四節
説明
場所 ビィエリナ難民キャンプ 二〇三〇年 八月二十六日
А/4
翌朝、目が覚めた少女は臨時のカウンセラー室で取調べを受けた。お互いある程度誤解は解けた。それは幸いな事な事だったのが、詰め所への随伴者は五名。薙雲、桜井、高橋、宮内に加え石塚少佐。野外手術車内の諸々のトラブルは全て長瀬少佐が揉み消し、併せて睡眠時に採血をしたのだが、血液はいたって正常。本来数日は絶対安静だが、この結果には全員が首を傾げた。だが、問題無いと機械が判断した以上は問題が無いのだろう。そして別の問題が発生した。
「だから、駄目だって言ってるでしょう!」
朝から薙雲の怒鳴り声。桜井、や宮内も別の意味で疲れている。
「アタシの銃を返してって言ってんの! 分らず屋のイーポンスカ!」
「常識で考えて。未成年にあんなモノ渡せる訳無いでしょう? 大体、本当にあなたが手配中のスナイパーなの? それに、あなたセルビア人じゃないわね?」
もしそうならどうすればいい? チョーやばくない? NATOに引き渡したらどうなるか。
「大隊長への報告は止めてはるんですか?」
「まだ報告はしてない。君も佐賀田大将にはまだ――」
首を振る宮内。取調べ中、少女は自分がチャイルドソルジャーである事をアッサリ認め、銃を返せと喚いている。勿論そんな事は出来ないのだが――、ここで宮内が動く。
「ほな、ちぃーと待ち」
そう言って、そそくさとどこかへ消えた。あの人はいつもこうだなぁ。
数分後の後。周囲は硬直。少女も硬直。私も硬直。宮内さんが手にしていたのは、正に押収した銃器そのもの。旧ソ連製傑作セミオートスナイパーライフルSVD、通称ドラグノフ。これは私も知識としては知っているし、本国でも見た事はある銃だった。だがもう一つのけん銃。これは何なのか解らない。奇妙なけん銃だ……排莢口が左側に付いている。普通は右側か真上に付いていると思うんだけど、なんだろこの銃? 左利き用? てか、宮内さん勝手が過ぎるよ。案の定――この子は返してくれと、銃に飛びついた。
「大丈夫。これが無い限り、発砲は出来へんよ」
妙な自信。宮内さんの手に二本の撃針、つまりこのドラグノフとけん銃は発砲不能だ。憲兵の大尉は安堵した表情。勿論私も含め、他のメンバーも安堵。
「お譲ちゃん。ちょっと銃を構えてくれへんか?」
「何でそんな事……嫌だよ」
ええから、えええからと宮内。
周囲の全員が見守る中、少女は嫌々とドラグノフを構えたのだが、やはり長すぎる。少女の身長は一五〇センチ程度。対するドラグノフは全長一二二五ミリの長物だ。明らかに体系にマッチしていない。だが、それをカバーする良い構え方だった。上手くスリングを腕に絡め長い銃身を安定させているし、マズルコントロールも素晴らしい。この銃はその全長に対して軽い。旧自衛隊の64式小銃と同じ位の重量なので、子供でも使えなくもない。ようは馴れの問題だ。
次はけん銃を構えてくれと指示。渋々と宮内の指示に従う少女。宮内はドラグノフよりもこのけん銃の出所を懸念していた。けん銃の形式番号はL102A1。英国陸軍がドイツのワルサー社製P5コンパクトを採用した際の、英軍での採用名称。なぜ少女が、それもこんな場所でこれを持っているのか、宮内はそれが気掛かりだった。一般人が購入できるのはP5の方で、英軍に納品されたこれは通常なら入手できない。一通り少女の動きを観察し、宮内は石塚少佐に耳打ちする。あれは西側の動きで、持ってるけん銃は英軍の物だと。宮内はこの子に軍事教育を施したのは新ソ連と決め付けていた。その予想は、もう崩れたと言って差し支えない。
石塚は宮内から、拳銃の所在を聞き唖然とした。イギリス軍がヘリ搭乗員の護身用と、かの有名なSASが、コンシールド・キャリー(目立たず隠し持つ)用に少数採用したけん銃だと。
「分かった……取り合えず。次の引継ぎで、彼女をポーランドに移送しよう。ここに居てはろくに保護も出来ない。最悪我が国への亡命を申請をさせて、逃がす」
そう。NATOは血眼になってフランス外人部隊を壊滅に追いやったスナイパーを探し続けている。いくら未成年とはいえ、引き渡したらどうなるか想像も出来ない。そうなる位なら、日本の孤児院で暮らし、最低でも高校まで卒業出来れば何とか生きていける。通訳として働くことも出来るだろう。しかし、本当にこの子が犯人なのか?
