第62話 「蒼条海は伝説のビキニなど気にせずにひたすら焼きそばを作る⑤」
「蒼条くんが、私のために?」
戸惑った表情で、川辺は箸を割る。
そのまま一口、すぅっと焼きそばを啜る。ごくりと飲み込む音が聞こえたかと思うと、そのまま周囲には沈黙が流れた。
「……どうだ?」
おそるおそる、俺は聞いてみた。
「……いしい」川辺がもう一口啜る。「美味しい……、こんな美味しい焼きそば、食べたのは初めて」
――よし!
川辺に喜んでもらえた。素直に嬉しいところだ。こういうとき、心の中でガッツポーズを取ればよいのだろうか。
「なんだ、あの焼きそば……」
「こんなに旨そうな匂い、さっきまでなかったぞ!」
ぞろぞろと周囲に人が集まってくる。
――参ったな。
あくまでもこれは川辺のためだけに作った特製なのだが、まさかここまで人を惹きつけてしまうとは。やはり料理というのは、人づての感想よりも純粋な匂いのほうが直接心に訴えかけるものなのだろうな。
「や、焼きそばひとつ! その、ソース焼きそば……」
「私も……」
「俺も俺も! どうせならふたつ!」
「キシキシキシ、自分にも焼きそばひとつ!」
次から次へと焼きそばを求めて、フードコートに客が集まってきた。全く、これを全て作るのは骨が折れるぞ。っていうか、なんか一人闇乙女族のようなのが混じっている気がするが。
「すみません、お客さん。生憎人手が……」
「伝説の焼きそばひとつ!」
間を空けずに誰かがドン! とレジのコイントレーに現金を叩きつけてきた。
「お前は……」
白龍説が、レジの前にいた。先ほどまでのクールな雰囲気が少し崩れてはいるが、本気で焼きそばを求めているようにこちらを睨んでいる。
「伝説! 匂いで分かる! 貴様のその焼きそばは、まさに伝説の焼きそばだ!」
「だからこれは伝説の焼きそばじゃ……」
「いいや、これは伝説! オレが言うのだから間違いない!」
――やれやれ。
どうやら話を聞く様子ではなさそうだ。
こうなったら、食い物で黙らせておくしかないか。
「仕方がない。これで良ければ食え」
俺は先ほど川辺に出したものと同じ焼きそばを、説の前に差し出した。
彼もごくり、と唾を飲み込んでじっとそれを見つめる。
「ソースの香ばしい匂い……、なんとも伝説級に素晴らしい」
「大袈裟だ」
業務用の材料だぞ。そこまで大それたものは作った覚えがない。
ひとしきり香りを嗅ぎ終えたのか、説は箸を割って一口啜る。しばらくの沈黙と共に、奴の目がかっと見開いた。
「なっ、こ、この焼きそばは……。香りだけでなく、全てにおいて伝説級だ」説はもう一口、焼きそばを啜った。「甘辛いソースが、キャベツの甘みと調和している。そこらのパサパサした焼きそばの比ではないほどに、しっとりとした食感。豚肉もしっかりと肉汁を封じ込めた火加減で、口いっぱいにコクが広がっていく。なんだ、一口一口が、まるで調和の取れたオルゴールを開いたかのように、味わいを奏でていくッ! これはもう伝説の焼きそば……、そう呼んでも過言ではない!」
舌鼓を打つ説の姿に、周囲の客たちはぽかんと口を開けて見つめている。
「オイオイ、やっぱすげぇ焼きそばらしいぞ」
「食いてぇ……、こんなの食わずにはいられない!」
ざわついている中、客の一人が俺に話しかけてきた。
「そういえば聞いたことがある! かつてこの辺りに存在していた、伝説の鉄板職人“荒波”と呼ばれた者のことを! 貴様……、いや、貴方様は、もしかしてその職人の……」
「知らんな、そんな“親父”のことなど」俺は曇った眼鏡を直し、「言っただろう。この店に伝説の焼きそばなどというメニューはない、と。俺はただ、頑張っている川辺に旨いものを作って労っただけだ」
「なっ……」
驚く客たちを余所に、俺は踵を返して厨房の奥へと戻っていった。
すると、そこにやってきたのは、
