第29話 白一点
11回裏、同点。
打席は悠星からの三打席目。
ゆずれない。誰も彼も、憧れの舞台に立ちたいから。きっと、そこに行けば、全てが叶う。人生の全てが満足すると、そう夢見ていた場所に。
甲子園に行く。
それが叶うなら、残りの人生、全て賭けてもいいと。
「ストライクッ!!」
審判の声も心なしか大きなっていっている気がする。暑い中の延長戦でも、間違うことなく判定している。
いい審判だ。
誰も帰る人がいない球場。
ここだけが世界で、動いている気がする。
天下が、ここで決せられているような夢見。
ボールは止まっているように思えた。悠星は、脇を閉め、右肘をたたみ、内角球の芯をくって、身体の前でミートした。
絶妙な音が一瞬で弾けていく。
そして、ファールゾーンのスタンドに吸い込まれた。
ふぅ、一息つく。
いい当たりすぎた。こういうときの高揚が、無駄球に手を出させてしまう。
追い込まれただけだ。こっちは不利。まだボール球を3球も使える。
悠聖は仕切り直して、構える。
矢瀬に回しても、また敬遠になるのは分かっている。けど、先頭打者だ。大振りで、アウトになるのは良くない。
コンパクトに、ボールを見て——。
「ボールッ」
大丈夫。見えている。少なくとも三振はしないはず。
悠星は、次のボールを振り抜いた。二打席目と同じように変化球カーブをとらえて、外野へのライナー。
素早く一塁を回って、二塁に到達した。
三打数三安打、上手くいきすぎだな。
矢瀬がバッターボックスに入る。
一度向こう側のタイムがかかる。敬遠するのか勝負するのか。
準決勝の高校は勝負を選んで、見事に大きな花火と共に散っていった。
タイムが切れて、投手は、矢瀬を凝視していた。
セカンドベースにいても、ピッチャーが勝負を決意していることがわかった。
夏。
夏の雲が風に流れていって、空は青一色の蒼穹だった。清々しい青がドームとなって、球場の全員を包んでいた。
夏弥、那雪、秋羽、チヤ、波美さん、母さん、父さん……矢瀬、決めてくれよ。
今はもう祈ることだけしかできない。打てば、全力で走るから。最後のホームベースまで。
ボール球が先行していく。勝負を決めても甘い球は投げられない。一打サヨナラの場面だから。ギリギリのコース、手が出ても仕方ない。もしかしたら審判がストライクの判定をするかもしれない。
内角の球を矢瀬が空振る。
豪快なスイング音が頼もしい。投手にとっては恐怖でしかないが。球がひしゃげて飛んでいきそうな。
牽制球を一度挟んで、明央のエースはセットポジションから投げる。
ボール。
変化球が低めにバウンドしたが、キャッチャーは後ろには逸らさない。
ピッチャーは強くボールを握り、首を振る。
マウンドで空を見上げている。ああ、太陽はそこいる。輝く白の発光。
握り直して、バッターに向き直った。
ワンストライク、ツーボール。
最後の一投は、少し抜け気味の甘い変化球だった。
十一回、投げ抜いての——失投だった。
そんなボールを矢瀬昴が見逃すはずもなく、ジャスミートした。
打球は文句なしのセンターの頭上を超える特大ボームランだった。
アーチが静かに見送られた。
球場は一気に波打つように盛り上がった。矢瀬はボールを見送ったあと、ゆっくりと歩き出した。
試合が決着した。
3-5。延長11回サヨナラ。勝者、香星高校。
ホームベースを踏んで帰ってきった矢瀬を部員たちは喜び合い、そして、明央選手と礼をして、球場の人たちに礼をした。
†††
ベンチを片付けて、監督の言葉を聞き、解散となった。
悠星は、すぐに夏弥を見つけた。那雪も一緒だ。
「あれ、抱きついてこない」
「そんなに身構えられていたらな」
「そっ。とりあえず、おめでとう。ロリコン認定は取り消してあげます」
「ありがとう」
「その、おめでとうございます」
「那雪もありがとう」
肩の荷物を置く。
五回投げただけだが、結構疲れを感じる。
「これでもっとイケメンだったら女子がキャーキャー言ってくれるのにね」
「もうそんなの過去だろ」
「そんなことない気もするけど」
「お姉ちゃんがくっついているせい」
「なゆきぃ。くっつかれてるの間違いでしょ」
三人で笑い合っていると、本当に終わったんだ、と実感が湧いていくる。まだ甲子園があるのだけど。
案外、あっけなかったような気もする。
負けたときの絶望感に比べると。まだ続くのだから。
「俺、勝ったんだな」
悠星は、脱力する。
こみ上げてくるものは、まだ火山の底でジッと動かない。血管を巡る熱と外気で温められた身体は、徐々にクールダウンしていた。
歓喜の一瞬を過ぎて、日常は続いている。
「悠星、よかったね」
帽子をとっていた髪を夏弥が撫でる。
よかった……よかった……。
「一度帰って、シャワーでも浴びなよ」
甲子園だ。そこに、行ける。
ラッキーだった。ほんの少し違えば、行けなかった。負けててもおかしくなかった。
「夏弥、甲子園。来てくれよ」
「行く行く。一回戦からね」
「ああ」
かつての高三の、野球部のマネージャーをしていたときの、彼女とは違う。でも、夏弥に見せられる。
甲子園の光景を。そこで戦う香星高校を。
「さて、束の間の休息か」
「お姉ちゃん、どこか行かない?」
「三人で?」
「お姉ちゃん、前にドタキャンした」
あはは、と夏弥は苦笑いした。
「那雪、お姉ちゃんは空気を読んだんだよ」
「じゃあ、次は来ますね。空気を読んで」
那雪の瞳は、平坦にジーッと夏弥を見つめていた。
「仕方ない。悠星、両手に花だね」
「そうだな」
自然と答える悠星に、逆に夏弥はうろたえる。
からかったつもりが、素直な反応をされたから。
「不純異性交遊はやめてね。せっかく甲子園なのに、部員の不祥事で、とか最悪だから」
「秋羽、俺はそんなことしないからな」
秋羽が、矢瀬と一緒にこちらに歩いてきていた。
相変わらず、耳がいい。その距離で聞こえていたのか。
「どうだか。優勝して宴会騒ぎでお酒でも飲んで勢いで、とかね」
「やけに具体的にしていかないでくれ。宴会なんてしないからな、うちは」
「そうなの」
「別に野球ファンの家庭ではないからな」
「秋羽は、悠星と付き合うのか。行けたら付き合ってあげると言っていたが」
矢瀬のその言葉に心底嫌そうな顔を見せて——秋羽は、夏弥と那雪を確認する。
「ダメでーす。準決勝も決勝もお兄ちゃんのホームランのおかげだし」
「矢瀬、守備の大事さを教えてやれ。野球には表と裏があるって」
「ツンデレなんだ。許してやってくれ」
どこにデレる要素があるんだろうか。そんなところ見たことないのだが。
「そうだ。しっかり肩は冷やしておきなさいよね」
「……これでデレとか言わないよな」
「さあな」
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