第58話 「蒼条海は伝説のビキニなど気にせずにひたすら焼きそばを作る①」

 ――“焼きそば”とは。

 中国の炒麺チャーメンが起源といわれており、今日一般的な、所謂“ソース焼きそば”が誕生したのは戦後といわれている。小麦粉が高価だった当時はキャベツで量を増やしており、それによる味の薄さを補うためにソースを使用するようになったと言われている。

 当初は駄菓子屋で子どものおやつとして売られていたものであるが、その後は家庭でも主食として広く食べられるようになった。

 その作り方は単純にして、奥が深い。キャベツ、豚肉、麺、そしてソースをいかにして調和させていくかがポイントとなる。

 焼きそばを極めし者、全ての料理の頂点を極めたと言っても過言ではない――。


「ソース焼きそば二人前入ります!」

「おう!」

「あ、追加で坦々焼きそばが三つ!」

「おうよッ! 頼んだぜ、新入り!」

 厨房内には鉄板の熱気と覇気のありすぎる声で室温が三、四度は上がっている。クーラーは効いているはずだが、いかんせん暑い。暑すぎる。

 俺は首に掛けたタオルで汗を拭いながら、曇った眼鏡をしきりに直して鉄板と向き合っていた。

「ふぅ、一旦客の列は無くなったみたいだな」

 四十代過ぎの、体格の良い店長が腕を組みながら俺をねぎらってきた。

「助かったよ、蒼条くんのおかげで回転が早くて」

「おう! お前さんの作る焼きそばが絶品だって、評判だぜ」

 ガハハ、と店長が高笑いを掲げる。

「それはどうも……」

 ――全く、と俺はため息を吐いた。

 同じゼミ生の川辺瑞乃に頼まれて、また新しいアルバイトに借りだされたわけだが……。俺は夏季休暇中にレポートを仕上げなければならないのだが、どうしてもと頼まれてしまい断るに断れなかったわけだ。

 市内の片隅にある、大型のプール施設。夏場になると小中学生から大人まで人気のスポットなだけあって、人の賑わいは相当なものだった。

 俺はこの施設にあるフードコートのバイトを頼まれたわけだ。しかし、どういうわけか焼きそばの注文があまりにも多すぎる。ほぼ業務用の食材しか使用していないにも関わらず、他のメニューを差し置いて次から次へと来る。

「すみませーん! 塩焼きそば二つお願いします!」

「おう! お次の注文が入ったぜ!」

 ――正直、そろそろ別の料理が作りたいところだ。

 俺は鉄板に油を敷いて、キャベツを炒める。そして豚肉を赤色が見えなくなるまで炒め、しっかりと火の通りを確認して寸分違わぬタイミングで麺を投入する。ごま油を足して、塩ダレと一緒に炒めて完成である。

 至ってシンプルな作り方なのだが……、

「こ、この味は……」

「うま、い……。豚肉の脂がしっかりとキャベツに染みわたっていて、麺もしっかりとほぐれている」

「塩ダレの辛みがキャベツの甘さをしっかりと引き立てているわ」

「生っぽさはないのに、炒めすぎていない。火加減の扱いが絶妙すぎる……」

 周囲の客たちが相当恍惚とした表情で舌鼓を打っている。そんな大層なものか?

「ガッハッハ! 今日は儲かるなぁ!」

「……注文、ほとんど焼きそばですけどね」

 他の注文がなさすぎて逆に採算が取れるのか疑問視される。が、所詮俺は短期のアルバイトの身ゆえ、余計なことを考えるのはやめておこう。

「おーい、ソース焼きそば野菜マシマシで二つ!」

「はーい! って、あれ……?」

 注文を受けた川辺の声が止まった。というより、注文してきた客の声には聞き覚えが……。

「お、どこかで見たことのある顔だと思えば」

「黒塚さん! お久しぶりです!」

「ってことは、あそこで鉄板と格闘しているのは……」

 俺はふと客のほうに顔を向けた。

 そこにいるのは、筋骨隆々とした男性――、黒塚さんだった。プールだから当然だが、黒い海パン一丁の姿だ。今まで見たことはなかったが、露出した上半身からは強烈なほど胸毛が見えている。

「黒塚さん? こんなところで何しているんですか?」

「何って、プールなんだから泳ぎに来たに決まっているだろ! まぁ、今日は親御さんに頼まれて、うちの生徒に泳ぎを教えに来たんだがな」

 黒塚さんが「はっはっは」と高笑いしている陰から、小柄な少女がひょっこりと現れる。

「……こんにちは」

 黒髪のおかっぱの少女。全く派手さのないスクール水着姿で、ようやく存在に気付いたほどだ。かなり地味な印象だが、彼女には見覚えがある。

「三途、これ食いながら少し休憩だ」

「わかりました……」

 ――思い出した。

 バレンタインの時に、特級呪物のようなチョコを桃瀬たちに渡そうとしていた少女だ。彼女自身にはそこまで関わっていないが、あの時成分を解析したチョコレートのことは思い出すだけで頭が痛くなる。

