三節

メッセンジャー


 嫌な――。嫌な沈黙が場を支配したが、ふと目の前のテーブルに置かれたガムビーンズを指差す自称天使。


「このお皿に入った――。鮮やかな豆の様なものは何ですか?」


 興味津々の様子。チャンスだ。時間を稼げる。


「それはお菓子です。砂糖とグミで……ガムビーンズと言います。美味しいですよ。どうぞ召し上がってみて下さい」


 震えた声でヴィンゲルが説明する。この震え声が演技であるあたり、彼は優秀だ。

 周りのシークレットサービスは銃を抜こうと、既に抜いている人間は何とか発砲しようと懸命に努力している。大統領が時間を稼いでくれている。それが理解できるだけに焦りばかり募り、ダラダラと汗を流すだけでいまだに硬直は解けない。


「グミ? 地上の甘味ですか。砂糖とはまた随分な貴重品を……それではお言葉に甘えひとつ」


 もぐもぐ。


「美味しい! もうひとつ。今度は色違いを!」


 もぐもぐ。もぐもぐ。もぐもぐ。


「ニンゲンの食に関する探究心は昔から変わりませんねぇ。これ、気に入りました」


 まだまだ続く嫌な沈黙。どれだけの時間がたっただろうか、次に扉を開け静寂を破ったのはルーシー・マグワイヤ大統領補佐官。彼女は非武装なので事が起きてから今に至るまで自由に動き回り、警報が鳴ってから、かなり早い段階より情報収集と関係機関への連絡を図っていた。


「だ、大統領! NASAからの緊急連絡です!」


 なんだって?


「アポフィスが――、突然軌道変更したと!」


 アポ――? 訳が判らない……普段から専門用語はなるべく使うなと言っているのに。


「どういう事だ?」

「小惑星が軌道を変え地球に向かっています!」

「は?――だからそれはどういう事だ!?」

「どうもこうも、そういう事ですよ大統領閣下。そうです(もぐもぐ)この星に衝突します。ニンゲンの尺度で解りやすく言うと(もぐもぐ)ゲームオーバーってやつですよ」


 自称天使は、小悪魔的笑顔でさらりと言った。


「アポフィスのトリノスケールは!?」


 トリノスケール。地球近傍天体NOEの危険度評価判定。クラス0~10までのそれは、存在そのものがフィクションのようなモノ。実際使われる事など、有りはしない。誰もがそう考えていた。今回の小惑星アポフィスもかつては、トリノスケール4に認定されたが、即座に0に切り替わった経緯がある。因みにスケール10とは人類文明崩壊レベルの厄災をもたらす。打つ手なしの状況を意味する。そして仮に、アポフィスクラスの小惑星が衝突したら間違いなくそれは10。


「止めてください!」

「それは人類次第。私は主の命令で行動しているだけですから。そもそもニンゲンは主を語る力も無いのに無理をする。だからこうなる」


 ヴィンゲルは、かのケネディ大統領以来の熱心なカトリック。そんな彼から見ても、これは神が与えたもうた試練なのだと、受け入れる事が出来ない。余りにも状況が現実離れしていた。


「大統領! 北アメリカ航空宇宙防衛司令部NORADもNASAと同じ見解です!」


 思い出してきた。このアポフィスは半年前かそこら前に、地球をすれ違ったアレだ『一〇〇万年に一回、空前の天体ショー』などと新聞の見出しを踊ったのを覚えている。そして一度通過した天体が引き返す。つまりそのまま戻ってくる事は物理的に有り得ない。そんな事は天文学の知識を持たない私でも分かる。


「エンジェル・ガブリエル! どうかお止め下さい! 我々には話し合う時間が必要です! 二〇〇ヶ国近い国を全て説得するのに今年中にとは、余りにも短すぎる!!」


 彼は彼女を天使と認め、懇願した。だが全人類の武装解除など百年掛かっても不可能だろう。


「二〇〇とは驚いた――。大分増えましたね。でもそう……ニンゲンは話し合う事が出来る。だが戦ばかりしていて、実に好戦的だ」


 そんな事はと大統領がとがめるが。


「証拠を見せましょう。ご存知の通り今、この建造物内にいる武装したニンゲンの動きは止めてあります」


 パチンと、指を鳴らす。


「え?」と間の抜けた声はシークレットサービスのもの。動く……!? 瞬時に六名の男が銃を構え、七名の男が大統領を取り囲む。止めろと大統領が叫ぶが効果は無い。


「ほら。好戦的でしょう?」

「これは合衆国大統領命令だ! 全員武器を置け!」


 勿論、この場合は無視だ。七人のグループは大統領を避難させようとマニュアル通りに行動するが、本来のルートにある扉が開かない。その為、唯一の退路となった執務室正面扉から直接脱出する。入れ替わりに、数えるのも馬鹿らしくなるほど大量の、SWAT、海兵隊達が入ってきた。各人の装備が似通っていて、もう何がなにやら区別が付かない。


「待て! 私はエンジェル・ガブリエルと話が!」


 そんな大統領の言葉を無視して強引に避難する。残った六人のグループ、SWAT、海兵隊達は躊躇ちゅうちょ無く引き金を引く――が、弾が出ない。

 こんな時にトラブルかとそれぞれ遊底を引き、再装填するも結果は同じ。


「クソ売女がっ!」


 先程まで地面とキスしていたチックが飛び掛った刹那、時が狂う。室内の喧騒は消え、周りはスローモーションの様に、いやコマ送りに近い奇妙な動きを見せ、自称天使は大統領を凝視する。


「大統領、精々努力なさい。私は――、観ているぞ」


 ヴィンゲルにだけ聞こえ、彼は理解した。これが、「神の与えたもうた試練なのだ」と。

 次の瞬間、ガブリエルと名乗った女は霧の様に、跡形も無く消えていた。

 人類滅亡まで後、三ヶ月強。だがこれで諦めては超大国のボスは務まらない。



♢♢♢


同日 ネバダ州某所 地下??階      場所 セカンドホワイトハウス会議室


「議長。SOCOMソーコムの中に、クレムリンに潜入可能なグループは存在するか?」

「正気ですか? 大統領」

「無い。とは答えないんだな」

「……我々に不可能はありません。どの部隊が適任か、皆で議論しましょう」


 長い一日になりそうだ。だが、ことはアッサリと決まる。候補に上がった部隊名は一つだけだったからだ。正式名称は、私でさえ知らない。

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