第1話 「桃瀬翼は戦う力が欲しい」

「で、学生証は持っていないの?」

「はい、ありません」

「他に身分を証明するものは?」

「なーんもありません。財布に小銭がちょっとあるぐらいです」

 目の前にいるお巡りさん二人は揃ってため息を吐いた。多分、面倒くさい人だと思われているんだろうけど、正直その通りだから仕方がないと思う。

「……君、名前は?」

「あ、それだけは覚えています。桃瀬翼って言います。果物の“桃”に、瀬戸物の“瀬”、あと翼をくださいの“翼”で……」

「はいはい……」

 うん、そこだけ覚えておけば多分問題はないだろう。

 ただの一般市民、どこの学校かも分からないような学ランを着ているだけの僕がお巡りさんの御厄介になっているのか。

 遡ること、一時間前――。

 どこかも分からない空き地に、僕は倒れていた。道行く人に「大丈夫ですか?」と声を掛けられなければ多分そのまま寝ていたのだろう。

 で、起きて開口一番に「ここはどこですか?」と聞いてしまい、その人はぽかんと開いた口が塞がらない様子だった。

 それからしばらく彷徨っていたら交番を見つけて、こうしてお巡りさんの御厄介になっているわけで……。

「先輩、この子どうします?」

 片方のお巡りさんが困惑した様子で、もう一人のほうに耳打ちした。

「どうもこうも、署のほうに連絡して保護してもらうしか……」

 そのとき――、

 お巡りさんの無線が突然鳴りだし、慌てた様子で奥へと駆け込んでいった。

 しばらく僕が様子を眺めていると、やがてお巡りさんは急いで戻ってきた。

「河川敷の方で中学生同士の喧嘩らしい」

「マジっすか、こんなときに――」

「仕方ない、急いで行くぞッ! あ、君はしばらくここで待っていてね」

 そう言って僕を残してお巡りさんたちは外へと駆け出し、パトカーに乗ってどこかへ行ってしまった。

 僕はと言えば、どうしたもんかとため息混じりに見つめるしかなかった。

 ――喧嘩、かぁ。


「オイ、やんのかゴルァッ⁉」

「今時『ゴルァッ』とかいう奴も珍しいけどよ……まずてめぇの服のセンスがだせぇ」

「んだとゴルァッ!」

「ふざけんなゴルァッ!」

「おめぇ、俺ら『汁刃煮悪しるばにあ一派ふぁみりーに喧嘩売ったこと、後悔すんじゃねぇぞッ!」

 おお、やってるやってる。

 僕は河に沿って走ってきたら、案の定柄の悪そうな学ラン姿の人たちが何人も河川敷に集まっていた。

 十人くらいの強そうな不良たちに対して、相対して睨みつけているのは一人の金髪の少年。傍らに太ったのと小柄なのがいるけど、見るからに弱そうだからカウントしなくていいか。とはいえ、唯一強そうな金髪少年一人だけでこのメンバーを相手にできるのだろうか。

