第5話 「緑山葉はケジメをつけたい(前編)」
「こんにちは、植物さんたち。今日は暑かったでしょ。一杯水あげるね!」
僕はホースを手に取り、花壇の植物たちに水を撒いた。
今日は少し暑くて、地面もかなり渇いている。体育の時間なんか脱水症状になるんじゃないかと思ったほどだ。植物たちもきっと喉がカラカラになっているに違いない。
園芸部には僕を含めて三人しかいない。その中で、こうして毎日水をあげるような物好きは僕しかいない。けど、僕は全然苦ではない。少しでも多くの水をあげることで、彼らがすくすくと成長していけたらと思うと胸が高鳴ってくる。
「おっ、まーた緑山が花いじりしてる!」
「女みたいな趣味してやんの!」
「おいおい、あんな奴ほっといてサッカー行こうぜ!」
同級生たちの野次がどこからか飛んできた、が、僕はそんなことを気にしないで引き続き水をあげた。
僕は同世代の男子たちから変わっているとよく言われている。確かに、ここまで植物が好きで園芸部に入っている男子なんて僕しかいない。スポーツもゲームもあまりやらないし、たまに見るアニメも女の子が好きそうなものばっかりだ。
――女々しいね。
僕はよくそう言われる。けど、不思議と嫌な感じはしない。
ただ、もうちょっとだけ、男らしく見られたい。
そんなことをずっと考え込んでいた。
「おっと、そろそろやめておくか」
植物たちから少しずつ湿った匂いが漂ってくる。そろそろ打ち止めにしたほうがいいかもしれない。
さて、帰るか――。
そう思ってホースの蛇口を止めようとすると、
「待って……。私にも、お水頂戴」
どこからともなく、甲高い女性の声が聞こえてきた。
「だ、誰……?」
僕は周囲を見渡す。しかし、誰もいない。
「ここよ、ここ……」
――どこだろう?
もう一度見渡すと、芝生の上に咲いている一輪のタンポポがふと目に入った。
こんな時期にタンポポ? と不思議に思うが、それ以外驚くようなところはない。他に何があるわけでもなく、僕は首を傾げた。
「まさか、植物が喋るなんてね……」
ははは、と笑いながら別の場所に目を移そうとすると……。
「驚かせてごめんなさい」
――えっ?
もう一度、僕はタンポポを見た。
「ここ数日暑くって、喉が渇いちゃって……。私にもお水を頂戴」
僕は目を丸くして驚いた。
黄色くひっそりと咲き誇っている、一輪のタンポポ。
本当に喋っていた――。
しっかり、茎の部分に小さな目と口が付いていて。見た感じが何かのゆるキャラみたいで。どことなく可愛い。
「えっと……」
僕は戸惑っていた。植物が喋るなんてことはありえない。
けど、僕は……。
「お、お願い」
「うん……、分かった」
言われるがままに、僕は水をそのタンポポに向けて掛けた。
「あぁ、気持ちいい……」
タンポポは気持ちよさそうに水を浴びている。
良かった、喜んでいるみたいだ。不思議な現象のはずなのに、微笑ましい気持ちにさせられる。
――ドクン。
一瞬、僕の心臓が嫌な高鳴り方をした。
先ほどまで微笑ましい光景だったのに、嫌な予感がする。どういうことだろうか、これ以上このタンポポに水をあげたらいけないような……。
「君、それに水をあげるのをやめなさい!」
背後から突然女性の声が聞こえた。
誰だろうと振り返ると、そこには白衣を着た女性がいた。髪は長く、結構痩せ気味であまり健康そうではない。
「えっと……」
僕は思わず水を止めて、急いで蛇口を止めた。
なんだ、本当に不安が過ぎる――。
「あなたは?」
「見ての通り、この学校の保健医よ」
確かに白衣を着ているけど、こんな保健の先生いたっけ?
……と。
どうやらそんなことを不思議がっている場合じゃなさそうだ。
「あーあ、もっとお水が飲めると思ったんだけどなぁ」
タンポポが少しだけ不敵な笑みを浮かべる。
「君は、一体……」
「ふぁぁ、ちょっと眠たくなってきちゃった……」
タンポポが欠伸をすると、地面からどんどん茎を大きくさせていった。茎だったものは、やがて薄緑色の人肌へ変化していく。頭には黄色い花を咲かせているけど、人型の――胸が大きく、かなり美人な女性の姿になった。
「ちっ、手遅れだった……」
保健医と名乗る女性は、タンポポだった人を睨みつけながら舌打ちをする。もう何がなんだか良く分からないことになっているけど……。
一つだけ言えるのは、僕はとんでもないことをしてしまったのかもしれない。
「ご、ごめんなさい……。僕が水をあげたばかりに」
「あなたのせいじゃないけど……、とにかく今はコイツをなんとかしないと」
「こらぁあああああぁぁぁッ!」
僕らの後ろから誰かの怒鳴り声が聞こえてくる。この声は、学年で一番厳しいと評判の
厳つい表情で、ガタイのいい男性教師がこっちに向かってきた。
「ちょ、今はこっちこないで……」
「貴様、見ない奴だな! 不審者め! ちょっと来い!」
権藤先生は白衣の女性の袖を掴んで引っ張った。
「ちょっと! アタシは保健医だって!」
「嘘つけ! お前みたいな保健医なんて俺は知らんぞ!」
――やっぱ嘘だったんだ。
誰なんだろう、この人。僕は何か弁護をすべきなのだろうか。
「いたたた、放して! 今はそれどころじゃ……」
――っと、それどころじゃない!
