九節

交戦

А/3

アタシは夢を見た――。夢だとわかる夢だ。誰かがアタシを助けようとしている。殺人鬼のアタシを助けるなんて物好きはいないでしょ。だから夢だ。


   月

 

 遠くから蛇が来る。天の川の様な虹色の蛇だ。月が見える――。ここは宇宙? 温度は普通? ベリージャムの様な不思議な匂いがする。よくわからない。蛇は更に近づいて、アタシの首に噛み付いたが、痛くはない。痛くないのは良い事だ。その後すぐに、アタシは落ちた。どこかに落ちて、眼が覚めた。

 子気味よい心音計の作動音。白い清潔感のある天井。実体が感じられない程に軽い身体。心地良い空間。程よい眠気。ああ――、このまま消えてしまいたい。

 バタバタと足音が聞こえる。起さないでよ。眠いんだからさ。


「バイタルチェック急げ。高橋、手を握ってやれ――。悲鳴、覚悟しろよ」


 なんだ? 聞いた事もない言葉。数名の大人がなだれ込んで来た。宇宙服のようなものを着た大人が、アタシの顔を触る。


「おかしいぞ? 瞳孔反応正常。熱も平熱だぞ。採血の準備を、慎重にな」


 注射針が見えた。注射は痛いな。痛いのは嫌だ。嫌だ……イタイのはイヤダ。


 私は彼女が眠る野外手術車の前に立つ……ここでは嫌でも大人のあり方を考えさせられてしまう。あの子が気掛かりでならなかった。

 あの後、懸念されていたロシア軍――。もとい新ソ連軍との接触も無く、直ぐに小屋のクリアリングは完了し、要救助者は簡単に回収された。だが既に少女は手遅れな程に衰弱していた。栄養失調に加え原爆症。本国から持ってきた体内の放射性物質を体外へ排出させる新薬も投与されたらしいが、そんなものがマトモに機能しない事くらい私でも理解できる。気休めだ。それも少女へ対する気休めではなく、我々大人たちへの気休め。出来る事は全てした。これで助からないなら仕方が無い。という免罪符を得る為の、大人特有の自己満足。救出時、現場には当然少女が原爆症なのでは? との疑問符が全員の頭に浮かんだ。だが桜井は二次被爆を恐れずに、それを懸念する宮内2曹と石塚中隊長の制止を無視して、少女を背負い搬送した。私は嘔吐を繰り返す少女の手を握り締める事しか出来なかった。

 あの時の感触が、手から離れない。命が消える瞬間と言うものを初めて経験した。実際消えては無い。まだ生きている――。でも感じたんだ。


「なにがPKFだ」


 キャンプを構築してからまだ二十四時間立ってない。これでは、この先思いやられるな。と自分で理解している分に性質が悪い。中隊長は、来週から来る引継ぎの中隊に、何と報告するのだろう? 気分を切り替えよう。あの時の、救出時の状況。そう、奇妙だったのは発見時の彼女の状態だ。桜井の話では、少女は瀕死の状態で両手を鳩尾の辺りで組んで床に倒れていた。というより誰かにその体制を取らされていた様な印象を受けたという。死んでいた男性三名の身元も不明で全て即死。何らかの鋭利な刃物で喉を掻(か)き切られ、凶器は現場に無し。内一人は恥部を露出して絶命していたとの事。何をしようとしていたか、考えただけで悪寒が走る。


「ダメね。暗い事ばかり考える」


 ここに居ては、気分なんか変えれそうに無い。立ち去ろうとしたその時、医官が二名が駆け足で中に入って行った。ああ、とうとう彼女の死が近いのか。私は彼女に祈りを捧げ、今度こそ立ち去ろうとした。踵を返し、十二歩程歩いた時。ドンと手術車内側からの衝撃音。続けて怒鳴り声。当然気になるので、私は車外に備え付けのインターホンを押す。


「第二小隊の薙雲です。どうかされましたか?」


 無音が続く。なんか変だな。


『薙雲3曹か!? 丁度良かった! 直ぐに防護衣を着て中に来てくれ! 押さえつけろ! 鎮静剤だ! 早く打て! 3曹、マスクを忘れるな!』

「なんですって!? もしもーし!?」


 ダメだ。反応が無い。防護衣といっても脅威度に合わせて4段階のバリエーションがあるんだけど、二次被爆対策かな? 仕方ない。レベル2で行こう。きっと目が覚めたんだ!


