第8話 「黒塚兜は己の力でなんとかしたい(後編)」

 なんだか身体が軽くなった気がする。

 毎日千回は筋トレしている筋肉も、どこか落ち着いたような……。

「メ、これを見るメ!」

 白いふわふわの生き物が俺の目の前に漂ってきた。

 そいつが手に持っているコンパクトを俺に見せてきた。


 まずこれは俺じゃない。俺にしては随分髪が長いし、俺にしては随分背が低い。俺にしては筋肉もないし、俺にしてはまず着ないであろう黒いチャイナ服っぽい恰好をしている。


 ――結論。

「これは俺じゃないな」

「いや、あなたよ。現実を見なさい。あなたはその姿に変身したの」

「そっか、変身したのか。見た感じちっこい女の姿だが、あまり力が強そうじゃないな」

「うわ、反応うっすー。TS物的にもっと戸惑ったりしなさいよ」

 ううむ、何やら色々難しいな。

「とりあえず君の戦いのサポートはボクがするメ!」

「頼んだわ、メパー」

 なんか白いふわふわの生き物が現れた。なんだこりゃ? まぁ気にしないでおこう。

「なるほど、五人目の魔法少女というわけね」

 ドレスの女が何か分かったかのような顔をして言ってきた。

「……五人目? まだ四人いるのか?」

「それについては追々話すわ」

「今はとにかくアイツを倒すメ!」

 うむ、それしかあるまい!

 俺はまず拳に力を込めて蜘蛛女に近付いた。

「くらえええええええええッ!」

 拳にありったけの力で拳を振りかざし、蜘蛛女にパンチを……、


 パフッ――。


 音が出たのか出ていないのか分からないレベルで、拳が蜘蛛女に入った。

 いや、入ったのか、これ……。

「クモックモックモッ、痛くも痒くもないスパイダー!」

 けたたましく笑う蜘蛛女。ぶっちゃけ、かなり腹が立つ。

「おい、やっぱり力が弱くなってんじゃねぇかッ!」

「そのまま殴るだけじゃダメだメ! 漢気を解放するんだメ!」

 ――漢気の解放、だと?

 普段から解放しているつもりだが、まだ足りないのか?

 全く、こういうのは一気にやってしまいたいところだが、仕方あるまい。どうしていいか分からないから、こういうときはとにかく――、


「漢気、解放ッ!」


 叫ぶしかあるまい――。


 俺は声の限り叫んだ。

 すると、両腕がいきなり軽くなった気がする。軽い? いや、重いのだ。重いのに腕が動きやすい。まるで、変身前の自分と――、いや、変身前以上に力が湧いてきた。

 それだけじゃない。俺の両手に黒いグローブがはめられている。なかなか堅い材質みたいだが、力は結構入れやすい。

「うおおおおおおおッ!」

「何度やっても無駄スパイダー」

 と、相手は高笑いで馬鹿にする。が、俺はそんなものともせずに渾身の力を込めてもう一度殴った。

 ドゴッッッッッ! と大きな音が蜘蛛女の腹から太鼓のように響き渡った。それと共に蜘蛛女の身体は背後へとのけ反っていった。

「グモオオオオオオオオッ!」

 けたたましい声と共に、蜘蛛女は転がっていく。

「なかなかいい感じに入ったみたいだな」

「グ、グモ……、お前、魔法少女なら魔法を、使えスパイダー……」

「はっ、魔力を帯びた拳だから魔法少女で間違ってはいないだろうよ! 俺がそう決めたのだから間違いない!」

「屁理屈をクモ……。だが、まだこれしきではやられないスパイダー!」

 どうやらまだ相手は戦う気力はあるらしい。

「だったらもう一回殴るのみだッ!」

 と、叫んだ矢先、

「これならどうスパイダー!?」

 上から再びあの糸が降ってくる。またしても俺の両腕に絡みつき、動きを封じる。

「ふん、同じ手は二度は通じないぞ!」

 先ほどの力が弱まっている時ならともかく、今の俺なら……。

 フンッ、と力を込めて再び糸を引きちぎる。この程度、全然大したことは――。

「おっと、近付くなスパイダー!」

 蜘蛛女が勝ち誇ったようにニヤリ、と笑った。起こした身体を上げて、手を繭のひとつに向けている。その手の先は鋭い刃物のようになっており、おそらくそれが意味するものは……。

「人質、か」

「クモックモックモ! そうだスパイダー! この繭にはお前の生徒が入っているスパイダー。だが、既に漢気を吸い取って身体の変形を始めてる途中だスパイダー。つまり、今のコイツは母体の中の胎児も同然。刺すだけでも当然、繭を引き裂いただけでも異形の物体が出てくるだけで、命の保証はないスパイダー!」

 なんてこしゃくな真似を……。

 ん? 身体の変形?

「もしかして、その変形とやらが終わったら……」

「クモックモックモ! 今さら気付いても遅いスパイダー! そうだ、変形が終わったら私と同じスパイダーアクジョになるスパイダー!」


 ――ふざけるなッ!