僕は再びタンポポだった女性を見た。
「ふぁぁ、そろそろいいかな。ちょうどいい風も吹いてきたし」
眠そうな顔をするタンポポ女。頭に咲いていた花が、いつの間にか真っ白な綿毛になっている。
――マズい。
「先生、逃げて!」
僕は本能的にそう叫んだ。
しかし、その瞬間、ぶわん、とタンポポ女は頭を揺らして、頭の綿毛を風に乗せて飛ばしてきた。
「ん? なんだ……」
権藤先生が眉間に皺を寄せた。
そのとき――、
綿毛のひとつが権藤先生の頭上に貼りついた。
それと同時に、厳つかった権藤先生の顔が妙に艶めかしくなる。薄毛気味だった髪が伸び、スーツ越しに胸が大きくなって……。
権藤先生が、女になってしまった。
しかも、頭には黄色い花――タンポポが咲いている。
「な、なんだこれ……」
権藤先生は泡を吹いて倒れてしまった。
「ご、権藤先生!」
「……大丈夫、気絶しているだけよ」
「ふぁぁ、まだまだたっくさん漢気が欲しいなぁ」
タンポポ女はまたもや頭を揺らし、綿毛をたくさん飛ばしていく。
「マズい、このままじゃ……」
どういう状況なのか、本当に訳がわからない。とにかく逃げないと……。
「に・が・さ・な・い」
突如、僕の脚に何かが絡みついてきた。
「くっ……」
絡んできたものをよく見ると、何かの植物の根っこみたいなものが地面から生えていた。まさかこれはあのタンポポ女の?
「坊や、さっきはお水ありがとうね。君は最後にたっぷりと、お礼してあげる。」
僕は遠目から、校庭にいる子どもたちや先生を見る。
「うわああ!」
「きゃあ!」
「何これ⁉」
次々と、綿毛が付けられた人たちが女になっていき、権藤先生と同じように頭にタンポポが咲いている。よく見たらその中にはさっき僕に野次を飛ばしてきた子もいる。
「なんで、皆女になってるの……」
「ふふふ、この綿毛を付けられた男のコはね、漢気を吸い取られてしまうのよ。それで、これがもっと成長しちゃうと、私と同じ『ダンデライオンアクジョ』になっちゃうわけぇ。で、そこからもっと、もーーーーっと、たくさんの綿毛を飛ばしていくのぉ」
のほほんと恐ろしいことを話すタンポポ女。
このままでは皆が女になってしまう。それどころか、タンポポ女と同じ姿になって、更には被害がもっと拡大してしまう。
――僕のせいだ。
知らなかったとはいえ、僕がコイツに水をあげなければ、こんな大惨事にはならなかった。そう思うと悔しくて涙が出そうになる。
――ケジメ、つけなきゃ。
「うわぁああぁぁぁぁッ!」
僕は必死で叫びながら絡まった根を解こうとする。
堅い。そして、とてつもなく強い。
「無理しちゃダメよ!」
白衣の女性が叫んできた。
「でも! 僕が、僕が水をあげなければこんなことにならなかったんだ! だから、僕がケジメをつけなければいけないんだ!」
僕は更に強く根を引きちぎる。まだ強い。足首から血も滲んできている。
「ふぁぁぁ、無理無理」
「う、うわあああっぁぁぁぁっ!」
勢いよく、僕は根っこに力を込めた。
そして、根はブチッ、という音を立てて、引きちぎれた。
僕はその隙に背後へ動き、なんとかタンポポ女から距離を取った。
「はぁ、はぁ……」
僕は肩で息をしながら、タンポポ女を睨みつけた。
植物は好きだ。けど、あれは決して植物とは似て非なる……いや、全く違う怪人だ!
「……ふぅん、なかなかやるじゃないの」
「えへへ、植物は教えてくれたんです。責任を取るなら痛みは乗り越えろ、って」
僕は苦笑い気味に女性に話しかけた。
「君ならこれを使いこなせそうね……」
「えっ?」
「あなた、ケジメをつけたいって言ったわよね。だったら、その為の力を貸してあげるから、それでアイツを倒しなさい」
――ケジメをつける為の、力?
女性はそう言って、何かを僕に手渡してきた。金色のリングみたいなもので、真ん中には緑色のハートマークがあしらわれている。これは、ブレスレットかな?
「これは……」
「それを着けて、『オトメリッサチャージ・レディーゴー!』って叫びなさい」
えっと……。
僕はかなり困惑していた。一体これは何なのだろうか。
しかし、今はもうやるしかない――。
僕は意を決して、ブレスレットをはめた。
「オトメリッサチャージ・レディーゴー!」
そう叫んだ瞬間――。
ブレスレットから淡い光が放たれて、何か暖かい感触が僕の肌を覆う。
緑色に変化したその光は、僕の身体を包み込んだ。一瞬、胸に痛みが奔るが、それが治まったかと思ったら胸が異様に膨らんでいる。お尻も大きくなって、髪も伸びていく。脚も少し伸びた気がするが、それはやがて後ろに纏められていく。Tシャツと短パンだった僕の服が、緑色のチューブトップのドレスのような物に変化し、肩には同じく緑色のストールが纏わっている。
そして、やがてその光が消えたかと思うと――。
「癒しの草花、オトメリッサ・リーフ!」
僕は妙な恰好で、妙な台詞を叫んだのだった。
自分が女の子になっていると気付くのは、その直後だった――。
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