第3話

 反対側通路の店の人達とは、普段、話をする事は希で、様子も分からないが、乾物屋だけは八百屋の進物棚を通して筒抜けになっていて、店の様子が手に取るように窺えた。夫婦で店を切り盛りしている。それが、この時代なのに五つ玉の大きな算盤を弾き、三円、五円を数えている。夫は嗄れた声で品物の値段を読み上げながら算盤で計算し、何十何円のお釣りと、これも声を出してお釣りを渡す。昔ながらのやり方で、この三円、五円を稼いで来たのだ。そして、その金で子供を育て家を建て、生活をしてきたのだ。その自信が態度に現れていて、自分の意見はハッキリ、明確に発言し、イエス、ノーも明快だ。その男が、どうしてか、この新しい魚屋に対する眼差しに厳しさが感じられ、なぜだろうと疑問があったのだが、お茶屋の篠さんの話では、前の魚屋の品揃えが悪くて不評で、そのお陰で乾物の干物が良く売れて儲かっていたからだと言うのだが、本当かどうか、首を傾げざるを得ないが、以前の魚屋と関係しているのは間違いない事だろう。それに、ストアーの他の店の人達は刺身など買いに来てくれるが、乾物屋だけはまだ一度も買いに来た事はない。そして、魚屋の入れ替えに反対だったと話をしていたのも知っている。そこを八百屋のオヤジがゴリ押しを通したらしく、本当の味方は大家だけで、四面楚歌の中に居るのかも知れない。

 12時を過ぎ、一段落すると、「メシに行って来い」と、声が掛かり、兄より先に昼御飯を食べに行く。兄はストアーの外に出て、向かいのうどん屋に行くが、それでは中の様子も探れないし、人とのコミュニケーションも取れない。総菜屋で稲荷寿司を二つか、お握りを買ってから奥のうどん屋へ行く。あっ、天ぷらを買うこともある。こうすれば表のうどん屋にもトッピングでは負けない。

 ストアーの北側の一番奥、右に曲がれば通路の先にトイレがあり、本当に突き当たりにうどん屋はある。七十は越えている父親と、いつも野球帽を被っている息子の二人でやっているようだ。息子と言っても、たこ焼き屋の杉ちゃんのお兄さんだから、もう良い年だ。ところが、二人とも痩せ形で杉ちゃんには似ていない。でも、お兄さんもメガネは掛けていて、それは遺伝なのかも知れない。

 ボイラーの音がした。低く響き、大きな音ではないが、昔の竈門のような作りの物に大きな釜が二つ掛けてありその下で燃えているみたいだ。一方の釜で麺を茹で、もう一つの釜の丸い木の蓋を外して柄杓で汁を丼に入れ、出す。トッピングは無い。だから惣菜の持ち込みは自由だ。いや寧ろ推奨されていると言った方が良い。初めての時に天ぷらが欲しいのなら酒屋で買っておいでと言われたからだ。うどん屋を出て入り口の右手、酒屋の壁の半分が胸までのカウンターになっていて、そこで酒屋の奥さんが天ぷらを揚げていた。そうか、油は酒屋で売っているし、ガス水道もうどん屋に近いから真ん中の総菜屋よりも有利だ。もっとも、海老天なら暮れには魚屋でも年越し蕎麦用に出すが……。

 かけうどんにかき揚げを乗せ、稲荷寿司を食べながら麺を啜る。このスーパーならではの食べ方で、主婦たちの多くが買い物をして昼御飯をここで済ませて行く。安くて合理的で早い。こちら側の通路はこちら側の通路で協力し合って営業していて、それはそれで面白くて興味深い。でも、目下の興味はかしわ屋の浮気だ。

 かしわとは鶏肉のことだが、今では西日本でしか使われていないらしい。本来は白いブロイラーではなく、日本古来の茶色い鷄をかしわと呼んだらしいが、ここら辺では逆にブロイラーでもかしわと言ったりしている。ここのかしわ屋も、段ボール箱にぎっしりと詰まって送られて来るのは、ブロイラーに違いない。しかも冷凍の……。だから国産ではないのか?分からないが、粒々の鳥肌で、首から先、膝から下を切られた姿でズラリと並んだ姿は、とても食べ物には見えず、ゴム制のオモチャみたいで面白い。そんな段ボールを幾つも仕入れているのなら、八百屋のオヤジみたいに転がして儲けているのだろう。その儲けた金で2号さんを囲い浮気がバレる。そんな風に考えた。これも噂だが、このかしわ屋も会社組織で、数店舗経営しているらしい。そら浮気する余裕も生まれようかと言うものだ。

 天ぷらを貰いながらチラッと盗み見たら、奥さんは知らぬ顔で働いていた。でも、能面のような顔で夫の方を向いてない。でも、絶対に見てると思う。情報によると初めてのの浮気ではないらしく、奥さんは慣れていて、今度も離婚はしないだろうとの話だが、あの冷たい目で見られるのは勘弁して欲しい。とても耐えられそうにない。一日、針の筵の上に座るような冷たい視線に耐え、やっとの事で愛人の元へ、それは癒されるに違いない。

 杉ちゃんはカメラだが、お兄さんは囲碁が趣味らしい。将棋なら少しは解るが囲碁は門外漢だ。だから、どれ程の腕なのか判断できないが、自慢を混ぜて話をし、徐々に話が大きくなったので、そんなに強くは無いと考え、話を逸らせて杉ちゃんの奥さんの行方を聞き出そうとしたが、何も知らないようだった。嫁として一緒に働いていたのに、事情を全く知らないとは考えられず、言えないか言いたくないのか、身内の恥を外に出せないか、何れにしろ情報はこれから先も得られないだろう。何でもない生活をしていた人が急に居なくなり、近親者にとってはどうでも良い人では無いだろうに、知らない振りをして誤魔化し、つまり自分は悪くない、あんたには関係ない余計な事をするな、って事だろう。見知った人が居なくなる、死と、どう違うのだろう。身近な人ではないので周囲の環境も変わらないだろうし、意味としては同じ、言葉の違いだけだろう。もはや死んで居ないのだ。そう思うしかない。どうせ日々の生活のなか忘れてしまい、思い出す事も無くなり、記憶も薄れて意識下に沈み、眠りに着くのだ。重要なのは働いて儲け、食べて寝て、子孫繁栄はその次なのかも知れない。

 反対に奥さんの方はどうなんだろう。多分、逃げたんだろうけど、浮気して嫌われ、諦めさせるような真似をしてまで別れたい程の理由は何なのか、知りたい。きっと不満の詰まった爆弾のような怒りがあるに違いない。それを杉ちゃんにぶつけただろうか?どうも、それなしで行ったようで、不満は抱えたまま、どうにも煮え切らないまま、終わりにしたようだ。

 「おい!変われや」兄が呼びに来た。時計を見ると1時を過ぎていた。長居をし過ぎたようだ。

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