 俺はそう叫ぼうと思ったが、声が出なかった。決してビビっているからではない。大事な生徒を人質にされ、怒りが頂点に達して声に詰まったからだ。

 だが、このままでは生徒を救うこともできない。教師として、一人の魔法少女として、俺は不甲斐なさを痛感していた。

「ぐっ……」

「クモックモックモ! いい気味スパイダー! いいか、そこから一歩も動くなスパイダー。動いたら……」

 蜘蛛女の手先が更に繭に押しあてられる。

「卑怯な真似をッ!」

「卑怯で結構! どうやらお前は接近戦しかできないようだスパイダー。だったらこちらに近付かせなければどうってことないスパイダー」


 ――どうする?


 俺は迷った。とにかく、どうやってこの状況に立ち向かうべきか、必死で頭を働かせた。

 力には自信があるが、こういった戦略を立てることは苦手だ。将棋やオセロなんかも勝ったことはない。では、どうするか……。

 ふと俺は傍らに聳えている大木に目がいった。幹も太く、かなりの大きさを誇っている。

 ――なるほど、な。

「なぁ、そこの綿飴」

「……アメーバだメ」

「どっちだっていい。それよりも、俺の力をもっと増幅させることはできるか?」

 俺は横にいる生き物に小声で尋ねた。

「メ。漢気を大解放すれば、あるいは、メ」

 なるほどな。更に漢気とやらは解放できるのか。

 だったらやることはひとつしかあるまい。

「おい、蜘蛛女。ひとつだけ質問していいか」

「クモッ、何だスパイダー?」

「ここから一歩も動かなければいいんだな」

 俺がそう尋ねると、蜘蛛女は眉間に皺をよせ、「ま、まぁスパイダー」とたどたどしく答える。

 余程、勝ちを確信しているのだろう。それはつまり、油断でもある。


 ――勝つなら今だ。


「漢気、大解放ッ!」

 俺は大きく叫び、全身に力を込めた。

 先ほどとは桁違いに力が湧いてくる。どんな試合の前よりも、ずっと気合いが入る。こんな感じは三十二年生きてきて初めてかも知れない。

 俺はニヤリ、と笑みを浮かべて横の大木を見つめた。

「うおおおおおおおおおおおッ!」

 俺は横の木に向けて目一杯のパンチを食らわせた。

 一瞬、大木が揺れる。しかし、殴った場所からヒビが入り、それはメキメキと音を立てて広がっていく。やがて大木は重力に耐えきれずにどんどん傾いていき――、

「ク、クモオオオオオオオッ!?」

 俺の狙い通り、蜘蛛女の頭上目掛けて倒れこんだ。

 蜘蛛女は避ける間もなくズシン、という音と共に木の下敷きになった。

「ふはははは、どうだ!」

「……ちょっと倒れる場所が狂ったら繭に直撃だったわよ」

 ムッ、それはイカンな。猛省せねば。

 とはいえ、結果オーライというやつだ。蜘蛛女にしっかりとダメージは入った。

「くッ、クモ……」

 蜘蛛女は頭を抑えながら木の下から這い出てくる。うむ、まだピンピンしているか。仕方あるまい。

 こうなったら、と思い俺は地面を蹴って素早く蜘蛛女へ近付いた。こうなったらスピード勝負だ。また繭を人質にとる前に片を付けてやる!

