八節

衛生科の敵は弾丸やミサイルではない。死神です。


 あの後、野外手術車内はたった一人の少女相手に戦場と化した。

 悲鳴――、嘔吐――、吐血。


「お、願――っい! 殺して!」


 モルヒネですら抑えられない激痛に血を吐きながら叫ぶ少女を前に、大人たちは自身の無力さを呪った。末期の原爆症。手の施しようが無い。激痛の所為か、最終的に少女は気絶した。


「こんなもの。六年前に嫌と言う程、見慣れてる筈なのに、慣れないな」


 今は心電図の子気味よい機械音だけが響く。二度と目が覚めないであろう少女。いや、目が覚めて欲しくない――。意識が戻れば痛覚も戻るのだから。出来る事なら、このまま安らかに。それが医官達の見解だった。今夜は手透きの医官でローテーションを組み、ツーマンセルで付きっ切りになるだろう。血液検査の結果によると、典型的な被爆による無白血球症。恐らく少女が曝露(ばくろ)した線量は2Gy(グレイ)前後だろうが、二次被爆の可能性は幸いにして無かった。

 しかし、これは不味い。当直の医官、大尉と新米少尉の二名は相当に焦った。一体何人の隊員が彼女に触れた? 彼女が暴れた際、何人の隊員を引っ掻いた? 唾液を含む彼女の体液に触れた人数は? 様々な憶測が頭をよぎる。

 結論から言えばどういう訳か、血中からフィロウィルスが検出された。しかも株は不明。新種の可能性がある。

 フィロウィルス――。バイオハザード隔離レベル4。有効なワクチンや治療法はいまだに無く。あるのは対処療法と効果不明な〝自称〟ワクチンのみ。だが今回の派遣でそれは持って来てない。フィロウィルスは大きく分けて二種類。マーブルグウィルスとエボラウィルスだけだ。発見から半世紀以上経過したにも関わらず未だに終末宿主が何なのか、どこから来てどう進化したのか、二〇三〇年現在に至るも何も解っていない。


「彼女に触れた人間を全てP4隔離。血液検査だ。名目は再二次被爆検査にしとけ。市ノ瀬大佐に報告。直ぐに来てもらえ」


 上はこの事を秘匿するか? 流石の佐賀田大将も公開は出来まい。


「感染源を、洗う必要が、あります。画像を見る、限り――新種でしょうか?」


 声が震えている。当然だ。この新米は彼女の爪でのだから。

 通常、フィロウィルス系はひも状の形状をしている。ひもが蝶々結びされた様な頭からひょろりと尾が伸びる。だがこれは完全なリング状だ。まるで蛇の頭が、自分の尾を咥えている様な不可思議な形状。もしかしたらフィロウィルスではないのかもしれない。それなら幸運だが少なくとも親戚、兄弟くらいの近種であるとは思う。

 いずれにせよここの設備では限界がある。距離的にはオーストリアかイタリアか、或いはドイツの研究機関、最悪は米国の疾病センターの対応になりかねないが、この少女は被爆したあげく全身から血を噴出し死亡し、身体はバラバラ――。ホルマリン漬けにされるなんて可能性さえある。医務官の彼等とて人間だ。出来ればそれは避けたいが、報告書の提出は義務であり避ける事は出来ない。

 検査結果は、彼女に直接素手で触れた人間も含め、全員が白だった。この時はやはり「幸運だった」位にしか考えていなかった。


「一番接触した我々医官でさえ、誰も感染していなかった。多分、感染力はエボラより遥かに弱い。お前、引っ掻かれたのになんとも無いだろ? 運の良いやつだよ」


 若い医務官は震えた声で冗談ではないと言った様子だったが、まぁ空気感染するなら全滅だ。


 今現在、少女は小康状態に陥りカルテ上は意識不明の重体となる。

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