二節
来訪者
場所
私は、やはり疲れている様だな。執務室のソファーに見慣れぬ顔の女性が座っている。私は記憶力だけは自慢できる。特にこんな美人なら忘れる事はない筈だ。
「こんにちは大統領閣下」
女は喋った。ヴィンゲルは女が幻覚では無い事に安堵(あんど)し、考えた。はて、国務省の職員だったか? だがスケジュールに無いな。急用なのだろうか。大体なんでスカーフなんか巻いてる?
「貴方――、戦争を終わらせる気がないのですか?」
まさかメディア? だがどうしてここに通した? 誰が許可を――、私は何も聞いてないぞ。
女は首から下げる入館許可証を持っていない様子だった。それに公務員なら多分万国共通で左胸にぶら下げるIDカード、それも無い。という事は目の前の彼女はいったい何者だ?
「失礼だが君の所属は? 知っての通り今のココは蟻の巣でね」
シークレットサービスや、首都警察であるワシントン警察が、部外者をここに通す訳が無い。ホワイトハウスの守備は、メインがワシントン警察でシークレットサービスはサブ。後方には海兵隊が付く。シークレットサービスとはホワイトハウスではなく大統領を守る為の組織であって、そういう意味においてこの白い城は彼らにとって特に重要では無いが、部外者を通す様なヘマはしない。現在はデフコン2なので、それにプラスして海兵隊一個中隊が警備を行う状況だ。つまり、ぎゅうぎゅう詰め。これらを突破し部外者。それもこんな女性が侵入できる余地は無い。なのでヴィンゲルは、この時点では入館後にレストルームでIDを外してしまった公務員と判断した。だが何か怪しい。
「それでも、IDカードの付け忘れは感心できないな。ちゃんと着けないと、君のキャリアにも影響が、あぁ失礼した。誤解しないで欲しいが今のはパワハラではないし、まぁちょっとしたミスだろう? 今は皆が疲れている。取り合えずお茶でも飲もうじゃないか」
そう言って、大統領自らが紅茶を入れるが、同時に机下にあるエマージェンシーボタンを押す。彼女は怪しすぎた。所属を聞いた際、即答しなかったのがそれを物語っている。一応シークレットサービスを呼んで状況を確認しよう。問題が無ければ厳重注意で終わる筈だ。直ぐにシークレットサービスの警備主任が、数名の隊員を連れて執務室に入ってきた。表情は険しい。大統領の嫌な予感は的中しつつある。彼女は部外者。つまり侵入者の可能性が一気に高まった。
「大統領! その女から離れて!」
警備主任が激を飛ばし即座にホルスターから銃を抜く。そのスピードは異常だ。元空軍の私から見ても見事と言わざるを得ない、素晴らしい動きだった。
「止まれ。コピー共」
女が、それはそれはドスの効いた恐ろしく低い声で、唸る様に警告? する。途端に、警備主任と六名のシークレットサービス、後続したSWATの動きが止まる。まるで石像の様に。
「大統領閣下。自己紹介が遅れました。私はガブリエル、またの名をジブリールと申します。職業は、天使。全知全能の神。
え? これは夢か? 何が起きている? 何だこれは!?
「マック! どうした!? 貴様何をした!?」
警備主任のマック・ロドリゲスは完全に硬直していたが瞬きはしているし、だらだらと汗もかいている。死んではいないだろうが何の返事も無い。
大統領の怒鳴り声は他の部屋にも聞こえたが、それに関係なくシークレットサービスが行動を起こした時点で自動的にホワイトハウスは厳戒態勢になる。武装したワシントン警察SWATが二手に分かれ、一部は執務室に警備主任と共に雪崩れ込み、もう一方の部隊は執務室外担当のシークレットサービスと協力し、大統領の避難経路をマニュアル通りに確保。海兵隊は即座に完全武装で非戦闘員の退避誘導を実施し、各避難経路のドア前に展開する。だがこの時、避難経路の扉という扉は、執務室の中央扉以外何故かピクリとも動かなかった。
そこで海兵隊はドアブリーチ(爆薬、重機等でドアを破壊する意)用の重機、爆薬を持ち出し蝶番もろともドアを破壊しようとしたが、何故か出来ない。セムテックスを利用した機材等は信管さえ作動しない。
「ナルホド。貴方はこれだけのニンゲンに守られる程に、価値のあるニンゲンなのですね。ここに来て良かった。でも少し野蛮ですね。私は一応、最上級の天使なのですよ?」
そう言って更に「止まれ」と、先程に比べ随分と優しい声でぼやく。すると今度は、ホワイトハウス内に居る武装した人間全ての動きが止まった。各隊員はそれぞれの作業中に、警備主任と同じく一斉に動きが止まる。
「君は何者だ!? いやなんだんだこれは!?」
「ニンゲンである貴方が混乱するのも無理はありません。私は天使なのですから、変な話なんでも有りです。後、言葉には気をつけなさい」
「絵空事は止めろ! 貴様は何者だ!? 何の目的があって――!」