 ――うん、これは見物だ。

 僕は土手を降りて間近で見ることにした。

「よっしゃあ、やるぜ家族ふぁみりーどもッ!」

「はっ、こっちもやってやろうじゃねぇかッ! この、凶獣と呼ばれた黄金井爪様をナメんじゃ……」

 と言ったところで、金髪の少年は左のほうに視線を移した。

 間近で地べたにしゃがみ込んでいる僕の姿を、彼はじっと見つめている。他の不良たちも、一斉に僕の姿を見つめている。

「……何してんだ、おめぇ」

「あ、僕のことはお構いなく。面白そうだから見学させてもらいます」

「邪魔だ、どけ」

 皆揃って僕を邪険にする。別に邪魔しようって魂胆があるわけじゃないけど……。

 声のトーンからして、少しやる気が失せたのかもしれない。流石に邪魔になるだろうと、僕はその場から離れようとした、その時――。

「こらあああああぁぁぁぁぁッ! 君たち何やってんだッ!」

 サイレンの音が聞こえてきたかと思ったら、先ほどのお巡りさんたちがこちらのほうに駆け寄ってきた。

「やべっ、サツがきやがった⁉」

「おいおい、今からってときによぉ」

「君たち……、ん? 君、さっきの?」

 お巡りさんの一人が僕の方に気付いた。僕は照れ笑いを浮かべながら、

「あ、どうも。面白そうだから来ちゃいました」

「来ちゃいました、じゃないよッ! 全く……、というか、どうやってここに?」

「えっ? 走ってきましたけど……」

「いやいや、何で君が先に着いてんの? こっちはパトカーで来たんだけど……? って、そんなことを気にしている場合じゃないッ!」

「先輩、まずは不良たちを……」

 あぁ、なんか色々ややこしいことになってきたみたいだ。

 僕は邪魔になってはならないと、一歩後ろに退いた。

 ……と、そんなことをしていると、誰かまた別の人がこちらに近付いてきた。僕らよりもいくらかは年上の女性のようだ。高価そうな赤い派手なドレス姿は、この光景の中では嫌でも目立つ。

「あらぁ、美味しそうな男性が一杯ねぇ」

 何の用だろうか。僕と同じように不良の抗争を見学しにきたのだろうか。こんな高貴そうな女性がそんな趣味があるとは思えないけど。

「あん? なんだぁ、てめぇ!」

 大柄な不良が女性にガンつけにいった。

「アナタ、いい漢気ねぇ」

「んだとぉ⁉ てめぇ、どこ中だぁッ⁉」

「オイ、君ッ!」

 お巡りさんが大声で窘めようとする。

 どこ中って、どう見てもその人中学生ではないような気もするけど……。不良の定番の台詞といえばそうなのだろうけど、ボキャブラリー少なくない?

 ――なんて僕が考えていると、

「どこ中、そうねぇ……」

 そう言って女性は不良に顔を近づけた。

 先ほどまでガンつけていた不良が、どこか怯えたように冷や汗が流れる。なんだろう、何か嫌な予感がする――。

「『お食事中』、かしらね――」

 女性は、すうっと息を吸い込み始めた。

「お、おい……」

 何か不良の身体から、淡い光の粒が溢れ出る。その光はやがて、風船のような形になって女性の口へと吸い込まれていく。

「お、きゃ、うう……」

 不良の苦悶の声が、どこか弱々しくなっていく。というよりも、甲高くなっていくと言った方が正解なのだろうか。まるで、荒々しい男の声が女性の声になったかのような――。

「な、なんだよこれ……」

 金髪の少年も目を丸くして驚いている。他の面々も、何が起こっているんだと言わんばかりに硬直していった。

 やがて――、

「きゃああああああああッ!」

 学ランの下からは膨らんだ胸が露わになり、短かった髪も伸び、筋肉質だった身体も丸みを帯び――、

 屈強そうだった不良の男は、誰の目から見ても女の姿になっていた。

「美味しい漢気、ごちそうさま」

 赤いドレスの女性は、ぺろりと口を嘗め回して、女性になった元不良男子を見下ろした。

「あ、兄貴ッ!」

 不良の仲間が女になった不良に近づいていく。

「まだまだ美味しそうな漢気が一杯あるわねぇ……。さて、そろそろあなたにもお食事分けてあげるわ、“タイガーアクジョ”」

 女性の影が、地面から立ち上がるように大きくなっていった。いや、これは影じゃない――。人型の何か?

