第28話 「蒼条海は聖夜に誓いたい①」

 机の上に残されたファイルを整頓し、俺はようやく額の汗を拭えた。

 今年は特に研究室の散らかり具合が半端なかった。あまりこの部屋に籠ることは少ないが、他の連中に管理を任せておくと途端に酷い有様になる。結局、三日ぐらい費やして年末の大掃除を終えることになった。

「お疲れ様、蒼条くん」

 同じゼミの女子、川辺かわべ瑞乃みずのがファイルの整頓を終えて労ってきた。

「全く、他の者は早く帰りすぎだ」

「蒼条くんが念入りにやりすぎなんだよ」

 そうだろうか。俺は常に普通の清潔感を保っているだけに過ぎないのだが。

 研究には脳を使う。その脳を活性化させるにはやはり部屋の整理整頓は不可欠だ。本来ならば年末だけでなく常日頃から清掃等は欠かせないようにしたいものだが、目を離せばご覧の有様だ。

「これだからアイツらのレポートはだな……」

「はいはい、むつかしいこと考えないの」

 ――むつかしい、だと?

 川辺は本当に何を考えているのか理解ができない。前も俺に水族館のバイトのヘルプを頼んできたり、今日だってこうして部屋の掃除を唯一手伝ってくれたり、と他のゼミ生とは一風変わった行動を取る。こ奴は俺に貸しでも作る気なのだろうか。

「まぁいい。これで今年はゼミでやることは終わったな」

 俺はカレンダーを見る。日付は十二月二十日。今年もあと十日ほどだ。

 思えば慌ただしい一年だった。レポートもままならない状態だったし、その上オトメリッサとして闇乙女族と戦う役目まで背負わされた。せめて今年の残りは何事もなく、ゆっくりと過ごしたところでバチは当たるまい。

「うん、一年間お疲れ様」

「あぁ、本当に疲れた一年だった。まぁいいか。良いお年……」

「あ、ちょっと待って、蒼条くん」

 ――なんだ?

 川辺は何やら鞄の中をまさぐって、何やら一枚の紙切れを出してきた。

 表には煌びやかな写真がでかでかと掲載されている。

「なんだ、これは?」

「良かったら、良かったら、だけどね……」川辺ははにかみ気味に話しかけてきた。「今度の、土曜日、ここに行かない?」


 ――なん、だと?


「ここは、一体?」

「近くの港が見える公園、なんだけどね。クリスマスシーズンになるとイルミネーションがたくさんライトアップされて、凄く綺麗なんだよ」

 イルミネーション、か。

 正直言うと、そこまで興味はない。所詮はただの色が付いた電飾だ。あんなものを見て何が面白いのだろうか。

「こんなものを見て何が面白いんだ?」

「え、それは、その……」

 川辺が戸惑い気味に口ごもった。

「いや、すまない。正直こういうものはあまり行ったことがないのでな」

「無理に、とは言わないけど、さ。折角だから行ってみようよ。今年は色々大変だったと思うし、気分転換にもなるよ。それに、ほら。今年のクリスマスって土日じゃない? 滅多にないことだし、良かったら行こうよ。本当にすっごい綺麗なんだから」


 ――綺麗、か。

 最後にそんな感情を抱いたのはいつぐらいだっただろうか。忙しさにかまけて空の星も碌に見る余裕を失っていたように感じる。今掃除したこの部屋だって、整頓してあるのが当たり前なのだと思っている。

 心の余裕を失っている自分自身が少し情けなく思えてきた。クリスマスが土日だったことすら川辺に言われてようやく気づいたほどだ。

 ここらで少し、気分転換したほうが良さそうだな――。

「ふむ。予定もないし、折角だから行くか」

「本当⁉」川辺の顔がぱぁっと明るくなった。「ありがとう! それじゃあ、二十四日、駅前に集合ね!」

「あぁ。遅れずに行く」

「約束だよ! 絶対、絶対だよッ!」

 そんな感じで、俺たちはクリスマスに約束を取り交わした。

 本当に、ようやく気分転換ができそうだ。

 しかし――、

 川辺はまた、何故に俺を誘ったのだろうか?



「ねぇねぇ! 二十四日、みんなでクリスマスパーティーやろうよ!」


 ――は?

