第7話 「黒塚兜は己の力でなんとかしたい(前編)」

「せ……、せんせぇ……、俺、もうダメ……」

「はっはっはッ! まだまだッ! まだ二周目だぞッ!」

「勘弁してくださいよ……」

 生徒の中島なかじまは既に辛そうだ。

 他の生徒たちもずっと後ろにいる。なんだなんだ、バテるのが早いぞッ!

「先生……、流石に、学校の裏山を、五周はキツイっす……」

「一周だけでも、結構広いですよ……」

 八乙女やおとめ錦戸にしきども既に息が挙がっている。ううむ、練習メニューをもっと変えた方がいいか。スタミナをつけるために食事バランスや睡眠もしっかり考えてやらねば……。


 俺の名前は黒塚くろつかかぶと。三十二歳。身長は一八七センチ、体重は八十キロ。独身。趣味は筋トレ。好きな食べ物は鶏のむね肉とプロテイン。

 市内にある命ヶ峰みことがみね高校で教師をしている。今日は、俺が顧問を請け負っている柔道部が大会が近いので強化トレーニングに励んでいるのだが――。

「く、黒塚先生って……どんだけバケモノなんだよ……」

「知っているか……、あれで、顧問を、五つも、掛け持ち、してるんだ……ぜ……」

 中島たちが息苦しそうに何か言っているが、俺には聞こえない。全く、情けない、と言いたいところだが、このご時世に無理させるのは良くない。仕方がない、一旦休憩を入れるか……。

「よぅし、どうやらお前たちはここら辺が限界みたいだから、下山したら一回休むぞッ!」

 そう言うと、生徒たちはほっとため息を吐いた。心なしかスピードも上がった気がする。

 それにしても……。

 俺についてきているのは、この三人だけか? 柔道部は確かに人数は少ないが、八人はいたはずだぞ。かなり遅れてきているのか?

「お前たち、先に帰ってくれ」

「せ、先生は……?」

「俺は他の連中を探してくる」

 待ってくださいよ、先生――。

 俺は一瞬、そう言ってもらえることを期待していたが、既に遠のいた後ろからは「よっしゃ、今のうちにサボろうぜ」とか何とか聞こえてきた気がした。が、そんなことは気にしない。


 しばらく俺は裏山のあちこちを走りこんでいた。流石にそろそろ一人ぐらい合流してもいいだろうとは思ったが、誰ともすれ違わなかった。もしかしたら道を外れてしまったなど、と不安が過ぎる。もしそうだとしたら俺は教師として失格だ。

 ――絶対、見つけてやるからな!

 と、走っていると、脇道に誰かが立っているのが見えた。

 が、どうやら生徒たちじゃなさそうだ。こんな辺鄙な場所に似付かわしくない、赤いドレスを着た女性のようだが……。

「すみませーん、この辺でランニングしている学生たちを見ませんでしたか?」

 俺は思い切ってその女性に聞いてみた。

「あら、随分と漢気に溢れた方……、おっと、失礼しました」

 ――何を言っているんだ、この女?

「えっと、それで学生たちを……」

「ええ。見かけましたよ」

 女性は笑いながら答えた。

「ほ、本当ですか⁉ どちらに……」

「あちらのほうですわ。着いてきてくださいまし」

 ドレスの女は手を脇道のほうに差した。

 こっちのほうは、確か特に何もなかったはずだが……。それにこの女、どこか怪しいというか、あからさまに変だぞ!


 ……と、その時にそう思っておくべきだったのかも知れない。


 俺は何の迷いもなくそちらの方向へ走っていった。今の俺には一刻も早く生徒たちを見つけ出さなければという考えしかなかった。

 だが、その先で見たものは――、


「な、なんだこれは……」


 木々の中を、真っ白に何かが塗りつぶしていた。塗りつぶしている、というのは違う。そっと触ってみて分かった。これは、糸だ――。

 糸のところどころに、大きな玉が出来ている。これは繭、とでも言えばいいのか?

 こんな糸を出す生き物と言えば……、


「蜘蛛か、蛾か? しっかし、こんな大きな生き物がいるなんてなぁ」

「蜘蛛よ蜘蛛ッ!」

 後ろから、あのドレス女の声が大きく聞こえてきた。

「なるほど、蜘蛛かッ! いやぁ、しかしこんな大きな蜘蛛の巣があるなんてなぁ。ほら、この繭みたいなものは人が一人くらい入れそうな……」

「入ってるわよ、そこに。あなたの生徒たちが」

 女は妖しく笑いながら言った。


 ――まさか。


「おい、いくらランニングが辛いからって、こんなところでサボるなッ!」

「……もうアンタには何を言っても無駄なようね。いいわ、とっととやっちゃいなさい」

 女の声と共に、何かが頭上から降ってきた。

 白くてベトベトしたもの(決して嫌らしいアレではないぞ)……。これは、あの糸かッ!

