第40話 「黒塚兜は生徒のために言いたいことも言えない④」
「ったく、三途の奴、こんなところに呼び出して何の用だ?」
放課後の校舎裏で、不貞腐れ気味に舌打ちをする黄金井。
今日は二月十四日。言わずもがなのバレンタインデー。生徒たちは朝からやいのやいのと恋人や友人同士にチョコを配ったりなどしてはしゃいでいるが、黄金井はそのことに全く気付いていないうぴだ。おそらくそこまで縁のないイベントなのだろう。
「三途さん、一体何の用だろう?」
桃瀬も校舎裏にそそくさと現れる。手紙を持っているところを見ると、黄金井と同じように呼び出されたのだろう。
さて、問題の二人が鉢合わせしたわけだが……、
「あっ……」
「……チッ」
案の定、気まずそうに目が合い、すぐに逸らした。
――ううむ。まだダメか。
あれから一か月以上経ったし、少しぐらいは落ち着いたかと思ったが、結局こんな調子のままだったみたいだ。その間、二人が口を聞いている場面を見たこともない。やはり、意図的に避けていたようだな。
しばらく物陰から様子を眺めていると、
「来ましたね……」
現れた。相も変わらず淡白な表情をした、三途の姿だ。
「あ、三途さん」
心なしか、桃瀬がほっとしたような顔つきに変わる。
「で、俺らをここに呼び出したわけを教えてもらおうか」
威圧気味に、黄金井が三途に話しかけた。
「それよりも、まず……」三途が周囲を見渡した。「もうお一方、来てくださるはずなのですが……」
「もう、お一方?」
「まだ誰か来るのかよ」
はぁ、と黄金井が面倒くさそうにため息を吐いた。
――さて、そろそろか。
「待たせたな! とう!」
高く跳びあがり、俺は着地して三人の前へと現れた。
当然のごとく、俺は既にオトメリッサ・インセクトに変身をしている。三途もよもや俺が担任教師だとは思うまい。
「お、おい……、何でお前まで? しかもその姿……」
「くろつ……」
「シッ!」
桃瀬と黄金井は完全に呆気に取られている。無理もない。この二人の前で俺だけが変身した状態で現れるなんて新鮮な気分だ。
「……お姉さま」
「お姉?」
「さま?」
ますます二人の顔が険しくなってくる。最早何が何だか分からないような表情だ。
――大丈夫だ。正直、俺も分かっていない。
「来てくださったのですね」
「あぁ、黒塚に頼まれてな」
とりあえずそういうことにしておこうと、俺は口から出まかせを発した。
「チッ、色々ワケわかんねぇ」
「三途さん、一体これはどういうこと?」
三途は顔をほんのりと赤らめながら、懐から何か取り出した。
「あ、あの……。今日は、バレンタインデー、ですよね?」
「そういやそうだったな」
黄金井よ、流石にそろそろ察しろ。三途の手に思いっきり四角い箱が見えるだろ。
「もしかして、その箱……」
三途はこくん、と頷いて、「これ、良かったら受け取ってください」
ようやく黄金井はあぁ、と納得したような表情になる。
と、しばらく経って――、
「お、お、お、俺に、ちょ、ちょ、ちょ、ちょ、ちょこ……」
今度は黄金井の顔がどんどん紅潮していく。やっと気が付いたのか、それにしても思った以上にウブな反応をするもんだ。
「そっかぁ。今日はバレンタインか。三途さん、ありがとう!」
桃瀬は対照的に、物凄く淡々と感謝の意を述べる。まぁ、コイツは自分が三途の恋愛対象になっているだなんて夢にも思っていないのだろうな。
――と、呑気に観察している場合じゃない。
「わぁ、ありがとう!」
「お、おう……。ありがたくいただくぜ」
「はい。あ、お姉様も……」
――きた。
「それじゃあ、ありがたく……」
俺はすかさず、三途が持っているチョコを受け取った。
と、その瞬間――、
「もらったあああああああああああああああああああああッ!」
桃瀬と黄金井が受け取る前に、俺は三途のチョコを三つともかっさらった。
「って、おいッ!」
「ちょっと、何するのさ!」
目を尖らせて驚く二人。構うものか!