 灰神の家にやってきた途端、桃瀬がいきなり騒々しい台詞を吐き出してきた。

 研究室の清掃が終わった後、いきなり「大事な話があるからすぐに来てほしい」と連絡が入り、言われるがままに来てみたらこれだ。てっきり闇乙女族に関して何かあったのかと思ったぞ。

「おう、いいな!」

「クリスマスパーティー、僕も賛成です!」

 黒塚さんと緑山はどうやら乗り気らしい。この二人はいつものことだが。

「クリスマスパーティーはいいけどよ、こんな男ばっかのメンバーで楽しめるか?」

「失礼ね、女もいるわよ」

「プンプン! メターのことも忘れないでよね!」

「メ、お前ら女としてカウントされてると思って……、ぐふっ!」

 悪態を吐こうとしたメパーに灰神とメターの容赦ない鉄拳制裁が加わる。

「はいはい。ま、俺は特に予定もないからいいけどよ」

 黄金井が適当に返事をする。

「うんうん! みんなノリがいいね! それで、蒼条さんは? やっぱりまたレポート?」

 コイツ、俺がいつもレポートに追われていると思っているな。言っておくが、俺はあくまでレポートを提出期限ギリギリまでしっかり煮詰めて書き上げる主義だ。そんなにいつもレポートを書いているわけではない。

 それよりも、二十四日は――、

「いや、俺はその日は他に予定があってだな……」

 と、俺がやんわりと断ると、

「え……」

「嘘……」

「おいおい……」

「メ……」

「なんで……」

「まさか……」

「マジかよ……」

 全員、意外そうな目で俺の方を見つめてきた。

 ――なんだ、この反応は?

「蒼条さん、レポート以外にやることあったんですか?」

 オイ、コイツら! 俺のことを何だと思っている⁉

 俺は怒り心頭で全員を睨みつけたが、一度冷静さを取り戻して眼鏡を正した。コイツらにまともにツッコミを入れたら負けだ、と悟った。

「その日はな、ちょっと約束をしていてな」

「約束って、誰と?」

「いや、大したことじゃない。ゼミの女子と、少しばかりイルミネーションを見に行く約束を――」

 俺が冷静に説明をすると、

「それって……」

「デート、ですよね?」


 ――、


 ――、……、――、……、――、……、――、……、(←これはモールス信号とかじゃなくて、物凄く反応に困っている表現だよ。by メター談)


 そうなる、のか?

「えええええええええええええええええええええッ⁉」

「そそそそっそそ、蒼条さんが、でえええええとおおおおおおおおおおおッ⁉」


 全員が素っ頓狂な声を張り上げて驚いた。

 これがデートに当てはまるのかはさておき、だ。

「お前らの反応、すっごい腹立つな」

「だだだだだ、だって! あまりそういう話聞かないから!」

「ていうか! 彼女いたのかよッ!」

「い、いや、彼女では……」

「ゼミの女子、かぁ。俺の若いころを思い出すな!」

「あぁ、このメンバーの中では蒼条くんが一番ワンチャンあると思ったのに……」

「影子さん、植物たちが教えてくれました。『身の程を知れ』と」

 どいつもこいつも、好き勝手言ってるな。

 というか、灰神は一体何を言っているんだ? 俺は頭を抱えた。

「ま、まぁ、その用事が終わってからなら来られる、かも知れんが……」

「それより! 絶対、デート成功させなきゃダメですよ!」

「おう! 漢気を見せてこい!」

「彼女を泣かせたらタダじゃおかねぇぞ!」

 皆の熱量に圧倒されて、俺は「あ、あぁ……」とたどたどしく返事をすることしか出来なかった。

「それにしても、蒼条さんがデートですかぁ」

「応援していますよ! 無事に終わるといいですね!」


 ――無事に終わると、か。


 それだったらいいが。

 俺はふと、この間のハロウィンを思い出す。

「……こういう時、やはり奴らが出てきそうな気がするのだが」

「あぁ……」

「奴らね」

「出てきそう、ですよね」

「可能性はあるわね……」

「出てきそう、だよね。“闇乙女族”」


 まぁ、出てくるだろうな。

 俺たちは全員揃って嫌な予感を抱えていた。


 とりあえず、無事に終わることを祈るしかないが――、


 やはりというか、案の定というか。

 その嫌な予感は、当たることになるのだった。

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