第42話 「緑山葉は心配事が尽きない①」

「はぁ……」

 気温の変化の激しい五月。僕はしきりにため息を吐きながら、植物たちに水をあげている。

 水はぬるくなってきたとはいえ、こんなんじゃ植物さんたちにも僕の憂鬱が移っちゃうよ。ごめんなさい。

 でも――、

「はぁ……、どうしよう……」

 心配事があまりにも尽きない。

 っていうか、多すぎる。それも昨日今日の出来事ではなく、ここ三か月ほどの出来事が山のように積み重なって、それがゴールデンウィークを終えた今でも引きずっている。

 僕の心配事、その一。

「桃瀬さんと爪さん、いつ仲直りするんだろう?」

 今年の初め、あの二人は喧嘩をした。

 原因は、桃瀬さんが窃盗犯疑惑だったことにあるんだけど。いや、それだけでも正直驚きが半端ないよ。だけど、現状確実な証拠もないみたいだし、桃瀬さんは女の子になったままだし。このままじゃオトメリッサの活動にも差し支えるし、僕は気にしないことにした。

 ただ、爪さんは違った。桃瀬さんが指名手配されていることで余程信用を失ったのか、当分オトメリッサを離れるとまで言い出した。桃瀬さんもそれに合わせて魔法少女はお休みになってしまった。

 幸い、闇乙女族はなんとか僕たち三人でこなすことになったわけで。なんとかここ数か月はそれで事足りている。バレンタインの一件以降、しばらくは目立った動きも見せていないし。

 ただ、新しい幹部たちがいつまた現れるかも分からないのが現状だ。その時に三人だけだとやはり心許ない。

「早く仲直りしてくれるといいんだけど……」

 僕はまたもやため息を吐きながら、ホースを巻き取った。

「誰か喧嘩しているの?」

 水やりを終えようと思った矢先、誰かが僕に話しかけてきた。

「あ、根元ねもとさん……」

 ――気まずい。

 彼女と会うのは、本当に気まずい。

 僕は彼女の顔を見た瞬間、思わず目を逸らした。

「ねぇ、この前の返事考えてくれた?」

 心配事、その二。

 彼女はクラスメイトの根元実花さん。ショートカットの似合う、スポーティな女の子。誰とでも分け隔てなく話をするから、クラスでも男女問わずに友達が多い。僕もまぁ、普通に話すだけなら全然いい人なんだけど……。

「ごめん、まだ、そういうの良く分からなくて……」

「なによぉ! 折角勇気を出してバレンタインチョコを渡したのに!」

 そうだ。

 僕はこないだのバレンタインの時に、彼女からチョコレートを貰っていた。勿論、手作りの。

 そして僕に向けられた一言――。

『緑山くんの、お嫁さんになりたい』

 ――はい。

 しっかりとした、告白でした。逆にしょーもない理由とかを期待させていた方、ごめんなさい。しかも「お嫁さん」ときたもんだから、僕はすっかり参ってしまっている。

 で、僕が出した答えが……、

『ありがとう。ちょっと考えさせて……』

 というものだった。

 曖昧な返事なのは分かっている。だけど、あの時は三途さんのバレンタインチョコ騒動で色々頭を抱えていたし、その場ではとりあえず他に言いようがなかった。大体、根元さんが僕のことを好きだったなんて全く思いもよらなかったし、もっとお互いのことを知らないと何とも言えない。

 で、こうしてズルズルと引きずって、もう五月になるわけだ。ちなみに僕たちは某国民的ご長寿アニメと同様の補正が掛かっているのか、未だに年齢は変わっていない。このシステムを採用した弊害で、未だに僕は五年生だし根元さんとも同じクラスのままだ。

「根元さんの気持ちは正直嬉しいよ。でも、僕もまだ恋ってどんな感じなのか分からないし……。まずはお友達から、でいいかな?」

「お友達でいいけど、いつまでも待っていられないんだからね!」

 うぅ、相変わらず強気だ。

 誤解しないで欲しいけど、根元さんのことは決して嫌いではないし、別に僕としては悪い気はしない。

 ただ――。

「だって、根元さんが僕のことを好きな理由って……」

 ――そう。

 その“理由”こそが最大の問題なのであって。

 だって……、

「あぁ、もう! 早くしないと私が緑山くんと結婚して、将来極道の妻になる計画が叶わないんだから!」

 ……。

 はい。

 そういう理由なんですよ、これが。

「前にも言ったけど、根元さんが好きな任侠映画と実際の極道は違うから……」

「そ・れ・で・もッ! 私は絶対将来、極道の奥さん、つまり姐さんになるんだから! だから、しっかり緑山くんには組を継いでもらって組長になってもらわないとッ!」

 ――植物たちは教えてくれました。

 恋は打算の連続。気持ちをより強く押し付けた方の勝ちだ、と。

 そういう理由だから、僕は現状は保留にせざるを得ない。もっと大人だったらなぁ、確実に門前払いしたいところなんだけど。

 なんていうか、根元さんの熱意は半端なものじゃない。彼女の目を見るに、明らかに真剣そのもの、というかもう某野球漫画のような目に炎が燃え盛っている。

 あんなにスポーツも出来て人気の彼女が、まさかここまで任侠マニアだったとは思わなかった。何でも、古い任侠映画とかも大抵の物は見尽くしたとかなんとか。その数、五十はゆうに超えているらしい。