「おい、新入り!」すっかりと女性の声になってしまった店長が呼んできた。「お前、この焼きそばは一体……。俺にも食わせろッ!」
「……別にいいですけど」
もう一度、俺は同じ焼きそばを作って店長に差し出した。
「こ、これは……」
店長が透明容器の蓋を開けた瞬間、ピカッ、と焼きそばが光り輝いた。そんな仕掛けを施した覚えはないが、まぁ気にしないでおこう。
「特製の焼きそばだ。おあがりよッ!」
店長は恐る恐る焼きそばを一口啜った。
「こ、これは……、これはあああああああああああああああああああああああああああああああああッ!」
その瞬間――、
店長が着ているアロハシャツが、ビリ、と敗れかける。
「な、何事だ!?」
「う、う、ううううううううう、ううううううまあああああああいいいいいいいぞおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
店長の高らかな声と共に、アロハシャツが風船のように、店長の身体から弾け飛んだ。
――いや、これは。
「そういえば聞いたことがある。ここの店長は、真の美味を食すと服がはだけてしまう、と……」
先ほどの客がまたもや解説してくれた。
どういう構造なのかはひたすら謎なのだが、それよりも……、
「あっ……」
「これ……」
「なんで……」
周囲の人々の視線が、一斉に店長の方へと向かっている。
それもそのはず、彼、じゃなかった、彼女のはだけたアロハシャツの下からは……、
「ぐっ、まさか……」
ふくよかな胸。男だった時の分厚い胸板の面影はほとんどない。
だが、注視すべきはそこではない。店長の胸に着けられている、金色に輝くもの……。見たことはないが、雰囲気だけでそれが何なのか充分察することはできる。
「伝説の、ビキニ……」
まさか、会場内をどれだけ探しても見つからなかった、というよりもこのバカげたイベントのメインであるはずの物が何故か店長のアロハシャツの下から露になった。
「まさか、あれが……」
「ふっ、バレては仕方がない」店長は頭を掻きながら、「そうだ。伝説のビキニはここにあった。試合が始まる前から、いや、ずっと昔から、な……」
――いや、カッコつけられても。
あまり興味はないが、一応話を聞いてみよう。
そこからものすごーーーーーーーーーーーっく長い、店長の自分語りが始まるわけだが、本当に長いのでかいつまんで説明すると、
その昔、店長には将来を約束した恋人がいたのだが、彼女は病気で余命幾許もなかった。で、突然「死ぬまでに伝説のビキニを手に入れて願いを叶えたい」と言ってこの大会に出場し、見事にビキニを見つけて優勝したのだそうだ。だが、願いを叶えようとした矢先に彼女は他界してしまった。以降店長はそのビキニをずっと形見として持っていた、というわけだ。
「俺は彼女のことをずっと忘れたことはなかった。伝説のビキニをこうして肌身離さずに、な」
「肌身離さず」を本当に肌身から離していない人間を、俺は初めて見た。
「だからてめぇだけは女にされてもビキニ姿になっていなかったってわけか」
「あぁ。そもそも、元々ビキニを着ていたからな」
――なるほど、分からん。
要するにお守り的な効果があったということだろうか。女にはなってしまったが。
――というよりも。
今気付いたのだが、店長は男だったときからずっとあのアロハシャツの下にビキニを……。
……うん。
考えるのはよしておこう。
俺が脳を仕切りなおしていると、
「だが、ビキニを見つけたところで安心してもらっては困るぞ」
妙な高笑いで、店長がニヤついた。
「どういう意味だ?」
「忘れたのか? この大会はビキニを見つけて『手に入れなければ』優勝になれない。さて、もうすぐ後半戦が始まる。果たして、手に入れられるかな?」
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