第2話
駐車場は3階にあり、ぐるぐると回って降りて行く。古いビルで照明も暗い。そこから通りに出ると朝日に照らされた道路は向かいのビルの反射光で眩しく、思わず目を細めたら、助手席のドアガラスを叩く者がいた。止まってウィンドウを開けると、化粧品屋の菊ちゃんが大きな荷物を抱えて「魚屋さーん、これ運んで」と、荷物を窓から入れようとする。布の袋の中身はオモチャだ。ルービックキューブの赤、白、黄色、青の立方体が見えている。化粧品屋は文房具やオモチャも扱っていて、玩具問屋もこの近くにあるのだ。
「乗ってく?」兄が訊いた。勿論、軽トラは2人乗りだが、早朝なので見つかることも無いだろう。席を空けようと腰をずらせかけたが、「荷物だけ、お願い」と、膨らんだ布袋を窓から入れて膝の上に押し込まれた。これだけ大きな荷物だと、バスで運ぶのは一苦労だ。荷物が無くなつただけでも楽に違いない。偶然にも見つけられて運が良かったのだ。もっとも、魚臭い男とくっついて乗るのは御免被りたかったのかも知れない。
裏の狭い駐車場から店に入り、先に入り口の化粧品屋まで袋を持って行き、置いて帰ろうとしたら、小母さんが、「菊は?乗って来たの?」と言ったので、「荷物だけ」と、答えておいた。この小母さん、芸者だったとの噂が頻りで、もうお婆ちゃんなのに、どこか艶めいていて、歩き方も、まるで着物を着ているような風情がある。そして鼻に掛かった声で話し、甘えるような響きがある。八百屋の息子と娘の話には乗り気で、玉の輿だと考えているのでは無かろうか。そこには打算と下心が見てとれ、結婚に纏わる思惑が渦巻いていて、想像するだけで面倒だ。そんな事には関わり合いにはなりたくない。そして、そんな駆け引きでする結婚なら、しない方がましな気がするが、それも子供じみた理想でしかなく、現実的では無いのかも知れなくて、どこかにフワフワとしたおとぎ話のような事を望んでいる自分がいるのかも知れない。だからテレビのワイドショーなんかの愛憎劇を観ても、どこか他人事に感じられて実感がない訳で、これが現実となれば違うのか、まだ解らない。とにかく、触らぬ神にナンとやらなのだが、八百屋の方はと言えば、オヤジは賛成なようだが、奥さんは、どうもいい顔はしていない風に見える。だが、一人息子が選んだ相手、表立っては反対出来ないのか、曖昧な表情をしている。この分だと嫁姑のバトルは確実なような気がして、ロミオとジュリエットが渡鬼になってしまう。まあ、まだ一緒になってもいないのに心配してもしょうがないが……。
朝は品出しで忙しい。仕入れた物だけでなく、冷蔵庫から残り物やら冷凍の物まで、また、切り身、刺身、これは兄の管轄だが、それが済むと値段を付ける。刺身を切りながら、兄は伝票をあっちこっち捲って値段を決めてゆく。それを書き留め、段ボール箱に纏めてあるスチロールの値札を探しだし、無ければ新たに書き、付けてゆく。その間にもツマを作り皿を並べ焼き台の準備、特売の品揃え。目の回る忙しさだが、慣れればどうと言うこともない。ただ、鰻の日と暮れだけはどうしようもない。半端なく忙しく、殺人的だ。
土用の丑の日に鰻を食べるのは、平賀源内のキャッチコピーが始まりなのは有名な話で、すっかり定着したどころか、猫も杓子も鰻、鰻と、全く信じられない。10日くらいに平均して売れれば良いのに、1日に集中して売れるから怪しくなる。鰻なんて焼きたてに肝吸い付きが最高なのに、それが出来ない。前日の夜に白焼きにしてストックしておき、当日にタレを浸けて焼くのだ。夜遅くまで白焼きし、朝早くから焼いても昼には売れてしまい、後は追われるばかり。しかも、駐車場を借り、プロパンガスのボンベを置いての二台焼きでこれだ。たこ焼き屋の杉ちゃんも呆れて見ていて、余ったたこ焼きやらお好み焼きを差し入れてくれるのだが、食べてる暇がない。終いには大声を張り上げて呼び込みをする始末だ。「うーなぎー」いつも声を出しているのでその声の大きくて通ること!体は小さいが陽気で喧しい。「土用の丑は、うーなぎー」
杉ちゃんの趣味はカメラらしい。「あんたの家の近く迄、行ったよ!」実家の市に新しく出来た園芸をテーマにした公園、テーマパークの事で、多分テレビのCMで知ったのだろうが、わざわざ花を撮りに行ったのだろうか。それなら奥さんを連れて行けば良いのに、と思った。どうも夫婦仲が上手く行ってないらしく、奥さんが浮気しているなんて、物騒な噂もある。良くは分からないが、杉ちゃんとうどん屋は親子でうどん屋の息子の真ちゃんはお兄さんだ。そのうどん屋の出汁を朝、杉ちゃんの奥さんが取っているらしい。どうしてそんな奇妙な事になっているのか、サッパリ解らないが、そんなこんなでの離婚の危機なのか、詳しくは聞くことが出来なかったが、奥さんは居なくなった。それでも、杉ちゃんは元気で明るいキャラクターを守って演じている。何せ見た目がドラえもん、黒縁メガネのドラえもん。でも、こうなると、オーバーな演技もギャグも、すればするほど、喋れば喋るほど、事情を知っている者にとっては悲哀が募る思いだ。案外、外で明るい分、家では無口で横暴、なんて事があったのかも知れないし、奥さん、うどん屋の手伝いもしていた様なので、そっちのトラブルなのかもと想像もするのだが、もう覆水は盆に反らない。それは杉ちゃんも解っているとは思うし、承知しているのだろうが、未練はあるだろう。自分が侏儒なのは自覚しているだろうし、二度と結婚は無理なのじゃないかと考え、それでも引き留めなかった事実は、意地を通した結果なんだと思う。最後の女と別れる決心と矜持、天秤に掛け、別れたと言うことは、やはり浮気をされていたのか、と、推理できる。
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