一気に二人から距離を置いて、一気に振り向いた。
「はーっはっはっは! 三途 賽子のチョコはいただくぞ!」
――恥ずかしい。
俺は昨日、百円ショップのパーティーグッズコーナーで買ってきた白い仮面を被り、三人を見据える。生徒の前で教師が取るべき行動ではないが、ここは堪えろ、俺!
「な、なんなの……?」
「てめぇ! 一体全体、どういうつもりだッ!?」
「俺……、じゃなかった、私はノンバレンタイン
――なんていうか、もう、吹っ切れた。
下手な変装だということは自覚しているが、これも全て生徒たちを守るためだ。俺一人が悪を被ればいい。
「お、おねえさま……」
三途は愕然と肩を落としている。すまない、お前を悲しませることになってしまって。
「俺の、俺の、俺の、俺のチョコおおおおおおおおおおおおおおおおッ! 返せえええええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!」
「折角三途さんが心を込めて作ってくれたチョコレート! 返してよッ!」
「そうはさせるか!」俺はリップを取り出し、唇に塗りたくった。「漢気奮発ッ! 蜘蛛!」
俺の周囲にGODMSの粒が集まり、糸状になっていく。指先から放たれたその糸を、俺は一気に桃瀬と黄金井に向けて放った。
「うわッ!」
二人はネット状になった糸に絡まり、その場に蹲ってしまう。
「はーっはっはっは! それじゃあ、さらばだ!」
俺は一目散にその場から逃げ出していった。
「てめぇえええええええええええええええええええええええッ!」
桃瀬、黄金井。憎みたければ憎め! そして、俺を超える勢いで、明日へ向かっていけ! それこそが、大人になるということだ!
俺は走った――。
学校を抜け出し――、
道路へ――、
車をものともせず――、
道中重い荷物を持ったおばあさんがいたが、横断歩道の間だけ持ってあげて――、
「はぁ、はぁ……」
少し息が上がってきた。普段ならこれぐらいのロードはどうってことはないのだが、かなり全速力で走ったせいか流石に疲れてきた。
気が付くと周囲の景色が木々ばかりになっている。そうだ、ここはうちの学校の裏山だ。意外とそこまで走っていたわけではないことに、今更気が付いた。
「大丈夫、だ。流石に、ここまで、来たら、アイツらも……」
俺は少しペースを落として息を整えようとした。
が――、
「待ちやがれえええええええええええええええええええええええええええッ!」
「チョコを返せえええええええええええええええええええええええええええええええええええッ!」
後ろから、アイツらの声が聞こえてきた。
――速い、な。
あっという間に追い付かれていた。
しかも、二人ともいつの間にかオトメリッサに変身している。どうやってあの糸を抜けてきたのかは知らない。
そういえばこの二人はスピードタイプのオトメリッサだった。すっかりと失念していた。スタミナには自信があるつもりだったが、ここはもうひと踏ん張りせねばならないようだ。
「クッソおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
再び、俺は走った――。
木の間をすり抜け――、
そして木の間を――、
木――、
木――、
木――、
見渡す限り、木々しかない。おそらくだが、既にこの裏山を十周ほどしている気がする。
「はぁ、はぁ、はぁ……。ここまで走ったのは、いつ以来だ……?」
普段、部活の顧問として何度も走ってきたはずの山道なのに、まるで別世界のようにさえ感じる。
段々頭がクラクラしてきた。息はもう限界に近い。
「追い付いたぞッ!」
あ、追い付かれた。後ろを見たら既にそこに黄金井の姿がある。
「は、はっはっは、流石だ、オトメリッサ・クロー、よ……」
「先生、一体、どうしてこんなことを……」
当然と言えば当然だが、桃瀬もいる。
「う、うぅ……」
「とにかく、まずはチョコを返してもらおうかッ!」
黄金井と桃瀬が、威圧しながら俺のほうへと一歩、また一歩と近付いてくる。
――マズい。
このままでは、この二人が辞世の句コースまっしぐらだ。
どうする……。
どうする、黒塚 兜!
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