第46話 「緑山葉は心配事が尽きない⑤」

「ただいま……」

 とぼとぼと歩いて帰った自宅の前。辺りはすっかり薄暗くなっている。

「おう、遅かったじゃねぇか。どっか寄り道でもしていたんか?」

 そう言って僕を出迎えてくれるのは、左目に傷のある男性だ。強面のその顔に良く似合う青い着物を纏っている。

「あの、お父様……」

 僕の左隣には、影子さんがいる。いつになく憂いな顔つきでお父さんのほうを見ながら佇んでいる。

 そして――、

「誰だい? 葉の学校の先生か? それに、そっちのお嬢ちゃんは……」

 僕の右隣には、すっかり小さな女の子になってしまった柳田がいた。手を繋いで、ここがどこなのか分からないような表情を浮かべながら、ただ指を咥えていた。

「……ごめん、家の中で全てを話すね」


 僕たちは包み隠さずに全てを話した。

 オトメリッサのこと、闇乙女族のこと、そして、柳田がどうなってしまったのか――。

 影子さんにも説明を補足してもらいながら、なんとか大事な部分は伝えられた。勿論、にわかには信じられない、という顔をしていたけど、こくり、と頷きを挟みつつ黙り込んで聞いてくれていた。

「なんてこった……。柳田が……」

 ようやくお父さんの口から出てきたのは、その呟きだった。

「本当に、ごめんなさい。柳田を、助けてあげられなくて……」

「いえ、大切なご子息を危険な戦いに巻き込んでしまった私こそ、本当に申し訳ございません」

 いつもの影子さんからは想像できないほど、丁寧な言葉遣い。付き添ってもらった身でありながら、居たたまれない気持ちにもさせられる。

 僕は再び俯いた。そして、隣で座っている柳田の顔をじっと見つめた。

「二人とも、顔を挙げろ」お父さんははぁ、とため息を吐きながら、「なんつーか、情報量が多すぎて頭が痛えよ。けど、お前らが嘘をついていないってことだけはよく分かった」

「信じて、くれるの?」

「まぁな。ったく、ここんとこコソコソと何やってんだと思ったら……」

 お父さんはポリポリと頭を掻いてから立ち上がった。

「ごめんなさい、今まで黙っていて……」

「なぁに。俺も同じ立場だったら隠していただろうよ。何せ、“魔法少女”なんだからな」

 ふっと笑うお父さんに、僕たちは少しだけ緊張感がほぐれた。

「でも、危険な目に……」

「おいおい、俺を誰だと思ってんだ? 天下の緑山組の組長、緑山大樹だぜ! 危険なことなんて人生のうちに何度も遭ってんだ。今度は息子のお前が、そこに飛び込む番ってだけの話だ」

「それでも心配じゃ……」

「あぁ、心配はしている。けどな、これは葉が自分で決めたことなんだろ? だったらしっかり飛び込んでみろ! そういう姿は、親として誇りに思うぜ!」

 ――お父さん。

 僕は、ポロポロと涙が零れそうだった。親に心配を掛けて、柳田をこんな姿にしてしまって、情けない気持ちだと思っていた。けど、そうじゃなかった。

「……ありがとう」

「おう! だが、あんま無茶だけはすんなよ! 勿論、俺らも出来る限りのサポートはする。闇乙女族なんて連中に闊歩されちゃこっちだってたまったもんじゃないからな!」

「本当に、すみません……」

「なぁに。灰神さんとやら、息子のことをよろしくお願いしますよ」お父さんはにっこりと微笑んで、今度は柳田のほうを見た。「んで、柳田が戻る可能性ってのはあるんですかい?」

