第37話 「黒塚兜は生徒のために言いたいことも言えない①」

「ぐあッ!」

 屈強な体躯の大男が、道場の畳に思いっきり投げ飛ばされた。

「い、一本……」

「おいおい、マジかよ」

「軽重量級において、この辺じゃ最強と名高い段田浦だんだうらさんを、いとも容易く投げ飛ばしやがった」

「何者なんだ、あのバケモノ……」

 どよめきながら、門下生たちは相手を見据えた。


「そこそこの強さは認めるでござるが、拙者の足元にも及ばないでござるな」


 突然だが、コイツが今回の俺たちの敵だ。

 見た目は魚。しかし、何故だか手足が生えている。

 柔道着を着こなしている。だが、魚だ。

 鼻が物凄く細長い。だが、魚だ。

 胸もそこそこでかい。だが、魚だ。その胸は生物学的に意味があるのかは知らん。

「く、クソッ……。こんな、魚女に、俺が……」

「勝ちは勝ちでござる。約束通り、お主の漢気と“闘争心”を頂くでござる」

 そう言いながら、魚女の鼻先が光りだした。

「ぐ、ぐあああああああああああッ!」

 男は地面にひれ伏しながら、光を放った。その光が徐々に粒となり、どんどん魚女の鼻に吸い込まれていく。やがて、男の屈強な体は小さく、丸く、柔らかなシルエットを形成していく。

「だ、段田浦さあああああああああああああんッ!」

 心配そうに投げ飛ばされた男を見つめる門下生たち。

「ふ、ふええええええええ。負けちゃったよぉおおおおおおおおお! 怖いよおおおおおおおおおおおッ!」

 男の光が消える。先ほどまで屈強だった男はすっかり小柄な女性になっており、はだけた柔道着を必死で抑え込みながら泣きじゃくってしまっていた。

「段田浦さんが、女性に……?」

「しかもこんな泣き虫になって……」

「はははは、拙者がコイツの漢気と闘争心をしっぽりと抜き取ってやったからでござる!」

「な、やっぱコイツバケモノだ」

 うむ、バケモノなのは間違いない。

 メパーと影子さんの調べによると、ここら近辺にある格闘技の道場やジムにやって来ては勝負を仕掛け、負けた相手をこのようにして漢気と闘争心を抜き取っているとのことらしい。うむ、神聖な格闘技に、なんて無粋な真似をするのだ。俺は話を聞いた途端、怒りが込み上げてきた。

「これで九十九人目。さぁ、次は誰が相手するのでござる⁉ この“ソードフィッシュアクジョ”は、剣道、柔道、空手、相撲、拳法、合気道、テコンドー、ボクシング……。格闘技なら何でも相手してやるでござるよ!」

 高らかに道場内に叫ぶ、ソードフィッシュアクジョ。門下生たちは怖気づいたのか、萎縮気味に引いてしまう。


 ――やれやれ。そろそろ俺の出番か。


「オトメリッサチャージ・レディーゴーッ!」

 道場の外でこっそりと、俺はブレスレットを掲げて叫んだ。


 ブレスレットから淡い光が放たれた。

 黒い光が俺の身体の全体に纏わりつく。

 段々視界が下の方に向かっていく。自慢の胸板も段々と柔らかくなっていき、少しだけ膨らんだ感じになる。股間が妙に痛いが、やがてそれも治まる。

 黒いタンクトップだけだった服が、首元をきっちりと締めたような何かに変わり、下半身が妙にスースーする。


 やがて、その不思議な感覚が落ち着いてきたかと思うと……、


「力の甲虫、オトメリッサ・インセクト!」


 変身を終えた俺は、そそくさと柔道着に着替える。普段よりも一際小さいサイズのものを着るのは、なんだか不思議な気分だ。が、まぁ仕方あるまい。

 帯をぎゅっと締めつけて、俺は道場の中へと足を踏み入れた。

「たのもおおおおおおおおおおおおおおッ! 俺が相手だああああああああああああああッ!」

 気合を入れた大声を挙げながら、俺は仁王立ちで奴の前に立ちはだかった。

「だ、誰だ?」

「あんな女の子、ウチの道場にいたっけか?」

「はっはっは! ここは俺に任せとけ! 審判以外は急いでここから逃げろ!」

「お、おう……」

 門下生たちは困惑気味に、審判一人を除いてそそくさと道場から逃げ出していった。

「ほほう、これまた随分可愛らしいお嬢ちゃんが来たでござるな。だが、拙者は漢気を集めるのが目的ゆえ、女子は……」と言いかけた瞬間、ソードフィッシュアクジョは目を細める。「ふむ、お主、身体に似合わぬほどの膨大な漢気を有しておるでござるな。もしかして、お主は……」

