第23話 桜花秘伝
桜吹雪に巻かれ、それでも見るべきものは明瞭に見える。紗矢音は心に浮かんだ言葉のまま、心の赴くままに刀を振るった。
「
地へと真っ直ぐ振り下ろされた刀の軌跡から、桜の花びらのような光の粒が溢れる。その光は四方へと弾け飛び、結界の壁にひびを入れた。
──ピシッピシッ。
何度もぶつかるうち、やがて壁に穴が空く。穴は徐々に大きさを増し、数を増やし、結界を崩壊させた。
「ギギッ?」
パリンッという大きな音に驚き振り返った化生に向かって、斬撃が飛ぶ。首を傾げた格好のまま、化生の一体は体と頭が永遠の別れを告げた。
「ギッ!?」
「逃がさないっ」
自らの片割れが消えたためか、残った化生は大慌てで邸の外へと飛び出そうとする。しかし塀へと向かった化生は、それ以上進むことを許されなかった。
「桜花秘伝──
「兄上……」
邸を包む結界が強化され、簡単には何者も出られない。その結界を構築したのは、渡殿から庭に躍り出た守親だった。
荒く息をしながら、紗矢音は兄を呼ぶ。しかし守親はそれを良しとせず、鋭い声を上げた。
「止めを刺せ! 俺が絶対に外には出さない!」
「──はいっ」
紗矢音は改めて化生へと目を走らせる。化生は結界の壁に行く手を阻まれ、苛ついたように突進を繰り返していた。
化生の背後に立ち、紗矢音は荒ぶる心を静めるように深く息を吸う。
「これ以上、傷付けさせない」
吐き出した息と共に、気合いが放たれる。
化生が気付いた時には既に遅く、体を真っ二つに両断されていた。体は灰となり、夜風にさらわれて消えていく。
異形の気配が消え、守親はほっと胸を撫で下ろした。
「消えた、か」
「──っ、桜音どの!」
悲鳴に近い叫びが紗矢音の口から飛び出し、次いで桜音へと駆け寄る。
桜音はぐったりと瞼を閉じていたが、紗矢音の呼び声に反応を示す。わずかに瞼が震え、薄紅色の瞳が覗いた。
「さや、ね……僕は」
「化生のものは、倒しました。……目覚めてよかった」
「紗矢音、泣かないで。ありがとう、倒してくれて」
ぺたんと座り込んで小さく震えながら、紗矢音は桜音の狩衣の袖をつまんでいた。ぽろぽろと流れる涙を桜音の指で拭われ
「わたし一人じゃ、ありません。桜音どのがいてくれるから、兄上が助けてくれたから、わたしは……」
「桜音どの」
泣くのを必死で
「桜音どの、お怪我を」
「僕のは、自分で治せるから。それよりも……来てくれてありがとう、守親。きみもそうだったんだね」
「きみも?」
「……何でもないよ」
桜音は首を傾げる守親に微笑み、彼の手にそっと触れた。守親の指は傷だらけで血がにじみ、ここに来るまでの苦労が忍ばれる。
「桜が張った結界を越えて来たんだろう? よく、破って来てくれた」
「なかなか固かったですが、どうにか」
苦笑し、守親は腰の刀に触れた。そこには、紗矢音の刀と同じように輝きを漏らす刀がある。
守親は日本刀を抜くと、刃を横にして桜音と紗矢音に見せてくれた。淡く光る刃には、桜の花と枝の模様が浮き上がっている。
美しい文様を見て、紗矢音は目を輝かせた。
「とっても綺麗……」
「おそらく、お前の刀にも同じような文様が浮き出すはずだ。桜音どの、これは……?」
守親が桜音に尋ねると、桜音は切ない表情を浮かべて刃に指をはわせた。刀の刃の平らな部分を撫でると、光はゆっくりと消えていく。
「これは、桜守である守親と紗矢音が持つ得物だからこそ覚醒したんだと思う。桜の霊力と繋がり、より大きな力を出せるようにね」
桜音の説明によると、桜の紋様は千年桜の力が宿った武器にのみ見られる現象だという。そして千年桜の力を借りられる人物は、桜守以外にあり得ない。
「いつか、話さなければならないと思っていたけれど。きみたちは……くっ」
「今は、傷を癒すことが先決です。兄上」
「そうだな。邸の塀も、あのままではまずい」
守親の言う通り、邸の塀には大きな穴が開いていた。角を持つ化生が暴れ回った時、何度もぶつかったからだろう。
明日の朝には職人を呼ぶという守親に促され、紗矢音は桜音の体を支えて立つのを手伝った。桜音の腹は、化生によって殴られたことによってうっ血している。更にぶつかったことによって背中にも傷が見られ、紗矢音はその痛々しさに目を背けたくなった。
「……部屋に、傷を癒す薬があったはず。桜音どの、痛むでしょうが少し我慢していてください」
「ありがとう、紗矢音。ある程度落ち着いたら、僕の力だけでも治せるから。少し、力を貸して」
「はい」
守親は几帳を上げ、二人が通りやすいようにしてやる。妹たちが腰を下ろしたのを見計らい、守親は父らの様子を見るためにその場を離れた。
「『きみたちは』……か。俺たちが、何だというんだ?」
桜守という稀有な役割を持つ。それ以外にもわが家には秘密があるのか、と守親は首を傾げる。それでも、それが大切な者たちを守ることに繋がるのならばと決意を新たに一歩踏み出すのだった。
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