレールという町は知っているか?」
「さぁ? スウェイズは知ってる?」
ノランは横に立っているスウェイズを見た。彼はシャノンに視線を向ける。そして彼女が頷くのを確認してから口を開いた。
「確か、西の方にある古い田舎町ですね?」
「そうだ。三十年ほど前だな。そこに住み着いた吸血鬼がいる。名はザビエラ・オグデン」
「ザビエラ・オグデン……氏族を名乗らないということは、タフサルサラスの眷属?」
ノランの言葉にシャノンは軽く頭を横に振る。
吸血鬼は基本、生殖によって個体を増やすことはできない。心臓の動きを止めた人間に吸血鬼の血を与えることで彼らは増えていく。
そして吸血鬼になった者は〝子〟か〝眷属〟のどちらかになる。その違いは氏族の象徴である
「いいや。最初に挨拶に来た時には、はぐれ者だと言っておったよ。隠匿しているのでなければな」
だが、従者であっても必ずしも主人と一緒にいるわけではない。
血を与えてくれた吸血鬼が何らかの理由で滅びた場合。または主人から追放された場合。更にはそれ以外の様々な理由で主従関係を絶った眷属を〝はぐれ者〟と呼んでいた。
「ここに挨拶に? じゃあシャノンは……というかタフサルサラスが許可したんだ?」
「当時、あの辺りに住む吸血鬼はいなかったからな。氏族議会の掟さえ守るのであれば――と私が許可した」
シャノンがワイングラスを傾けて中の液体を飲み干した。そして味わうように喉を鳴らす。
「お前も飲むか?」
唇についた赤い液体を舐め取り、恍惚とした表情でシャノンが言う。
「いや結構。僕はシャノンたちほど血を飲む必要はないからね」
「ふん。ソラスは血の扱いに長けた氏族だったな」シャノンは机にワイングラスを置いた。「そのザビエラだがここ数年、行動が目に余るようになった」
「町の人間を次々に襲い始めたとか?」
「そこまで愚かではない。ザビエラは色々な地域から孤児を集めて糧としているのだ」
シャノンの台詞を聞いていたスウェイズの表情が僅かに曇った。だがそれ以上の変化は見せない。
「あれれ。まさか孤児たちが可哀相だから止めさせろって?」ノランはからかうように言う。
「馬鹿を言え。人間共の心配などしておらん。ただ、奴は手広くやり過ぎた。氏族議会を通して抗議が入った。餌場を荒らす者がいるからなんとかしろとな」
言いながら、シャノンは片手を払うような仕草をしてみせる。浮かべる表情はうんざりといった様子だ。よほど強く糾弾されたのだろう。
吸血鬼は人間社会に紛れて生活しているが、その裏で独自のコロニーを形成している。
太陽の下では生活できず、人間の血を糧とする必要のある彼らは、いくつかの規則を自らに課していた。それぞれが無秩序に生活していては人間との全面戦争になりかねないからだ。
それを決めているのが、始まりの七氏族によって作られた氏族議会だった。
「この辺りはタフサルサラスの縄張りだからね。文句はシャノンに来るわけだ。で、今度はそのザビエラを捕らえて来いって?」
「警告は何度か送ったが、すべて無視を決め込んでいる。捕らえる必要はない――奴の心臓を砕け」
シャノンは真っ直ぐにノランを見て言う。射貫くような彼女の視線。青かった瞳がいつの間にか赤く変わっている。部屋の温度が僅かに下がった。スウェイズの体が強ばり、マーシャが思わず息を飲む。
ノランは視線の圧力などまったく感じていない様子で口笛を吹いてみせた。
「僕に
軽い口調ではあったが、シャノンを見返す表情は挑戦的だ。緊迫した空気が部屋に満ちた。それも十秒ほどだろうか。先に表情を緩めたのはシャノンだった。
「これは命令ではない。私からの依頼だよ。お前たち〝ヴァンパイア〟リサーチセンターへのな」
シャノンは胸の間から洋封筒を取り出すと机の上に放った。重い音を立てて封筒が机の上に落ちる。
「紙幣で二十万リスタルある。前払いだ」
シャノンが言う。ノランはスウェイズを見て頷く。それを受けてスウェイズが封筒を手にとり、中身を確認する。
「確かに。この依頼、お受けしました」スウェイズがシャノンを見て言う。
「ふん。良い報告を待っているぞ」
そう言ってシャノンが軽く手を振った。同時にマーシャが扉を開ける。
ノランはそのまま背を向けて、スウェイズはシャノンに一礼をしてから部屋を出て行った。
「あの二人に任せて良かったのですか? 盟約を結んでいるとはいえ、ノラン様はソラス。カプランに至っては人間です。これでは他の氏族に対し示しがつきません」
二人が出て行った後、扉を閉めてマーシャが言う。
シャノンは気怠そうな様子でワイングラスを手に取った。マーシャが慌てて瓶を持ち寄り、グラスへと赤い液体を注ぐ。
シャノンはグラスを目の前で揺らしてみせた。錆びた鉄の匂いが部屋の中に広がる。
「ザビエラの件に関しては、教会の連中が目を付けたという話が流れて来た」
シャノンの言う教会とは、この世界で最大の信徒数を擁するカミール教のことだ。カミール教は人間としての生を終えて吸血鬼として甦る彼らを、神の摂理に反した異端と定義していた。
「ならば尚のこと、カプランのような人間の手を借りずに我々で始末をつけるべきでは? ヒスマエル共を滅ぼす為にも」
言いながらマーシャは気色ばむ。そんな彼女を、シャノンは癇癪を起こした幼子を見るような表情で見返した。
「ふん。ザビエラ如き小物では、教会の犬に成り果てた裏切り者共を出しはせぬよ。ヒスマエルは腐っても始まりの七氏族の一つ。教会の切り札だ」
シャノンは眉根を寄せて汚いものでも見るような表情を浮かべる。
「それにあの二人には貸しがある。特にカプランにはな。せいぜい働いて貰おうではないか」
先程までのうんざりとした表情からは一変し、愉快そうにシャノンは言った。
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