第106話 ニコルの売買

『それでは、次の奴隷になります』


『金貨150枚!』


『金貨155枚!』


『金貨158枚!』


『くっ……!』


『他にいらっしゃいませんか……? 32番の御客様。金貨158枚での落札となります。支払い・引き渡し、奴隷契約に関してはオークション終了時に順次行いますのでお待ちください。おめでとうございます』


 先程から何度も奴隷が落札されていくさまを、俺とガーネットは見ていた。


 同じ”人間”が売買されていることについて、思わないところがないわけでもないのだが、奴隷を扱う商売はあくまで救済活動の一つなのだとパセラ伯爵に教えてもらった。


 貧困差や飢饉など、放っておけば食うに困って飢え死にするしかない民衆も存在する。


 奴隷になることで家族も食い扶持を減らすことができ、結果として多くの命が救われる。


 それどころか、奴隷になれば衣食住が保障されるので貧しい家では奴隷商に頼み込んで子どもを売る親などもいる。


 中には、非人道的な扱いを受ける場合もあるのだが、元々の生活基準が低かった人間にしてみればそれ以上の底はないので大した違いはない。


 あくまで、俺の感情的に納得できていないだけで、奴隷制度は必要なのだろう。


 ふと温もりを右手に感じる。横を見るとガーネットが自分の手を重ねてきていた。


「きっと、あの奴隷さんも、良い主人に巡り合えると思います」


「ん、そうだな」


 俺の内心が複雑なのを見抜いたのか、ガーネットが微笑みかけてきた。俺はそれですこし救われた気分になった。


「それより、ここまで他の連中が動く様子が見られない」


 意識をオークションへと戻す。


 オークションに参加する際、事前に各ギルド口座の残高証明を提出する必要がある。


 自分の貯蓄額を提示することでその金額まで入札することが許されているのだ。


 これは、参加者の身元を保証する意味もあるのだが、落札しておきながら後になって支払えませんなどとゴネるオークション荒らしを排除するためだ。


 どこにでも横暴な連中はいるらしく「思っていたよりも残高がなくて買えない。すまないなー」など故意ではないと主張する質の悪い者も存在するらしく、頭を抱えた奴隷館側がこのルールを必須とした。


 クランや商会の人間であれば、個人口座ではなく商用口座を晒しているのだろうが、自分たちの財産のすべてを晒すのはあり得ないだろうから、口座に入っているのは、あらかじめオークションで使う予定の金額までだろう。


 要注意人物たちには他の奴隷を買ってもらい、資金を削って欲しかったのだがそうは上手くいかないようだ。


「あの方たちもやはり後半に狙いがあるのではないでしょうか?」


 高額の奴隷程、出番が後に回されている。


 これまで、彼らが他の奴隷に見向きもしなかったことから考えても、狙っている奴隷がいるのは明らかだ。


 嫌な予感がする。相当な金を用意してあるつもりだが、彼らが相手はでは準備不足かもしれない。


 そんなことを考えていると……。


「「「「わっ!」」」」


 会場が盛り上がりを見せた。



『次の商品は……元Aランク冒険者にして、闘技大会で準優勝したニコル。ちなみに彼は犯罪奴隷となりますので、購入時に幾つかの行動制限があります。そのことを踏まえての入札をお願いします』


「あの方は……」


 ガーネットが俺の手を強く握りしめる。まるで親の仇を見るような目をしてニコルを睨みつけていた。


「ガーネット」


 呼びかけると彼女が振り向いた。


「俺のために怒ってくれるのは嬉しいけど、手が痛いから力を抜いてくれ」


 冒険者としてダンジョンに籠っている間に差がついたのか、筋力は彼女の方が高い。


「あっ、申し訳ありません」


 彼女が頭を下げていると、


『それではアピールをどうぞ』


 司会がニコルに促した。


「私は、王都で五年冒険者として活躍してきた。貴族や商人の護衛やダンジョンでの探索まで、非常に有用だと自負している。もし買ってくれたら必ず役に立つことを約束しよう」