「はい、お待たせしました。ソース焼きそば野菜多めになります」

 出来上がった焼きそばを渡して、俺は再び鉄板の方に戻ろうとする。

「すみません! 抹茶キャラメル焼きそば三つください!」

 今度は甲高い子どもの声が聞こえてくる。

「って、あれ? 黒塚先生じゃないですか」

「ちょっと、このおじさんって緑山くんの知り合い?」

 ――おい。

 またもや聞いたことのある声が聞こえてきたぞ。

「……緑山」

 カウンター越しに見えたのは、緑髪の少年――、緑山葉だった。彼もまた、黄緑色の水着を履いている。

 そしてその傍らにいるのは、全く知らない少女。

「あれ? 緑山くんも来ていたんだ!」

「川辺さん! お久しぶりです!」

「おう! 緑山じゃないか! その子は、もしかしてお前のコレか?」

 黒塚さんは小指を立てながらニヤリと微笑んでいる。

「ちっ、ちが……」

「そうなりたいのは山々なんですけど……、まだ彼がはっきりしなくて……」

「ちょっと根元さん!」

 二人とも顔を赤くして照れている。全く、最近の子どもは……。

 俺はやれやれ、と思いながら緑色一色の焼きそばを渡した。

「はい、抹茶キャラメル焼きそばお待たせ!」

「ありがとうございます!」

「後であーんしてあげるね!」

「い、いいよ。それよりもこれをひとつお父さんに渡さないと……」

 と、二人がじゃれ合っていると、

「あれぇ? 葉くんじゃん! それに……」

「ゲッ! 黒塚に、三途……」


 ――またか。

 どうして今日は次から次へと、知り合いが現れるのか。

 カウンターの外にいるのは、黄色い水着を履いている金髪の高校生男子と、ピンクのセパレート水着姿をした桃色の髪の女子高生。

 黄金井爪と、桃瀬翼の姿だった。

「桃瀬さんに黄金井くんも!」

「あぁ、あなたは去年のクリスマスにお会いした……」

「蒼条さんの知り合いだっけ?」

 和気藹々と二人は挨拶をしている。

「黒塚先生も来ていたんですね」

「その子、桃瀬さんの知り合い?」

 その傍らには見知らぬ女性が二人いる。多分、同級生なのだろう。

 ――よりにもよって。

「このプールに、オトメリッサが全員揃ってしまったというわけか」

「蒼条くん、何か言った?」

「いや、別に……」

 俺は痛い頭を抑えながら、再び鉄板へと向かう。

「それで、ご注文は?」

「塩焼きそば二つに、あさりしぐれプリン焼きそば一つ。あとフランクフルト一つ」

「……おう」

 やっと焼きそば以外の注文が入った。それよりも、誰だ? 一番不人気のあさりしぐれプリン焼きそばを注文した奴は。

 俺はいつも通り注文の品を作り、とっとと手渡す。

「はい、おまちどおさま」

「お姉さんありがとう!」

「フランクフルトは桃瀬さんで、あさりしぐれプリンは黄金井か。アンタよくこんなゲテモノ食えるよね」

「うるせぇ!」

 ――あ、お前か。

 ようやく合点がいった俺は、再び鉄板へと戻る。

 次々と入っていた注文がやっと途切れたかと呼吸を整えていると、

「伝説の焼きそばをひとつ」

 今度は全く聞き覚えのない声が聞こえてきた。いや、さっきから聞き覚えがある声ばかりだったのがおかしかったのだが。

 というより、何だその注文……。

「伝説一つお願いします!」

「いや、そんなメニューはないが……」

 俺はカウンターのほうを振り返った。

 そこにいるのは、銀髪の少年。桃瀬や黄金井たちと同じくらいの年齢だろう。白いシャツの下には、白い海パンを履いている。まぁ、女子にはモテそうなタイプだ。

「ない、だと……。まさか、このオレに相応しい伝説の焼きそばが……」

「あ! 白龍くんだ!」

 桃瀬がその少年の名前を叫んだ。

「貴様は……、こないだの」

「うわ……、会いたくない奴が……」

 意気揚々と挨拶をする桃瀬に対し、黄金井はあからさまに嫌そうな表情を浮かべた。

「……この変な奴、知り合いか?」

 俺が桃瀬たちに尋ねると、「うん!」「こないだちょっとな……」と反応を返してきた。

「なるほど、オレの名を知らないようだ。教えてやろう、オレの名は伝説、またの名を白龍説だ! 脳味噌に刻んでおけ!」

「……注文がないなら帰ってくれ」

 変な奴だということは理解した。同時に、黄金井が何故嫌そうな顔をしたのかもしっかり理解できた。何というか、今までに会ったことのないタイプだ。

「仕方があるまい。伝説を探して、オレは去ろう」

「……そうしてくれ」

「てめぇとはもう会いたかねぇよ」

 俺と黄金井が「シッシ」と手で仰ぐと、白龍と名乗った少年は一目散にその場から走り去っていった。てか、プールサイドを走るな!


 ――はぁ。

「ガッハッハ! お友達が一杯来てくれて良かったじゃねぇか」

 店長が厨房の奥から話しかけてきた。

「頭が痛いですよ。それでなくても、今日は客が多いんで大変なのに」

「そりゃおめぇ、なんたって今日はこのプールでの一大イベントが開催されるからな!」

 ――なんですって?

「イベントって、初耳なんですけど」

「あれ? 言ってなかったっけ?」

「てか、表のチラシとかにも描いてあったろ! ちゃんと読んどけよ!」

 うぐっ、と俺は言葉を呑み込んだ。

 催し物が開かれるとは、迂闊だった。短期のアルバイトだからと高を括っていたところはあったのかも知れない。

「それで……、何の催し物が開かれるんです?」

「おう、このプール真夏の一大イベント……、その名も、『ドキッ! 伝説だらけのバトルロワイヤル! 水着もあるよ』だぜ!」


 ……。


 …………。


 えっと。

「今、何ておっしゃいました?」

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