 その影は毛むくじゃらの、胸が大きな生き物へと変貌していった。艶やかな黄色と黒の縞模様に、長い髪。虎のような姿で、手からはいかにも鋭い爪が生えていた。

「ひ、ひいいいい……」

 近くにいた男子は逃げようと必死で後退るが……、

「オトコ、ギ……いただくわ……」

 女性型の生き物は彼に近づき、そしてそいつもまたすうっと息を吸い込んだ。

「ぎゃ、きゃああああああッ!」

 やがて、その男子も同じように女の子の姿へと変貌する。

「タイガーアクジョッ! 漢気、もっといただきなさいッ!」

 女性が命令すると、タイガーアクジョと呼ばれた生き物は素早く他の不良たちに近づき、

「うあぁ、いやあああああっ!」

「俺……アタシが女にいいいいいッ!」

「胸が、アソコがああぁあああッ!」

 どんどん男子を女の子に変えていく。

「なんなんだ、おい、お前ら何を……」

 お巡りさんの一人が近付いていった。

「あら、アナタもたくさんの漢気をお持ちでいらっしゃるのね」

 と、まるで怯む様子もなく、お巡りさんにタイガーアクジョは近付いて、そして――。

「う、きゃああああああっ!」

 あっという間に、お巡りさんも女性になってしまった――。

「せ、先輩ッ!」


 ――大混乱だ。


「オイ、どうなってやがんだ⁉」

 金髪の少年もまた、歯を食いしばりながら焦っていた。

「知らないっすよぉ! それよりも早く逃げましょう!」

「そうだ、逃げないと……」

 慌てふためく弱そうな不良たちを余所に、金髪の少年は彼らの前に立った。

「てめぇらは逃げろ。コイツらの注意は俺が引き付ける」

「でもそれじゃあ爪さんが……」

「かまわねぇ。こんな女の相手くらい、俺一人で……」

「け、けど……」

「早くしろッ! てめぇらが女になった姿なんざ、見たかねぇんだよッ!」

 ――恰好良い。

 記憶はないけど、昔読んだ少年漫画にこういう不良がいた気がする。タイトルも内容も思い出せないけどね。

 金髪の少年は、ドレスの女性とタイガーアクジョを睨みつけながら、ゆっくりと近付いた。

「あらぁ、わざわざお食事がやってきてくれたみたいねぇ」

「漢気……、コイツの漢気、ウマそう……」

 ぐっと睨みを利かせる少年だが、汗の量は尋常じゃなかった。

 どれだけ強がっていても、やはり怖いものがあるのかもしれない。

 ――だったら。

「僕も戦うッ!」

 僕も、彼の隣に立った。

 喧嘩なんて出来るか分からないけど、とにかく戦いたい。

「おい、何なんだよ、てめぇ!」

「僕だって、戦うッ!」

「あぁ、もうッ! 好きにしろッ! 邪魔だけはすんなよッ!」

 ――そうだ。

 戦ってやる。何故か覚えはないけど、今はとにかく戦いたい。戦えるかは知らない。

 僕は、戦う力が欲しいッ!


「貴方たちの漢気、見せてもらったわよッ!」

 突然、誰かの声が聞こえてきた。

 誰だろう。土手の上に女性らしき人の姿が見えるけど、ここからだと逆光で見えない。

 その人は突然、こちらに向かって何か投げてきた。

「それを持って、『オトメチャージ、レディーゴー』って叫んで」

 何を投げてきたんだ――?

 僕と金髪の少年はそれを拾って、まじまじと眺めた。これは、ブレスレット、かな? 金色のお洒落なデザインの真ん中にはピンク色のハートマークがあしらわれている。金髪の少年が拾ったほうは、黄色いハートマークらしい。

「なんだこれ? っていうか、アンタ誰だよッ⁉」

 金髪の少年が突っ込む間もなく、僕は、

「オトメチャージ、レディーゴーッ!」

「いや、叫ぶんかいッ!」

 とりあえず叫んでみた。今はとにかく、やれることをやってみたい。

「あぁ、もうッ! しゃーねぇな! オトメチャージ、レディーゴーッ!」

 彼もまた、思いっきり叫んだ――。


 ブレスレットから淡い光が溢れだし、僕らの身体を包み込んでいく。

 暖かい。どこか優しい感じもする。

 光の粒は、やがて僕の胸を刺激していく。ちょっと痛い。腫れたような、というよりも、膨らんでいくような感じがする。

 お尻もぷるんと、柔らかくなったような気がする。いや、全身がなんか柔らかい、気がする?

 短かった髪が、腰のあたりまで一気に伸びて、先端もくるんとカールを描く。服だって、堅い学ランがふわふわしたものに変わっていく。

「あ、うう……」

 金髪の少年も同じように、淡い光によって胸が膨らみ、全身が柔らかくなっていく。髪も僕と同じように伸びていくが、その形は頭の上の方で二つ結びになった。彼の服も学ランから上下に別れた何かに変わっていった。

 そして、やがて――、


「未来への翼、オトメリッサ・ウィング!」

 完全に女の子の姿になった僕と、

「悪を切り裂く爪、オトメリッサ・クロー!」

 同じように女の子になった金髪の少年が――、


「魔法少女オトメリッサ、ただいま参上ッ!」


 妙な恰好で、変な台詞を発しながら現れたのだった。

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