「押忍! 俺は巷を騒がせている、魔法少女オトメリッサの、インセクトだッ!」

 ――決まった。

 やはり力強く叫ぶのは気持ちがいい。

「黒塚さん、いつにも増して気合入っていますね」

「水を得た魚のようだな」

「魚は相手の方だけどメ……」

 いつの間にか変身していた海と葉、そしてメパーが道場の横でひそひそと話をしている。だが、そんなことを気にしている暇はない。

 あの“二人”がいない今、俺たちだけで何とかするしかないのだ。

「荒波に揉まれた拙者の実力、ナメてもらっちゃ困るでござるよ!」

「よし! ならば今すぐ勝負だ!」


 俺はふぅ、と深呼吸を挟み、審判を挟みながら道場の中央に向かい合った。

「礼!」

「お願しまああああああッス!」

「お願いするでござる!」

「はじめ!」

 審判の合図とともに、俺たちはゆっくりと近付いた。

 掴みかかるタイミングを見計らい、慎重に見据える。緊張感は非常に伝わってくる。コイツ、強い……。

 ザッ、と一気に相手が俺の柔道着を掴みかかってきた。早い! 俺も負けじと相手を掴み返す。あと、相手の長い鼻がちょくちょく当たりそうになる。正直邪魔だ。

「漢気、解放ッ!」

 俺は漢気を解放し、力を強めた。なんとか態勢を崩すこともなく引っ張り合うが、やはり相手の力は強い。簡単には勝てる相手じゃなさそうだ。

「ぐっ……」

「うぐっ……」

 両者一歩も引かず、力をどんどん込める。


 ――マズい。


 俺は一瞬よろめきそうになるが、なんとか持ちこたえた。

 このままじゃ負けてしまう……。

 ならば!

「漢気、大解放ッ!」

 一気に片を付けてやる!

 黒い粒が俺の周囲に一気に集まる。力が湧いてくる。

 これなら!

「うおおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 一気に湧いた力でも、やはり奴はそう簡単には投げられそうにない。だが、手応えは充分だ。

 俺は更に思いっきりの力を込めて、奴を振りかぶった。

「な、この力はアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!」


 そして――。


「一本! それまで!」

 ふぅ、と俺は一息吐き、投げ飛ばされたソードフィッシュアクジョを一瞥し、しっかり礼をする。

「拙者が、まさか……、負けるとは……」

 ゆっくりソードフィッシュアクジョは立ち上がる。顔つきからして、どうも納得いかない様子だ。

「黒塚さん! 凄いです!」

「はっはっは! どうだ、俺の力!」

「高笑いしている場合じゃないぞ」

 海に言われ、俺は再びソードフィッシュアクジョのほうを見る。

 目に赤い血が迸っている。どうやら、負けたことに相当怒り心頭のようだ。

「拙者は、拙者の辞書にはあああああああああああああ! 敗北の、二文字はあ、ないでござるよおおおおおおおおおおおおおおおお!」

「ひっ、ひいいいいいいい!」

 審判が耐え切れずに道場から逃げ出してしまった。

 ふむ。こりゃ最早手が付けられんようだな。

「あーあ、もうとっとと片付けたほうがよさそうだメ」

「うむ。三人しかいないが、あれやるか」

 俺は(柔道着のままだが)懐からルージュを取り出した。マリンとリーフも同じようにルージュを取り出す。


「「「漢気、超解放ッ!」」」

 俺たちのルージュに、一斉にGODMSの粒が集まっていく。いつもとは違い、三人分の力しかないが、それでも充分の量はある。

「敗北などおおおおおおおおおおッ!」

 未だに血眼のソードフィッシュアクジョへ、一気にそのルージュを向けた。


「「「オトメリッサ・インフィニティゴドムスッ!」」」

 集まったGODMSは、大きな矢へと一気に変貌した。

 俺たちは更に大きな力を込める。それはもう、ありったけの漢気を込めて。


 やがて、GODMSの矢が放たれて――、


「ぐあああああああああああッ! 拙者の、辞書に、敗北うううううううううううううううううううううううううううッ!」


 光が消えると共に、ソードフィッシュアクジョの姿は影も形もなくなっていた。


「ふぅ、疲れた」

「俺たちだけで何とかするしかないからな」

「ですね……。とりあえず、お疲れ様です」

 と、お互いに労い合っていると、


「どうやら、ソードフィッシュアクジョが倒されたようだな」

 どこからともなく声が聞こえてきた。

「キシキシキシ……。けど、トパーラ。漢気と闘争心はメッチャ集まったし、あたいよりリードしちまったじゃん。こういうのでいいんだよ、こういうので」

「正々堂々やったまでだ」

 いつの間にか、道場の隅っこにサファイラとトパーラの姿があった。

「貴様ら!」

「おっと、あたいらは様子を見に来ただけだ。それにしても、二人ほど足りねぇみたいじゃん」

「それは、その……」

「まぁいい。いずれ私らとお前たちが相対することもあるだろう。その時は、しっかり五人全員揃うことだな」


 ――五人か。


「それじゃ、あたいらはこれで」

 そう言って、サファイラとトパーラはひゅん、と姿を消した。

「今回はなんとか勝てましたけど……」

「やはり、あの二人がいないのは少々辛いところがあるな」


 ――うむ。


 俺は頭を搔きながら、ふと考え事をしていた。


 この間、例のカジノでの出来事があった直後の――。


 俺たち、オトメリッサの仲が決裂しかねない、衝撃の事実を知った日を、思い出していた。

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