 俺は蜘蛛女を見据えてすぐさま、拳に全身全霊の力を込めた。


「オトメリッサ・甲虫(こうちゅう)乱岩拳(らんがんけん)ッ!」


 重い一撃を蜘蛛女の腹に入れる。そして、次は顔。次は、また腹、脚、顔――。

 相手が女だということもお構いなしに素早い拳を次々に入れていく。

「グモ、グモ、グゲ、モオオオオオオオオオッ!」

 蜘蛛女の雄たけびが森の中に響き渡った。

 数十回、数百回、拳を連打し、そして最後は――、


 アッパーを、蜘蛛女に決め込んだ。


「グアァァァァァスパイダァァァァァァァァッ!」

 強い断末魔と共に蜘蛛女は上空へと打ち上げられ、そのまま黒い光となって散華していった。

「押忍ッ! ありがとうございましたァッ!」

 一応、戦った相手だからな。俺は息を整えて、深々とお辞儀をした。

 しばらくすると俺の視界はどんどん高くなっていく。どうやら元に戻ったみたいだ。下を向いたら見覚えのあるタンクトップが見える。

「メ。繭もどんどん消えているメ」

 本当だ。あの木の間に纏わりついていた糸はほとんど消えて、繭から見覚えのある生徒たちが次々と出てきている。

「せ、先生……」

「おう、お前ら無事だったか?」

「俺たち、一体どうして……?」

 大野おおの道枝みちえだ平野ひらのがゆっくり立ち上がりながら頭を抑えている。見た感じ、どうやら無事みたいだ。

「ふっ、なんか変な魔物が現れてな。魔法少女が助けてくれたぞ」

「……魔法少女?」

「先生ってそんな冗談言うんですね。しかもヒーローじゃなくて魔法少女って」

 生徒たちは苦笑い気味に俺を見ている。嘘は言っていないのだがな。まぁ、俺がその魔法少女だということは黙っておこう。

「ん?」

 人が足りなくないか? 松本まつもと伊野尾いのお岡田おかだの姿が見えないが……。

 俺は周囲を見渡した。すると、見覚えのない女子が地面にへたり込んでいる。ジャージ姿はうちの学校のもので、ゼッケンには「松本」と書かれている。

 まさか、あれは……。

「どうやら、完全に漢気を抜かれたみたいね」

「そんな、まさか……」

 白衣の女は首を横に振って俺を見据えた。

「漢気を完全に抜かれると、もう元には戻れないわ」

 ――クソッ!

 俺は生徒を守れなかったというのか!

 悔しさのあまり、地面を思いっきり殴った。自分が教師としてここまで不甲斐ないと思ったことは初めてだった。

「先生……」

 女になってしまった松本が近付いてきた。

「松本、すまん!」

「いいんです。先生は必死にみんなを助けようとしてくれたんですよね?」

「あ、あぁ……」

「その気持ちだけで充分です。ありがとうございます、先生!」

 ――松本。

 俺は滲み出る涙を拭いて、彼の肩に手を添えた。

「松本、俺はお前が女子になっても、お前の味方だ!」

「先生……。はい! あの、良かったら、女子になっても柔道部を続けてもいいですか!?」

「勿論だッ!」

「あ、オレも!」

 横から別の女子の声が聞こえてきた。ゼッケンに「伊野尾」という名前が書いてあるから、きっとコイツは伊野尾なのだろう。俺は何の迷いもなく「おう!」と返事をした。

「それにしても……」

 岡田の奴は一体どこにいったんだ?

 女子も含めてここにはいない。辺りを見渡すが、他に誰かがいる気配もない――。

「それじゃあ先生、俺らはランニングの続きをしてきます!」

「おう! 俺は後から向かう!」

 生徒たちが意気揚々と走り去っていくのを見届けると、俺はふぅ、とため息を吐いた。

 そういえば、隣町の小学校の先生が一人、女性になってしまったという話を聞いたな。なるほど、こういうことだったのかとようやく理解が出来た。

 しかし不思議なことだらけだ。あの蜘蛛女といい、白衣の女といい――。

 挙句の果てに俺が少女の姿になって戦うなんてな。

 俺は再び腕に着けたブレスレットを眺めた。うん、こうして見る分には悪くないな。

「ふふふふ、それで勝ったつもり?」


 ――あっ。


 そういえば、と俺は赤いドレスの女の存在を忘れていたことに気が付いた。

「スマン、お前の存在忘れてた」

「もう一人の敵を忘れてんじゃないわよッ! ずっと暑苦しい青春ドラマを見せられているこっちの身にもなりなさいッ!」

 白衣の女に叱られ、俺はシュンと黙り込んだ。

「ふふふ、暑いドラマねぇ。それで、もうひとつ忘れていることはないかしら?」

「……まさか、お前!」

 俺は遠くにいる赤いドレスの女の姿を見た。

 そこにいたのは、ドレス女だけではなかった――。

「せ、先生……」

 女に羽交い絞めにされていたのは、柔道部の岡田の姿だった。

「メエエエエエッ!? 何するメ!?」

「安心しなさい。彼を今すぐどうこうする気はないわ。交換条件、といこうかしら?」

「交換条件、だと?」

「そう。この子に聞いたら、どうやらあなたが顧問をしている柔道の大会が来週あるそうじゃない? そのときに他のオトメリッサを全員連れてきなさい。もし来なければ、この子を女性に……、いえ、闇乙女族へと変えてあげる」


 ――なんだと!?


「そういえば他にもオトメリッサがいるってさっき言っていたな」

「ええ。あなたを含めて五人いるわ」

「そうか、それは是非とも会ってみたいことだな」

 俺は腕を組んでうんうん、と頷いた。

「もうちょっと緊張感持ちなさいッ! いいわね! 来週、絶対よッ!」

 ドレスの女が怒鳴ってきた。

 イカンイカン、生徒のピンチだということを忘れてはならない。

「うむ。それまで岡田には一切手出しをしないと約束してもらおう!」

「約束するわ。私、これでも嘘は嫌いなの」

「先生……、もうちょっと心配して」

 岡田が少し涙目になっている。

「それじゃあ、私は失礼するわ」

 そう言って、ドレス女は岡田と一緒にどこかへ消えてしまった。


 ――来週、か。


 俺は歯を食いしばって拳に力を込めた。


「絶対、助けてやるからな! 岡田ッ!」

 俺は大声で叫び、他のオトメリッサと共に協力することを決意した――。

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