02:日夜
太陽はすでに中天にさしかかろうとしていた。石畳で舗装された道路では
ノランはそれを横目に歩道を悠々と歩いていた。黒茶色のジャケットに同色のズボン。下には襟高の白いシャツに刺繍の入ったベストといった姿だ。
まだ少年っぽさを残した面立ちに楽しそうな笑顔を浮かべている。実際に楽しいのだろう。歩きながら鼻歌を歌っている。鮮やかな赤毛がそよ風に揺らいだ。
ノランは石造りの建物が並ぶ通りを進み、四階建ての建物の中へと入る。階段を上り、掛け看板のある扉の前で一度立ち止まった。
木製の丈夫な扉で大きめの掛け看板が掛かっていた。随分と古い木製の看板だった。中央よりやや下には『リサーチセンター』と書かれている。その上にも文字があったが、こちらは掠れて読めない。
ノランはひと呼吸置いて、扉を思いっきり開く。
「やぁやぁ、みんな昨夜はごくろうさま」
そう言ってノランは室内を見回した。
五メートル四方の部屋には机が三つと小さな応接セットが一つ。本棚がいくつも並んでいた。その机の一つに座ってタイプライターを打っていた女性が振り向く。
質素なワンピース姿の十代後半の女性。長いブルネットの髪を後ろで纏め、冷めた目と表情でノランを見ている。
「おお、マデリン。夜更かしは美容の敵だって言うけど、相変わらずキミは綺麗だね」
ブルネットの女性――マデリンに向かってノランが言う。
「そういう貴方は、相変わらず軽薄ですね」表情を変えることなくマデリンが返す。「私が帰るまでに出勤してくれてよかったです。
「うへぇ。呼び出し? タフサルサラスの婆さんに会いたくないから、スウェイズに運ばせたのに」嫌そうな顔をして言う。「そういえばスウェイズは?」
ノランは再び、室内を見回した。室内にはノランとマデリンの二人しかいない。普段、もう一人が座っているはずの机にも、来客用の応接セットの場所にも人影はなかった。
「兄様は別件で朝から外出中です」
「あいつが帰るの一番遅かっただろうに、真面目だねぇ」
「貴方が不真面目なだけです」
マデリンの言葉にノランは肩を竦めてみせた。
☆
「スウェイズ、キミ疲れてるだろ? 運転変わろうか?」
ノランが運転席のスウェイズを見て言う。黒髪の整った顔立ちの青年。黒いスーツ姿に白い手袋をしている。
「冗談はよせ。お前の運転は危ない。昨日だって危うく事故になるとこだったんだぞ」
スウェイズは助手席のノランを横目でチラリと見て言う。
「あれは急いでたからだよ。今夜はゆっくり走るさ」
「そしてシャノン様の屋敷には行かないわけか?」
「ちぇ。バレてたか」ノランは両手を頭の後ろで組んだ。「僕があの婆さん苦手なの知ってるだろ? だから昨日だってキミに、あの吸血鬼を連れていかせたんだから」
「その時に言われたんだよ。話があるからお前を連れて来いって」
「話……ねぇ。どうせまた面倒事を押しつけられるんだろうなぁ」
ノランは口を歪めながらぼやいてみせる。
「かもな。だが仮にも俺たちの
「さしずめ僕たちは資本主義の悲しき奴隷だね」
真面目な口調で話すスウェイズとは対照的に、ノランはおどけた口調で言葉を返す。
車は夜の街を走り続けた。技術革新の波を受けて近代化の進むポプラスではガス灯が随所に設置され街の闇を駆逐していた。ここ数年に建てられた建造物には電気の照明も使われ始めている。農村部からの人口流入もあり、都市としては急成長を遂げていた。
そんな街の外れにある大きな屋敷に、ノランたちの乗る車は入っていった。古いが立派な屋敷だ。
車寄せに停めて、二人は車を降りる。ノランとスウェイズが並ぶと頭半個分スウェイズの方が高い。
二人が玄関に辿り着くのと同時に扉が開いた。メイドが一人、出迎えるように立っている。茶色い髪をした二十代半ばの女性。表情から気の強そうな印象を受ける。
「ノラン様、お待ちしておりました」
メイドはノランを見て頭を下げた。横に立つスウェイズには一瞥をくれただけで言葉すらかけない。
「マーシャ。スウェイズは僕の眷属じゃない。家族だ。いくらキミがシャノンの眷属だからといって、彼はぞんざいに扱っていい人間じゃないよ?」
メイド――マーシャに向かってノランは言う。その顔には笑顔を浮かべていたが、目は笑っていなかった。マーシャの顔が一瞬引きつった。だがそれもすぐに引っ込める。そして何事もなかったかのようにスウェイズを見て頭を下げた。
「……失礼しました」
それだけ言うと、マーシャ二人を案内するように屋敷の中へと入っていく。廊下には壁掛けの照明器具。そこから発する光が、揺らめきながら屋敷の中を照らしている。
「すまないスウェイズ。キミへの対応は一向に改まらないな」
「別に気にしてない。彼女、あれでも必要最低限の会話はしてくれる。問答無用で襲われるわけじゃない」
ノランとスウェイズは歩きながら言葉を交わす。
「襲って来たとしても、キミに勝てる吸血鬼なんてそうはいないだろうしね」
ノランの台詞に前を歩くマーシャの背中がピクリと反応した。彼女の足が止まる。彼女の目の前には大きな扉があった。
同時にノランたちも足を止める。それを確認したかのようなタイミングでマーシャは目の前の扉を叩いた。
「ノラン様をお連れしました」
「入れろ」
中から女の声で返事が返って来た。マーシャが扉を開き、入り口の横へと体をずらす。そしてノランたちの方を向いた。
ノラン、スウェイズの順に部屋へと入って行く。
「図に乗るなよ、人間」
スウェイズがマーシャの横を通り過ぎようとした瞬間、彼にだけ聞こえる声でメイドは囁く。スウェイズは表情を変えることなく、軽く頭を下げて通り過ぎた。
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