 何だこれは。子供の力とは思えん。通訳が来ない以上、無理にでも眠らせる必要がある。何より、これだけパニックになっているなら呼んでも無駄だろう。英語で落ち着けと叫んでもまるで通じない。通じてるのかも知れないが。


「トランキライザー用意よし!」


 麻酔科医の中尉が注射器を近づけるが、少女が余りにも暴れる為にタイミングが掴めない。


「急げ! 拘束バンドしてる子供一人だぞ!」


 クソッ! なんて力。異常だ。新薬が変な方向に働いたんじゃないだろうな?


「ダメです! これじゃ針が折れます! 吸引式の麻酔へ切り替えます!」


 車内の状況を知る由も無い薙雲は、若干の茶目っ気を見せ入室。


「薙雲でーす。言われた通り準備いたしま――。えぇ?」


 そこは修羅場だった。しかしまぁ、暴れる少女一人を大人三人で制御できないのか。医官とはいえ、一応軍人。こういうのは困るなぁ。


「ちょっと。大丈夫ですか? 私はどうすれば」


 あの子。こんなに暴れられる位に元気になったんだ。正直ホッとした。

 空を切る医療器材。高そうな心電計はオシャカになってる。これは大隊長に知れたら不味いね。確実に不味い。この場合は医官の長である市ノ瀬大佐にばれた方がヤバイかな。

 仕方ない……押さえ込むか。近づく私と少女の目が合う。彼女は更にパニックになり過呼吸発作を起こす寸前。まてよ。私がこんなゴツイガスマスクを着けてるから怯えているのではないか? 医官もそうだ。あの子にとっては目が覚めたらいきなり手術台の上、言葉の通じない大人に囲まれてはパニックにもなるだろう。そもそも彼らは何故P4基準の防護服を着ているの? 二次被爆の危険は無いと結論が出た筈なのに。これじゃまるで何かの感染症対策だ。臆病者め。子供を怖がらせてどうする? だから私は、マスクを外した。


「薙雲3曹! 何をしてる!? マスクを外すな!」


 必要ないでしょうと一蹴。だっていらんでしょ。


「安心して。ここにあなたの敵は居ない。私達は日本人よ。敵ではないわ」


 出来うる限り優しく英語で語りかける。防護用の手袋も外し、両手をフリーにしてゆっくり近づいた。


「うそ?」


 私自身驚いた。少女は三人の医官を吹き飛ばし、車内の片隅へ逃げた。手には医療用のメス。完全に戦闘態勢に入っている。これは軍人の動きだ。


「お、落ち着いて―――ね? 良い子だから」


 ダメだ。目がおかしい。あれは普通じゃない。このままじゃ少し血を見る事になるかもしれない。通訳はまだ来ないのか? そもそも、医官が警報ボタンを押したのかどうかも解らない。

 深呼吸する少女。過呼吸を押さえつけようとしている。このまま冷静になってくれれば良いが、彼女が高等教育を受けていれば日常会話レベルの英語は通じるはず。


「――、を冒すものが――、する……」


 よかった英語だ。でも初めて聞いた少女の声は、年不相応なくぐもった英語だった。


「落ち着いて――、ね?」


 既に医官の三名はあてに出来る状況ではない。かといって、増援を呼んでは少女を刺激するだけで状況は悪化するだろう。少女が握るメスにはますます力が入る。


「危険を……冒すものが、勝利する」


 どこかで聞いた事があるフレーズ。なんだったか。それを思い出す前に、少女は私に向かって突貫した。


「危険を冒す者が――ッ! 勝利する!!」


 そう叫びながら。彼女の小さな戦争が始まった。

 てかそんなヒラヒラな病人服で、暴れるんじゃないよ。女の子でしょ。


「薙雲を見なかったか?」


 桜井自身も少女が気になっている事にかわりはない。というより全ての隊員が気になる問題であった。ので、薙雲と一緒に様子を見に行こうと画策していた所だ。だが男一人で、未成年とはいえ女性の見舞いに行くのには気が引ける。すれ違った同僚に薙雲の所在を聞いて回っているのだが、不明との事。一緒に行こうぜ。と誘える雰囲気でもない。


「通訳と行っても良いんだが、今は忙しそうだしな」


 仕方なしに喫煙所の方へ足を向ける。

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