「亡命だって!? 何勝手に話し進めてるのよ! アタシはこの国を離れない!」
あー、そうか忘れてた。この子、どう云う訳か日本語が出来るんだよな。だからこそ亡命させたい。この子の言語スキルは英語ロシア語セルビア語、それに加えて日本語だ。ここに連行する間にイタリア人の通訳が立ち話をしていたが、それを凝視していたのでイタリア語も理解しているかもしれん。なら就職先には困らないだろう。私の署名付きで国立東京総合学校の中等部へ入学させるのもやぶさかではない。実現すれば付属の大学にも簡単に進学できるだろう。
そんな事を考えていた石塚だが突如、杜連隊長に呼び出され退出。
「それでお譲ちゃん。君はいつどこで、誰に射撃を習ったのかな?」
宮内が聞くが聞く耳持たぬ様子でこれを無視。当然だ。多分少女は、このメンバーの中で一番宮内を良く思っていないのだから。そこでWACである薙雲の出番となる。
「せめて名前だけでも教えてくれないかな? 歳はいくつ?」
石塚さんは勝手に中学二年位と決め付けていたけど、目の前でまじまじと見ると高校生に見えなくも無い。くせ毛だが絵に画いた様な綺麗な金髪に湖底の様な青い瞳。華奢な身体。原宿なんか歩けば、モデルにスカウトされてもおかしくないだろうなぁ。
「君を保護する為にも、名前と年齢は重要なんだ。もうあんな場所へ帰りたくないだろう?」
憲兵の大尉が優しく話しかけるが、やはり男性は嫌なのだろうか。だが今回、憲兵に女性は居ない。心理カウンセラーの女性技官が本省から派遣されており、今現在隣に座っているが彼女にも口を閉ざしたままだった。場所が悪いのだろう。カウンセリングも天幕内に設置した臨時の診療所で行うのが今の限界だ。流石にこの場所を大規模な駐屯地化する事は出来ない。ここだって手近な天幕を利用した代用品に過ぎない。少女が落ち着かないのも無理は無いだろうし何より暑い。お茶でも出すか。
「まぁ慌てなくても大丈夫。ここは安全だからね。お茶飲む? 日本茶」
私は紙コップに入れたインスタント緑茶を手渡す。少女は受け取ってくれたが……。
「どうしたの?」
やだ汗臭かったかなぁ? クンクン。臭くねぇわね。目線、私の腕? あぁそう云う事か。
「あぁこれね。気にしないでいいわよ。兵隊なんだから、良くある事だしさ」
昨晩の出来事が薙雲の頭をよぎる。長瀬少佐のもくろみ通りに、事件は隠蔽され少女は一時的な心神喪失状態と結論付けられたのだが、それを否定できる状況が無かったのも事実だ。現に日本人で、同年代の少女が同じ体験をしたらPTSDでは済まないだろう。杜連隊長も一応納得し、少女の回復具合から尋問に耐えられると判断し現在に至る。本当は検査入院では済まないレベルなのだが、長瀬少佐が全てを隠匿したので、そう云う意味では少女はラッキーだった。
「……なさい」
かすれる様な声。憲兵の大尉がジェスチャーで『今だ! 技官をよべぇ!』と猛烈にアピール。桜井がそれに応じ退出……なんだ今のは?
「ごめんなさい。その傷、アタシが暴れたから、ついたんでしょう?」
「だから気にしてないよ。浅い傷だし、直ぐ治るよ」
「――怖かったの。家族もみんな死んで、弟も死んで、戦争を起こした大人が憎くて仕方がなかった」
大人という単語に、私の肩は震えた。
「だから撃ったのよ! みんなみんな殺してやった! もう何人殺したかなんて覚えてない! アタシを死刑にしたければすれば――ッ」
私は反射的に頬を叩き、少女を抱きしめる。泣いていたんだから、これ位は当然だろう。軍人ではなく、人間としてね。
「もう大丈夫。あなたが銃で人を撃つ事は無い。大丈夫――、いくらでもやり直せる」
「でも……弟は、レーフは帰ってこないっ!」
宮内は天井を仰ぎ部屋の隅へ、彼はああ見えて涙もろいようだ。
「何も事情を知らない私が言うのはおかしいけど――弟さんは、『復讐してほしい』と、あなたに頼んだの?」
少女は目を見開き、瞳孔は開ききり焦点が定まらない。崩れ落ち、溢れんばかりの声で鳴き続けた。こう云う時は、このまま泣かせ続けたほうがいい。私と宮内さんはその場を技官に引継ぎ、それぞれの仕事に戻った。
「あれ? 聞き取りはもういいのか?」
私は桜井の肩をとついてまた後で来ようと、天幕前で引きとめた。臨床心理士の土本技官が聞き出した彼女の名は、アナベル・ミハエロブナ・サハリン。長ぇーのね。西欧とロシア系のミックスとの事だが、アジサイの印象しか無い。年は十四歳。石塚さんの読みが当たるとはね。
アナベルはこの日を最後に、悪夢にうなされる事はなくなった。
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