 そう気が付いたときには、それは俺の両腕にぐるりと一周巻き付いていた。そして、次第に引っ張る力が強くなってくる。

「ククク、クモックモックモッ! これまた漢気の塊みたいなのが引っかかりまスパイダー」

 さっきの女とは別の女の声が頭上から聞こえてきた。

「さぁ、あなたのご飯よ。思いっきり漢気を食らいつくしなさい」

「クモックモッ、勿論でスパイダー」

 尻から糸を垂らしながら何かが降りてくる。

 蜘蛛アピールが凄いかと思ったら、やはり黄色い身体の巨大な蜘蛛だ。しかし、顔は美女。茶色いショートヘアの上からは触覚のようなものが見えている。

 餌ってことは……。

「さぁ、スパイダーアクジョ。この男も繭で固めちゃいなさい」

「俺を食うつもりか!?」

「半分正解でスパイダー。私が食らうのは肉ではなく、お前の漢気だがスパイダー」

「そういうわけだから安心しなさい。死にはしないわ。ただし、男ではいられなくなるけど、ね……」

 ――男でいられなくなる?

 どういう意味なのかさっぱり分からなかった。が、とにかくマズいことだけはよく分かった。

 俺は糸を引きちぎろうと、何度も引っ張る。が、ビクともしない。

「クモックモックモッ! 無理に引っ張ったらお前の腕がちぎれまスパイダー!」

 ――クソゥッ! このままじゃ埒が明かないッ!

 俺は深く深呼吸をして、全身の筋肉に、力を込めた。

「フンッ!」

 血と力で筋肉がどんどん膨らんでいく。

「無駄だスパイダー! どれだけあがいても……」

「フンッ!」

 俺は思いっきり力を込めて、糸を引っ張り、


 ――ブチィッッッッッ!


 大きな音を立てて無理矢理蜘蛛の糸を引きちぎった。


「なッ⁉」

「クモッ⁉」


 ドレスの女と蜘蛛女はかなり目を丸くして驚いた。

「フンッ、これぐらいの糸、大したことないぜ」

「あ、あの糸は、鉄よりも堅いはず……」

「なんて馬鹿力だスパイダー……」

 驚く二体を余所に、俺は一旦体制を整えようと立ち上がった。

 さて、ここからどうするか……。コイツらをなんとかしないと、また蜘蛛の糸で捕まったら厄介だ。

 しかし、あの繭の中に生徒たちが捕まっている……。まずは生徒たちを助けるべきか?


 ――ええい、考えても仕方がないッ!


 俺は気合を入れなおして、奴らを睨みつけた。


 その時――、


「素晴らしい漢気ね! あなたに力を授けるわ!」

 また別の女の声が聞こえてきた。

 後ろの方から誰かが走ってくる。どうやら白衣姿の女だ。結構痩せ細っていて、眼鏡を掛けている。

「誰だ、お前はッ!」

「私が誰かなんて後! 受け取りなさい!」

 そう言って女は何かを俺に投げつけてきた。

 金色の腕輪か何かか? 真ん中に黒光りする(だから嫌らしい意味ではない)ハートマークがあしらわれている。

「それを使って『オトメリッサチャージ、レディーゴー!』と叫び……」


「いらんッ!」


 俺がそう叫ぶと、白衣の女は「えー」といった表情でこちらを見てくる。

 こんな胡散臭いものよりも、己の力のほうが信頼できる。

「えっと、それ使わないと……」

「いらんと言ったらいらんッ! 待ってろお前たち、今すぐこの蜘蛛の糸から出してやるからな!」

「クモックモックモッ! いいのかスパイダー」

 蜘蛛女は勝ち誇ったように笑っている。

「どういう意味だッ⁉」

「この中では今、捕まった連中の漢気をどんどん吸い取って変化させているところだスパイダー。これを無理に壊そうとしたら、胎児が母体から引き出されるのと一緒で、中の人間は死ぬスパイダー」

 ――クッ。

 よく分からんが、出したらいけない(だから嫌らしい意味ではないと以下略)ということかッ!

 俺は一旦立ち竦んでしまう。

「クッソおおおおおおおッ! 俺は一体、どうすればいいんだあああああああああッ!?」

「だあああああかああああああらあああああああッ! そのブレスレットを着けて『オトメリッサチャージ、レディーゴー!』って叫びなさい!」

 白衣の女が叫んでくる。

「叫んだらどうなるんだッ!?」

「オトメリッサに変身できるわ! その力でアイツを倒して浄化すれば、繭は消えるわよ、多分!」

 多分、だと!? えらくいい加減だな!

 だが……、今はこれに頼るしかないかッ!


 ――ええい、やってやる!


「オトメリッサチャージ、レディーゴーッ!」


 俺がそう叫ぶと、ブレスレットから淡い光が放たれた。

 黒い光が俺の身体の全体に纏わりつく。なんだ、これは――。

 段々視界が下の方に向かっていく。背が縮んでいるのか? 自慢の胸板も段々と柔らかくなっていき、少しだけ膨らんだ感じになる。股間が妙に痛いが、やがてそれも治まる。

 黒いタンクトップだけだった服が、首元をきっちりと締めたような何かに変わり、下半身が妙にスースーする。


 やがて、その不思議な感覚が落ち着いてきたかと思うと……、


「力の甲虫、オトメリッサ・インセクト!」


 何かおかしな恰好で、俺は思いっきり叫んだ――。

 そして、自分がかなり小さな女になっていることに気が付くのは、もう少し後だった――。

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