第三章

第53話 「黄金井爪は涼しい場所に行きたい①」

「あっちぃ……」

 湿気と高温のダブルコンボに苛まれながら、俺は部屋の中央でグダっていた。

 期末テストも終わり、あとは夏休みを待つだけの時期だってのに……。影子に突然呼び出されて、いつもの地下室に来たわけだが。どうも今朝からクーラーの調子が悪いらしい。おかげでさっきから汗が止まらない。何が悲しくて俺はこんな風通しの悪い部屋にいなけりゃならんのだ。

 それもこれも……、

「ねぇねぇ、お兄ちゃん! どっか遊びに行こうよぉ~」

 見た目小学生くらいの幼女が、部屋の隅っこで座りながらひたすら脚をバタバタさせている。扇風機の風を独占しやがって、これだからお子様は気楽なもんだ。

 更には――、

「ほら、やなちゃんもこう言っているんだからさぁ。遊びに行こうよ、ねぇ! 爪くん!」

 何故か、翼の奴も一緒にいやがる。

 どうやらコイツも影子に呼ばれたらしい。そこにいる幼女(なんて呼んでいいのか分からんから、こっからはそう呼ぶことにする)とは波長が合うのかすっかり意気投合して折り紙やらトランプやらで一緒に遊んで盛り上がっている。

 影子が俺たちをここに呼んだのは、要するにこの幼女の御守りをしてほしいということだ。

 この幼女は、どうやら葉の実家の組で構成員だった男らしい。話によると、闇乙女族に葉が独りで立ち向かった際に、新しい幹部――パールラによってこのような姿になってしまったとのこと。姿だけでなく、時間も奪われた関係で記憶すらも自身がまるで初めから女の子だったかのように書き換えられたらしい。

 ちょうどその頃、俺と翼は一時絶縁状態だった。魔法少女オトメリッサからも離れていた時期だったからその出来事は全くと言っていいほど知らない。

 ただ――、

 葉の奴は、パールラとの一件で凄く塞ぎこんでいるという話だ。こないだ見たときは多少立ち直っているようにも見えたが、そう簡単なもんじゃないだろう。

「ねぇねぇ! お兄ちゃんってばぁ! 暑いからもっと涼しいところに行こうよ!」

 この幼女はといえば、無邪気なもんだ。元々が一児の父親になろうとしていた男だったということが信じられない。

「へいへい……」

 俺は頭を掻きながらゆっくりと立ち上がる。

 今はこの幼女は葉の親父さんが預かっているという話だ。だが、時たま影子のところに来て面倒を見ているらしい。

 で、当の影子はというと――、

「う、うぅぅぅぅう……、いたたた……。あ、あんたたち、外に出かけるの? だったら悪いけど、何か冷たいものを……」

 部屋の隅っこの方で布団を敷いてうつ伏せになっていた。少し上着を捲った腰のあたりに真っ白な湿布が見えている。

「おばちゃん、だいじょうぶなの?」

 幼女が影子の顔を覗き込む。

「あ、うん。なんとか、ね……・あと私はおばちゃんじゃないからね」

 その状況でよくもまぁそんな台詞が吐けるもんだ。

「本当に大丈夫なんです? ギックリ腰」

「こ、これしき……」

「無理すんじゃねぇよ。年甲斐もなく変身アイテムで遊んではしゃいでいるからこんなことになる」

「け、喧嘩売りやがって……」

 怒りが籠っている声も、どこか呻き声が混じっている。

 どうもこのおばちゃんがギックリ腰をやらかしたのは、ただ単に歳のせいではないという話だ。

 以前、ルビラと戦った時。影子は一回だけオトメリッサ・シャドーに変身して時間を稼いでくれた。いや、本当に時間稼ぎにしかならなかったけど。まぁそれはいいや。

 どういうわけか、俺らが来る前に変身を試そうとしたらこういうことになったらしい。

「メ……。影子は決してはしゃいでいたわけじゃないメ」

 メパーが珍しく影子のフォローに入る。

「メパー……、あなたって人は……」

「もしまた誰かさんが喧嘩したり、万が一負けてしまったときに少しでも戦えるようにって考えていたんだメ」

「そうそう。誰かさんたちが……」

「そんで、刀の素振りをしようとしたらこのザマだメ。全く、ちったぁ日頃から運動しろメ……」

「めええええええぱあああああああああああああああああああああああッ!」

 一気に凄みを効かせて怒ろうとする影子。

 だが、当然身体が動くわけではないので、

「うぐっ……」

 そりゃそうなるわな。

「メ……。こんな状況だし、影子の代わりにその子の面倒見てやれだメ……」

「うん、分かった!」

「やれやれ……」

 ――しゃあねぇな。

 俺は頭を掻きながら、幼女のほうを見る。

「やったぁッ! お出掛け、お出掛け! どこ行くの!?」

 暑いのに、ルンルン気分を隠す気もなくはしゃいでいる。全く、無邪気なもんだ。

「さぁな。散歩しながら考えるか。いいか、外は暑いからしっかり水分補給しろよ。あと帽子もちゃんと被って、辛くなったらすぐに日陰かクーラーの利いた室内に入れよ。いいか、熱中症ナメんじゃねぇぞ!」