天使と名乗った女はため息と共に微笑を浮かべ、周囲を見渡す。
「これだけでは、私が天使だと信じてもらえそうにありませんね。では証拠を見せましょう」
そう自称天使が宣言した時、正面ドアから陸軍大将チック・マーシャルが突入してきた。彼は武装していないので、自称天使が持つ能力の適応外だ。
「おやおや。素手の兵とは、貴方、勇敢ですね」
そしてチックは何の前触れもなく、地面とキスをした。
「少し寝てなさい。勇敢と蛮勇は違いますよ?」
「キサマァ! 大統領に手を出してみろ! 我が陸軍が全力を持って貴様を排除する!!」
「アハッ。勇敢な発想ですがそれは不可能ですよ。少なくとも写し世の武器では――、ね」
空軍大将ラリー・ダグラスはポケットにフォールティングナイフを忍ばせていたので、喫煙所で硬直している。同じく海軍大将もデスクナイフを持っていたので硬直。
暫しの間。ホワイトハウスの、キューバ危機以来の長い一日。
「さて。それで大統領閣下。私の能力は理解していただけましたか?」
大統領執務室にある脱出用経路の扉は全てロックされ、引き続き武装した人間は全て硬直している。ヴィンゲルは震えていた。だが、彼は本質的に、別にその事で震えているのではない。つい先ほどまで、米国が管理する弾道ミサイルの全てが制御不能に陥り、発射寸前の状態にまでなっていたのだ。震えて当然だろう。通常ICBMの制御を始め、政府中枢を管理するような重要コンピュータはハッキングを防ぐ為に、スタンドアローン状態を保持する事が原則だ。つまり、外部と回線が繋がっていないのだからハッキングなど理論上、いや物理的に不可能。まして潜水艦なら尚更だ。つまり、有り得ない事が起きた。
本来、大統領から核弾頭発射の命令は、基地指令への口頭ないしはフットボールと呼ばれる特殊な通信機を使って初めて行われる。それですら、ボタンを押したら即発射。という訳では無い。各ミサイル基地及び潜水艦、或いは飛行中の核武装した爆撃機や航行中のイージス艦(現在は緊急時に付き、一部の水上艦艇に特例として搭載されている)に発射許可を伝える事しか出来ない。誤解されがちだが、あくまでも命令を伝えるだけで、伝えた後の作業は現場が行う。 だが今回はフットボールを使った覚えなど無いしミサイル基地も潜水艦も発射の作業など一切行っていなかった。文字通り、勝手にシステムが動き出したのだ。
各、核ミサイル基地と潜水艦及び水上艦艇は、制御コンピュータとミサイル本体を繋ぐ回線を物理的に破壊したがそれでも発射シークエンスは止まらなかった。残された手段はミサイルサイロそのものの自爆、潜水艦の場合は自沈か内部でSLBMを破壊する事だがこれもミサイルまでの連絡ハッチが何故か開かず受け付けなかった。イージス艦も同じ症状によりお手上げ。この有り得ない事態に現場はパニックに陥り。各基地の司令官、艦長は泣きそうな声でワシントンに助けを求めた。ほんの五分ほど前の話だ。最後の手段として、戦略原潜やイージス艦は友軍による魚雷、雷撃処分。サイロは空爆で破壊しかない状態となり。これは全て、目の前にいる天使と名乗る女の予言した通りの現象。目の前の女が、天使ではないにしろ何か人外の存在である事は信じざるを得ない。現在は自称天使の「ストップ」との一言で、全てのシークエンスは停止している。余談になるが、ヴィンゲルの世代はフットボールを単に、ブラックボックスと呼称する。
「そ、それで、貴女の目的は? ミス・ガブリエル?」
「ですから先ほども言った通りです。貴方達の時間で今年中、十二月三十一日までに全人類の武装解除。これだけです――実に良心的でしょう?」
「ふ、不可能だ。出来るわけが無い!」
「努力もせずに? 現に貴方は今、何の行動も起こしていない。ここに有る赤い電話というもので世界と話が出来るのでは? 一見して見当たりませんが、別の部屋ですか?」
「わ、我が軍はともかく、ロシアや今の台湾が応じる事など有り得ない!」
ふむ。と自称天子は少し考え。
「なるほど。つまり一番強い貴国の言う事でさえ、聞かない大国が複数存在ると……それではこうしましょう。手頃なものは――、あぁ、あった」
「何を……?」
「まぁまぁ、暫く待ちましょう」
私は安堵した……期限を延ばしてくれるのかと、そう思った。しかし有史以来、いや、恐らく誕生したその日から、人類は石やこん棒で戦い続けている。例え期限を延ばしてもらったとしても武装解除など、不可能だ。だが考える時間は増える。既に私の頭には人類を武装解除させるプランが――、無数のアイディアが浮かんでいるが、その殆どは現実的ではない。どうする? どうすればいい? ああ神よ!
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