「おそらく……。まだ何とも言えないですけど、完全に漢気を抜かれてしまったわけではないようなので、可能性はゼロではないかと。確証はありませんが……」

「なるほどな。その可能性に賭けてみるしかなさそうだ。とりあえず、当分の間は俺が柳田を預かります。奥さんには……」


 ――そうだ。

 もうひとつ、やっておかなければならないことがあったんだった。

「お兄ちゃん、お話、終わったの?」

 柳田は何も分かっていない様子で、ただ僕の方を見つめているだけだった。


 数日後――。

 僕たちは今かと待ちながら、分娩室の外で座り込んでいる。

「ねぇ、まだなの?」

 退屈そうに足をバタバタさせている柳田。年相応、といった感じの反応だ。仕方がないので、待合室から僕は適当な絵本を持ってきて、読ませていた。

 逆隣りに座っているお父さんはというと、腕を組んだまま静かに座り込んでいる。いつものことながら、圧が凄い。

 しばらく待っていると――、

「おめでとうございます! 元気な男の子ですよ!」

 赤ん坊の甲高い声と共に、看護師さんが分娩室から出てきた。

「うまれたの?」

「あぁ。行こう」

 僕は気持ちを落ち着けて、分娩室の中へと入っていった。


「お久しぶりです、組長さん」

「おうよ。おめでとうな! そして、お疲れさん!」

 分娩室のベッドには、優しそうな顔つきの女性が横になっていた。その傍らには、保育器が備えられており、中には生まれたばかりの赤ちゃんがいる。

 柳田の奥さんは、一度だけ会ったことがある。柳田が結婚の挨拶に来たときだったか。極道の家に来たにも関わらず、物怖じすることもなく笑顔で朗らかな顔をしていた人だった記憶がある。

「おめでとう、ございます……」

「ありがとうね、葉くん。わざわざ来てくれて」

 なんだか申し訳ない気持ちになる。

「いやいや。俺の方こそ、お前の旦那にこのタイミングで無茶な出張を頼んじまってよ。出産に立ち会えなくなってしまって……」

「いえ、いいんです」奥さんは少し俯いた。「あの人は、昔から義理堅い性格でしたから。お世話になった人たちのためなら、しっかり恩を返す。そんなところを私も好きになったんですけどね」

 笑顔を零す奥さん。でも、どことなく寂しそうな感じが伝わってくる。

 言い訳は苦しいとは思うけど、出産前後で精神が不安定な奥さんに心配を掛けない方法は他に思いつかなかった、ってお父さんは言っていた。これがお父さんなりの気遣いなのだろう。

 僕はふと、傍らの保育器に入っている赤ちゃんを見た。生まれたばかりの子を見るのは初めてだったけど、本当にしわくちゃなんだな。ただ、どことなく顔つきが柳田そっくりな気はする。

「ねぇねぇ、赤ちゃんは?」

 柳田が静かに入ってくる。

「あら? その子は?」

「あぁ、ちょいとな、知り合いの子を預かっていてよ。赤ちゃんが生まれるところを、どうしても見たいってせがまれてな」

「そう、ですか……」

 奥さんと柳田の顔が見つめ合った。

 一瞬、時が止まったような感じがする。もしかしたら、奥さんは柳田の面影をこの小さな女の子に重ねてしまったかも知れない。柳田もまた、奥さんのことを心のどこかで微かな記憶が残っていたのかも知れない。

 けど、柳田は――、

「わぁ、赤ちゃん可愛い!」

「あら、ありがとう。お嬢ちゃんも可愛いわよ」

 ただの少女と初対面の女性、という関係に戻っていった。

「えへへへ、ありがとう!」

「どういたしまして」

 ふふふ、と微笑み合って、柳田は再び赤ちゃんのほうを見る。

 しばらくはじっと物珍しそうに見つめていたけど、

「あれ……?」

 次第に、柳田の瞳が潤み始める。

「どうしたの?」

「あ、れ? なんで? なんで、赤ちゃんを見たら、涙が出てくるの? なんで? なんで……?」

 嗚咽を漏らしながら、柳田は頬に流れてくる涙を何度も拭う。しばらくそれを繰り返していると、赤ちゃんの所から離れて僕の方へ近付いてきた。

「やなぎ……」

 僕はそこまで言いかけて、やめた。

「ふええええん、なんで、なんで、なんで泣いちゃうの? 赤ちゃん、可愛いのに……、なんで、泣けてくるの……?」

 柳田は僕の服にしがみついて、ただ泣きじゃくっていた。

 ――間違いない。

 柳田は微かに男性だった時の記憶が残っている。例え漢気と時間を奪われても、奥さんと過ごした時間、そして生まれてくる子どもを楽しみにしていた気持ちが消えたわけじゃない。

 ただ、それがどうしてなのか、それだけが思い出せないのか――。

 僕は泣きじゃくる柳田を右手で宥めながら、ぐっと左手を握りしめた。


 ――許さない。

 柳田の大切な時間。大切な気持ち。それを奪い取った闇乙女族。

 もし柳田の漢気と時間を取り戻せるなら、絶対に取り戻してみせる。


 ――いや。

 それだけでは済まさない。

 植物たちは教えてくれた。「罪を憎んで人を憎まず、しかし、罪を罪と思っていない者は精一杯憎むのが礼儀だ」って。

 憎しみの気持ち。僕の中でそれがひたすら渦巻いていた。

 絶対に……。


「闇乙女族を、根絶やしにしてやる。僕が、この手で……」

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