「はぁい!」

 意気揚々と幼女は手を挙げて返事をした。

「爪くんって、なんだかんだ言って結構面倒見いいよね」


 ――ほっとけ。



 そんなこんなで、俺たちは外へ出掛けることにしたのだが……。

 暑い。

 マジで暑い。

 熱気の籠った室内とは違い、風は吹くのだが、直射日光が俺たちの肌身を攻撃してくる。時折吹く風もほとんど生暖かいもので、身体の熱を奪い去るどころか発汗を更に加速させていく。

「……ば、馬鹿じゃねぇのこの気温」

 地球温暖化だか何だか知らないが、夏だからって限度があんだろ。まだ七月に入ったばっかだぞ。

「ねぇねぇ、やなちゃんはどこに行きたい?」

「うーん、公園とか、プールとか、あとは……」

 ――なんで平気なんだよ、こいつら。

 少しだけ汗を掻いている様子はあるものの、特にうだるような気配もなくケロっとしていやがる。

「せ、せめて室内のクーラーが効いている場所に、だな……」

「うん、とにかく歩きながら考えていこ!」

 俺はガクンと肩を落としながら、しばらく歩いていた。

 案の定というか、翼とこの幼女は手を繋ぎながらニコニコでお喋りしていやがる。微笑ましい光景なのだろうが、何だか腹立つな。

 そして、やっぱり暑い。何度も言うが暑い。

 流石にこのままじゃ死ぬ。ここら界隈じゃ最強の不良と名高い俺がこんな暑さで倒れるとか冗談じゃない。

「どっか涼める場所はないのか……」

 滝のように流れる汗をひたすら拭いながら、俺は周囲の建物を見渡す。

 ふと、近くに喫茶店があることに気が付いた。正直、やっと涼める、と俺は安堵していた。

「おーい、二人とも。あそこで休憩……」

「あの……」

 突然、背後から誰かに呼び止められる。男の声だ。

「あん? てめぇ、何か用か?」

 俺は思いっきり睨みを効かせて相手を睨みつけた。折角休憩できると思ったのに、長いダンジョンから出てきてセーブポイントがあるほこらにたどり着く寸前で即死魔法を唱えるモンスターと出くわした気分だ。

「あ、すまない……」

 背後にいたのは、金髪の男。大体、俺らと同じくらいの年齢だろうか。

 外国人なのだろうか、瞳は透き通るように青い。肌も日焼けひとつなく、透き通るように白い。顔も整っていて、ぶっちゃけイケメン。

 見るからに俺の嫌いそうなタイプだ……。

「何か御用ですか?」

「いや、君がとても知り合いにそっくりだったもんで……」

 どうやら男は翼に用事があったようだ。まさか、古典的なナンパか?

「僕はあなたのこと知りません」

 よし、翼! キッパリと言ってくれて助かる! そのまま追い払え!

「うん。違うみたいだ。オレが探していたのは男の人だったから……。オレはまたひとつ、勘違いという名の伝説を遺してしまったみたいだ」

 あ、ガチで人違いだったっぽい。ナンパとか思ってしまったのは心の中で謝っておこう。

 そんでどうやら相当変な奴っぽいからとっとと離れよう。

 しかしまぁ、コイツはどこをどうやったら翼のことを男と見間違えるんだ? 確かにコイツは元男だが、今はスカート履いているし髪も長いし、どこからどう見ても女だろ。

 ――ん?

 まさかとは思うが、コイツが探している人物って……。

「ちなみにどなたをお探ししているんですか?」

 ――バカッ‼

 クソマヌケかッ! 余計なことを聞くんじゃねぇッ! 絶対ロクなことにならねぇだろッ!

「あぁ、それは……」男は懐から何やら一枚の紙を取り出した。「この人なんだが……」


 ――ほら。

 その紙を見た瞬間、俺の悪い予感は確信へと変化した。


『指名手配。目撃者を探しています』

 その一言と共に載っている、顔写真。


 桃瀬翼――。

 例の指名手配ポスターを、コイツは掲げていた。

「あ、これ、ぼ……」

「シッ!」

 俺は慌てて翼の口を塞ぐ。

「もし彼のことを見かけたら、教えて欲しい。そうだな、オレの名前を教えておこう」

「いや、別に大丈夫……」

「オレの名は伝説――。またの名を、白龍はくりゅうとき

 話も聞かずに、男は名乗った。


 いや、何なんだコイツ……。


 新たなる嫌な予感と共に、俺の汗は留まることを知らなかった。

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