 ニコルが必死に訴えかける。


 これまでの実績があるので、すぐに入札が入るのかと考えたのだが……。


『んー……。でもお漏らしはちょっとなぁ』


『あの失態を見た後だとね』


『購入したら我が家の品格が疑われますわ』


 商人や貴族の反応は冷めたものだった。


 まるで汚物を見るかのようにニコルへと視線が注がれている。


「なっ! それはっ! ちがっ……!」


 焦って言い訳を述べようとするニコル。


「どうやら、これまでのオークションでも入札がなかったため、最低落札金額が下がった状態のようですね」


 闘技大会で痴態を見せたニコルは、商人や貴族といった体裁を気にする参加者からの評価がすこぶる悪いようだ。


 狼狽えたニコルは誰か買ってくれないかと思ったのか、こちら側を見渡す。そして……。


「お、お前はっ!」


 俺と目が合うと睨みつけてきた。


 奴と俺の因縁は複雑で、命を奪われかけたので俺も良い感情は持っていない。


「おそらくですが、今回で買い手がつかなければ犯罪奴隷の彼は過酷な土地での開墾を強いられることになるのでしょう」


 ガーネットが耳元で囁いた。


『頼むっ! 誰か買ってくれっ!』


 俺を見返したいのか、このまま未開の地に送られるのが嫌だからか、ニコルは必死な様子で参加者に呼び掛ける。


 俺たちはそれをじっと見ていると……。


『気に入ったわ。金貨50枚で入札よ』


 例の変態貴族婦人が入札してきた。


「や、やったぞ!」


 ニコルの表情に笑みが浮かぶ。最悪の地獄から脱出できたことが嬉しいのだろう。


「ふふふふふ、あれだけ強い人間が私のペットに蹂躙されてどんな声で鳴くのか今から楽しみだわぁ」


「へ?」


 ニコルの目が点になる。


 恍惚とした表情を浮かべる貴族婦人。彼女に関しては既に醜聞知れ渡っているので体裁など気にする必要がなかった。


「ふむ、確かに活きがよいな。この前の実験体は壊れてしまったし、ここらで仕入れておくか。金貨60枚!」


 怪しい実験を行っている錬金術士の男も興味を惹かれた様子で入札をしてきた。


「奴隷は貧弱な者が多く簡単に壊れてしまうが、元Aランク冒険者なら丈夫なのだろう? これまでできなかった苦痛を伴う実験が捗りそうだ」


「は?」


 ニコルの口が開いたまま震える。


「ふぅむ、良い戦力になるかと思って見に来たが、どうだ?」


「私の見る限り、力を落としているようですね。あれではAランクは怪しいです。今回は見送るのが正解かと」


 Aランククランの二人がニコルを見てそんな会話を繰り広げている。


 無理もない、ニコルの職業は『パラディン』から『見習い冒険者』へと変更済みだ。

 これまでの職業補正がないので弱くなっているという印象は間違いない。


 そうこうしている間にも変態貴族婦人と狂錬金術士が入札を繰り返していく。


 未開の地以上の酷い扱いが約束されているニコルは次第に表情が青ざめていくと……。


「た、頼むっ! 助けてくれええええええ!」


 俺に向かって叫んできた。


 先程、買われていく奴隷たちをみて「良い主人に出会えるように」と祈った俺も、流石にこれには少し同情してしまう。


「ティムさん。救うべき対象を見失ってはいけません」


 決して買えないわけではないが、ここでニコルを買ってしまうとフローネを救うことができなくなってしまうかもしれない。


「すまないな」


 俺は奴に伝わるように右手を上げてみせる。


『金貨97枚。他にありませんか? それでは45番のお客様が落札されました。犯罪奴隷の取り扱い事項の説明がありますので、オークション終了後にお越しください』


「ああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!」


 狂錬金術士に落札されたニコルはそのまま床に頭をこすりつけて叫び声をあげるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る