第39話 「黒塚兜は生徒のために言いたいことも言えない③」

 翌日の放課後。

 俺はせわしなく周囲を見渡しながら、学校の中庭へとやってきた。

「先生、来てくれたんですね」

「お、おう……。待たせたな」

 俺たちはベンチに座りこんだ。生徒の相談を受けることは珍しいことではないはずなのに、何故か緊張感が半端ない。幸い、周囲には他の生徒たちはいない。

「それで、先生。ご相談なのですが……」

 三途はこほん、と咳ばらいをした。

「どうした? お前が相談なんて珍しいな」

「実は、その……」三途は少し言いにくそうに口を動かした。「私、好きな人がいまして……」


 ――なんだと。

 恋愛相談とは思いもよらなかった。三途は男子とはおろか、他の生徒と積極的に関わろうとするタイプではない。とはいえ、年頃の女子だ。そういう悩みがあってもおかしくはない。

 ただ、何故俺に? 自分で言うのもなんだが、あまりそういう相談を受けることはない。他に相談できる相手がいなかったのだろうか。

 まさか、好きな相手は俺、とか?

 と、一瞬脳裏に過ったが、俺は頬を叩いて考えないことにした。

 ――イカン、イカン。

 そんな邪な考えはしてはならない。俺は教師だ。今は目の前にいる生徒と向き合うのが先決だ。

「恋愛、か。いいじゃないか。それで、単刀直入に聞くが、その相手とは誰なんだ?」

「それが、その……」

 三途は俯きながら、口をモゴモゴと動かしている。流石に気恥ずかしいのだろう。

「あ、いや。無理に言う必要はないが……」

「……いくん、です」


 ――はい?

 あまり聞き取れなかったので、俺は眉間に皺を寄せた。

「スマン。もう一度言ってもらっていいか?」

「私……。うちのクラスの、黄金井くんのことが、好きなんです」

 ――なんと!

 三途の好きな相手は黄金井か。

 あの粗暴そうな外見から女子からの評判はあまり良いほうではないが、根はいい奴だしな。

「ほう、黄金井か……」

 三途はこくん、と頷き、

「少し前、その……。商店街で、ガラの悪そうな人たちに絡まれたことがあったんです。そのときに通りかかった黄金井くんが助けてくれたことがあって……」

 なるほど。非常にベタな理由だな。

「そうか。アイツは普段はスカしているが、正義感は人一倍強くていい奴だからな」

 勿論、これは本心だ。ただ、その正義感のせいで少々厄介なことになっているのは事実だが。

 三途はいい奴を好きになったな。担任として、影ながら応援させてもらうとしよう。俺はうんうん、と一人で勝手に頷いた。

「はい。それで二人目に好きな人が……」


 ――はい?

「おいおい、他にも好きな人がいるのか?」

「一人とは言っていません」

 確かにそうだが、そういう問題ではない。

 思春期にありがちな気持ちなのかもしれないな。ここはひとまず、話の続きを聞くことにしよう。

「で、誰なんだ?」

「はい……。こないだ転校してきたうちのクラスの、桃瀬さんです」


 ――おいおい。

 よりにもよって、桃瀬か。今一番ややこしい二人を好きになってしまったものだ。

「なんでまたアイツを?」

「こないだ体育の時間に走り高跳びがあったんですけど、その時の華麗なジャンプがあまりにも美しすぎて……。その後、私に向けて、にこっと微笑んでくれたのがあまりにも印象的すぎて、思わず一目惚れしてしまいました」

 簡単に一目惚れするな、コイツは。それに桃瀬は誰にでも笑いかけるし、別にお前に対してだけではないと思うぞ、と言いたかったが黙っておくことにした。

「まぁ、桃瀬も悪い奴じゃないから、な……」

 ――現在、悪い奴疑惑の真っ只中だが。

「変、ですか? 同性を好きになるのは……」

「へ、変じゃない、と思うぞ」

 うむ。同性とか、最早それどころの問題じゃない。

 ただでさえギクシャクしている二人を同時に好きになるとは、先が思いやられる。あと、桃瀬は元男だから厳密に同性と呼んでいいものなのだろうか。

「良かったです。それで、三人目が……」


 ――まだいるのか!

 我が生徒ながら、なかなか侮れない性格をしている。普段口数が少ないからなのか、彼女の性格を把握しきれていない自分を恥じてしまった。

「また、うちのクラスの生徒か?」

「いいえ。この方は名前も知らないんです。何せ、昨日出会ったばかりなので……」

 一目惚れ、早すぎるだろ。俺は三途の将来が心配になってきた。

 ――ん? 待てよ。

「昨日というと、俺が道場に来た……」

「はい。あの時見かけたんです。いかにも強そうな魚の怪物と戦う、黒髪のお姉さまの姿を……」


 ――黒髪?

 ――魚の怪物?

 ――戦う?


