第22話 失いたくないのなら

 紗矢音と桜音を前にして、化生は驚いたようだった。

「キーーーッ」

 角を持つ化生は、突然奇声を発した。それは風を震わせ、邸をも揺らす。

「何が」

「! ……紗矢音、気を逸らさないで」

「えっ……!?」

 桜音の声を受けて見れば、化生がぶくぶくと肥大化を始めた。泡立つように皮膚を膨らませ、見る間に倍、倍に大きくなっていく。

 更に真っ二つの亀裂が入ったかと思えば、二体の化生へと姿を変えた。さっきの三倍はありそうな大きさが、二体。

 ドスン、と同時に前へと足を踏み出す。それだけで地が揺れ、紗矢音は小さな悲鳴を上げた。

「このままでは、邸も桜も潰される……だったら」

「桜音どの!?」

 呟くような言葉に、紗矢音は手を伸ばす。しかし桜音はその手を取ることなく、紗矢音を突き放すように二人の間に結界を張った。

 紗矢音は結界の壁に手をつき、何とかして破ろうと叩く。

「桜音どの!」

「紗矢音、きみはよく頑張ってくれたよ。だから、ここからは僕が」

「待って……!」

 紗矢音の叫びを背に、桜音が地を蹴った。目にも止まらない速さで二体の化生に接近すると、手にした刀の斬撃を浴びせかける。

「はあっ!」

「キャウッ」

「ギャウッ」

 一体を袈裟斬りにしようとしたが、もう一体に邪魔される。全く同じ姿かたちを持つためか、桜音の目にぶれて映った。

 だからだろうか。突然仁王立ちしたもう一体に、桜音は真正面から殴られた。

「がっ……」

 止まることも許されず、桜音の体は千年桜に叩きつけられる。ぐわんっと幹が揺れ、何枚もの花びらが散った。

「――桜音ッ」

 涙声の悲鳴を上げ、紗矢音は刀を抜く。まずは、この結界から出なければ。そう決めて結界の壁に斬りつけるが、手ごたえはまるで無い。

「くっ……何で、斬れないのっ? 桜音どのの傍に、行きたいのにっ」

 刀を握り締める手は、力を入れ過ぎて白く変わっている。力任せに斬りつけても、結界はぶれもしない。

 目の前で、崩れ落ちたまま動かない桜音がいる。彼に向かって、化生たちが近付いて行く。あのままでは、殺される。

「……嫌」

 化生の一体が大口を開ける。あの人の大きさしかない体の半分が口となり、唾液にまみれた口腔が広がっているであろう様子が見える。そんな危機に陥っても、桜音は動かない。

 数え切れないほど壁を叩いても、傷すらつかない。紗矢音の手は傷だらけになって、血さえ出しているというのに。

「嫌、いやだ。……失いたくない。嫌」

 頭の中が黒く塗り潰される。自分が彼をどう想っているのか、まざまざと自覚させられる。こんなにも怖いのは、ただ護りたい存在だからというだけでは足りない。

 紗矢音はずるずると地面に座り込むと、血のにじむ手で胸元を握り締めた。

「わたしは……っ」

 非力な自分。特別な存在などではない、ただの小娘。重々承知していたはずの現実を、一時でも忘れたのがいけなかったのだろうか。こんな娘では、護りたいものすらも守れないのか。

(もう、後悔したくない。……、想いを伝えられないままだなんて、絶対に嫌)

 突然、紗矢音の視界が薄紅色に染まった。目の前を数え切れない桜の花びらが舞い踊り、紗矢音は自分が桜吹雪の中心にいるのだと知る。何処からやって来た花びらかと出どころを探すが、足元から溢れ出す薄紅の光は探させてくれない。

 火傷しそうな熱を感じ、手元に視線を落とす。そこには桜色に輝く刀があり、自分を使えと主張している。

 紗矢音は息を呑み、刀を手に立ち上がった。指の痛みも、胸の痛みも、今はどうでも良い。ただ、強く念じる。

(桜音どのを、死なせない!)

 力が湧く。桜の花びらに背中を押されるような気がして、桜音が「来い」と言ってくれているような気がして。紗矢音は渾身こんしんの力で、上げた刀を振り下ろした。


 同じ頃、守親は自室で目を覚ました。気持ちよく眠っていたはずが、夢の中で揺れを感じたのだ。

「これは一体……」

 グラグラと揺れ、やがて収まる。それにほっとしたのも束の間、何処からか甲高い奇声が聞こえて来た。

 更に化生特有の力の気配と、巨大な力の波動を感じる。体が痺れるような、動けなくなるような緊張を覚え、守親は己を鼓舞するためにグッと拳を握り締めた。

 廃社の化生を滅して、あまり日は経っていない。しかし時の経過を考えるような優しさは、敵にはないということか。

 父は無事か、家人たちは。守親は確かめに行こうと立ち上がったが、それが杞憂だったとすぐに知ることになる。何故ならば、邸全体に結界という見えない守りが張り巡らされているからだ。

 守親が結界に気付くことが出来たのは、明信の寄越した式のお蔭だ。燕の形をした式が守親の行く手の先に行き、つんつんと何もない所をくちばしでつついたのだから。

 見えない壁に触れ、守親は眉間にしわを寄せた。

「……出られない?」

 妖しい気配は、庭から漂う。しかし守親の行く手は阻まれ、そちらに向かうことは叶わない。守親は歯を食い縛り、気配の元を辿った。

(千年桜の庭の方角。……紗矢音?)

 強烈に溢れ出すのは、妹のものらしき力の波動。その激しさに、守親は危機感を抱いた。

「――紗矢音」

 滅多に呼ばない妹の真名を呼び、守親は己の霊力を解放した。

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