 ――どうしたものか。

 僕が頭を抱えていると、

「あ、いたいた。おーい根元ちゃん!」

 誰かが根元さんを探して呼んできた。

「あぁ、ごめん! サッカー部の助っ人頼まれているんだった。それじゃあ、早いところ返事をしなさいよ! じゃあね!」

 そう言って、根元さんは手を振りながらそそくさと僕の目の前から去っていった。


 ――はぁ。

 またもや僕はため息を吐いて、帰路に着くことにしたのだった。


「坊ちゃん、お疲れ様でした!」

 下校しようと校門を出たところで、黒いスーツの男性に呼び止められた。うちの組員、柳田だ。そのスーツに黒いサングラスは本当に怪しいからやめて欲しいんだけど……。

「お迎えはいいって……。それともまたパパの命令?」

「いえ、これは自分から進んで……。この組にいるのもあと少しですので、せめてこれぐらいはさせてください」

 ――そうか。

 僕はあぁ、なるほどと理解した。

「ありがとう。それなら今日はお言葉に甘えるよ」

「ええ。是非とも」

 僕は校門外に停めてある黒塗りの車に乗り込んだ。車のエンジンを掛け、柳田は右ウィンカーを点けて発進する。幸い、他の児童たちには見られずに済んだ。

 車の中でも僕はずっと考え事をしていた。パパの言いつけであまり緑山組だということは学校で言いふらさないようにしていたのだが、何で根元さんは僕が緑山組の息子だということを知っていたのだろう? 

 ――そういえば、と僕は思い出した。

 彼女は去年の夏休み、自由研究で「この町の極道」ってタイトルで発表していたっけ。極道の歴史から、現在この町にどれくらい極道がいるのか、という統計まで取っていたほどだ。僕のことも調べ尽くしていたとしてもおかしくはない。

 でも、結局僕のことを言いふらしたりはしていない。そこは本当にありがたいんだけど……。

「可愛いんだけどなぁ……」

 僕が車の後部座席でぼそっと独り言を呟くと、

「おや、坊ちゃん。もしかして恋煩いですか?」

「ちょっ! 違うよッ!」

「ははは、いいんですよ。自分も坊ちゃんぐらいの年頃には初恋をしていましたから」

 笑いながら僕をからかってくる柳田。全く、僕がどれほど悩んでいるのか知らないで……。


 ――っと、そうだ。

「そういう柳田こそ、奥さんの調子はどうなの?」

「はい、おかげさまで。もう来週には出産予定日です」

 そっか、もうそんなになるのか。

 柳田は去年、奥さんと入籍したばかりの新婚さんだ。そして、もうすぐ父親になろうとしている。こないだ奥さんにも会ったけど、かなりの美人さんだったっけ。お腹も大分大きくなっていたのを覚えている。

「可愛い赤ちゃんが生まれるといいね」

「何をおっしゃいますか、可愛いに決まっているじゃないですか!」

「そうだね、ごめん。でも、ちょっとだけ寂しくなるね……」

「いえ、大丈夫ですよ。組は辞めますが、またちょくちょく顔を見せには来ますので」

 柳田は奥さんの出産を機に、組を辞めてカタギとして新しい人生を送るらしい。結婚の時にも奥さんのご両親と揉めたみたいだし、ここで一度足を洗う覚悟なのだろう。パパもそれを認めて、餞別を贈っている。

 ――なんだか不思議な気分だな。

「私立探偵事務所で働くんだっけ?」

「ええ。知り合いの伝手で仕事させてもらえることになりましたんで。もしかしたら組のお力をお借りすることもあるかも知れませんので、そのときはよろしくお願いします」

「あはは、持つべきものは裏社会の知り合い、ってね」

 僕たちはお互いに車の座席越しで笑いあった。

 そうこうしていると、町で一番大きな公園の近くに差し掛かった。

「あ、すみません坊ちゃん。ちょっと催しちゃって、トイレに行ってきてもいいでしょうか?」

「うん、いいよ!」

 そう言って、柳田は公園の駐車場に車を停めた。


 後になって思えば――、

 公園じゃなくて、別の場所に停めるべきだったら――。

 いや、そもそも迎えなんていらないってしっかり断っておけば――。

 僕の心を打ち砕くような出来事が、待ち受けているとはこの時は思いも寄らなかった――。


 そして、これから起こる出来事は、僕の心に深い遺恨を刻みつけることになるのだった。

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