「まさか、それって……」

「えっ⁉ 先生、やはりあの方をご存じなのですか⁉」

 ――しまった。

 と思った時には既に手遅れだった。

 ご存じも何もない。昨日道場に来て、魚の怪物と戦った黒髪の女性など、一人しか思い当たらない。


 俺、だ――。


「いや、まぁ。ちょっと見かけた程度で……」

「あのお方……。オトメリッサ、と言っていました! 先生、もしあの方をご存じなら、明日の放課後に校舎裏に連れてきてください! 渡したいものがあるんです!」

 ――参ったな。


 ふと、俺は気が付いた。


 今日は二月十三日。

 つまり、明日はバレンタインデーなのである。

「渡したいもの、って、もしかしてチョコか?」

「はい……」三途はこくん、と頷いた。「黄金井くんと、桃瀬さんも、ご一緒にチョコを渡すつもりです」

 俺はその様子を想像してみた。マズいな、修羅場になる予感しかない。

「いやいや、一人に絞れ! 流石に人間性を疑われるぞ!」

「そのために明日チョコを渡すんです。お三方に渡して、一番美味しそうにチョコを食べた人に告白するつもりです」

 凄いな、こいつは。話を聞くタイプでもなさそうだ。俺は呆れを通り越して笑えてきた。

「うむ……。お前の熱意は伝わった。仕方がない、なんとかしよう……」

 俺は戸惑いながら二つ返事をした。

「あ、ありがとうございます! 今日はご相談に乗ってくださって助かりました!」

「おう……」

「それじゃあ、また明日! 期待しています!」

 そういって、三途は意気揚々と帰っていった。


 ――参ったな。

 教師生活十年。生徒から勉強や進路の相談を受けることはあっても、色恋沙汰の相談はあまりされるほうではなかった。珍しく三途からそんな相談をされることになると思いきや、好きな相手がうちのクラスの生徒、それも今絶賛ギクシャクしている二人。それに加えて、まさかのオトメリッサに変身した、俺――。

 なんていうか、大富豪の娘か幼馴染の少女かどちらを花嫁にするか選んでいると思ったら、まさかの大富豪の親父のほうにプロポーズが来た、みたいな気分だ。考え直せ、と言うべきなのだろうが、あの様子じゃ考え直す気など微塵もないだろう。

 かと言って三途の気持ちを蔑ろにするつもりもない。俺は教師だ。ここは変身してチョコだけ受け取るだけ受け取ろう。

 もしかしたら、これをきっかけにあの二人が仲直りしてくれるかも知れない。ここはポジティブにとらえることにしよう。

 俺はそんなことを考えながら廊下をとぼとぼと歩いていると、

「あ、黒塚先生!」

 前から突然、女子生徒が二人、俺に話しかけてきた。うちのクラスの私部きさべマイと君澤きみさわユアだ。

「おう、今から帰りか?」

「うん。さっき部活が終わったとこです」

「先生、お疲れ様!」

 意気揚々と挨拶をする二人。憂いた顔を見せないように、俺は一度気持ちを整えた。

「おう! お疲れ様!」

「そういやさ、先生……」私部はニヤニヤと笑いながら、「さっき三途さんと中庭で話をしていたみたいですけど、何話していたんです?」

 ――見られていたのか。

 俺は少しだけ冷や汗を垂らしながら、

「いや、ちょっとばかし相談をな」

「ふぅん……」君澤は頷きながら、「明日バレンタインじゃないですか。もしかしたら生徒から愛のこもったチョコを貰った、とか思ったんですけど」

「いやいやいや! そんなわけないだろう!」

 俺は首を振って全力で否定する。

 当たらずとも遠からず、なのだがな――。

「ホントにぃ?」

「本当だ! 先生とからかうんじゃない!」

 俺は咳ばらいを挟んだ。

「ならいいんですけど……。噂によると、三途さんのチョコって凄くヤバいらしいんで、もし先生が貰ったら気を付けてって言おうと思っていました」


 ――は?


「ヤバい、だと? マズい、とか?」

「そんなレベルじゃないらしいですよ。とんでもなくとんでもない代物だって噂です」

 どんなレベルだ?

「いや、三途は確か家庭科の成績はそこまで悪くなかったはずだが……」

「普通の料理とかは上手いんですよ、あの子。ただ、好きな相手――、特にバレンタインチョコを造るときには愛情以外のものをやたら込めたがるらしくて」

「手創りチョコを貰った人曰く、なんでも『四半世紀ほど地下室で熟成させたオーパーツのような味わい』だって」


 ――待て、想像がつかん。


 さっきからこの二人の『つくる』という字の表記がぶれているのも気になるが、オーパーツのような味って何だ、オーパーツって!

「去年貰った男子は、三週間ほど入院していて、その間ずっと虚ろな目で何かを呟きながら、ひたすら病室で辞世の句を書いていたんだって」

「そのうちの一作が去年高校生俳句コンクールで入賞したって噂です」


 ――どういうことだ⁉

 俺は戦慄した。

 全く理解の範疇を超えているが、要するに『とにかくヤバい』ということだけは分かった。

「まぁ、チョコ貰ってないなら良かったです」

「それじゃ先生! また明日!」

 お、おう……。

 と、俺は言うこともできず、その場で呆然と二人が見えなくなるまで立ち尽くしていた。


 そして、俺はようやく我に返った。

 このままでは、俺だけでなく、あの二人が危ない。このことを知らないままチョコを食べようものならば、辞世の句を書くことは免れないだろう。


 ――阻止せねば。


 俺は教師として、やるべきことを心に誓った。


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