第28話 宙空

 スピンしていくボールがファールラインをギリギリ超えてしまう。

 ファールの判定。

 球威は落ちている。打てない球じゃない。

 ボール。ワンバウンドした球をキャッチャーが捕球する。


 カーブが甘く入ってきて、悠星はバットを振り抜いた。快音とともに、打球はショートの頭上を超えていく。

 左中間にバウンドして、悠々と二塁でストップした。


 一番打者の矢瀬昴が打席に向かう。

 一打逆転のチャンス。バッターは打率、打点、本塁打で今大会一位を独走している巨砲。


 明らかな敬遠のボール球が四球。矢瀬がパパッと一塁へと進塁した。

 予想通りの展開。さっきも九番、一番で得点を奪われたわけだし。

 あとは、先輩任せだ。頼むから打ってくれよ。剛は五番だし回ってくる前に結果が決まるだろう。延長でもなければ。


 二番バッターが、追い込まれてから、フォアボールとなり、満塁になった。

 三番バッターが、ファーストファウルフライに倒れる。

 球場のとどろきは、両者ともに激しく、どよめきの中で天使のラッパは奏でられる。燃えさかる火のような熱気のこだま


 四番打者は静かに息を吐いて、打席に立った。

 9回ツーアウト満塁、1点差。

 ドラマのような展開で、でも現実でも起こり得る劇。

 球場という名の劇場で、スポーツという競い合いで。

 観戦客から見おろされる中、ボールは一球一球と投げ込まれていく。ミットの音の衝撃が――。


 甲高い金属音が鋼の意思を白球にぶつけて、前進守備のレフトにライナーでとんでいく。

 ギリギリワンバウンドして、同点のランナーが帰り、満塁のまま試合が進む。


 剛が、二度豪快にスイングして、サヨナラか延長かの二者択一の場所に立つ。

 

 ボール球をスイングして、ワンストライク。

 もう相手ピッチャーはだいぶ疲れてきている。けれど、球速はまた上がり始めている。最後の最後だから。おそらく延長では交代になるだろう。

 チェンジアップにタイミングが合わず、崩れた体勢でツーストライクに。簡単に追い込まれてしまった。

 明央のピッチャーもいいピッチャーだ。一年生のバッターが容易に打てる球じゃない。

 一度、外角高めに大きくボールが抜ける。

 そして、ストレート高め。ストライクゾーン。

 剛のバットはぎりぎり下を擦った。


 内野のセカンドに大きなフライが上がる。

 雲の白から落ちてくるボールを、セカンドは丁寧に補給して、試合は延長戦になった。



 †††

  

 このまま逆転優勝という機運が潰れて、相手側のほうが盛り上がりを見せていた。

 3−3。延長10回。

 悠星が投げていく打者も2巡目となる。

 もう控えのピッチャーはいない。勝つまで投げ続けるしかない。

 

 悠星はマウンドで見やる。夏弥、那雪——。

 甲子園に連れて行く。ただ自分のために。

 

 コースをついたストレートが、大飛球になってライトに飛んでいく。ライトは後ろに下がりながらなんとかキャッチしてくれる。

 今のストレートの伸びだと強豪校は打ってくるか。

 剛のリードに従って、ボールを投げていく。ストレートから決め球のシンカー。三振に二人目を切って捨てる。

 次のバッターをチェンジアップを引っ掛けさせて、ショートゴロ。


「まだまだ打たれそうにはないな」

「さっきの回に決めてくれるとありがたかったよ」

「見てろ。次の打席は打つ」


 次の打順が回ってくる前に決めきりたいんだが。

 剛とベンチに帰って、六番打者からの打順。

 空から徐々に光の照明が照り出していた。薄暗かった球場は、色彩を帯びてきた。

 空は青さを、土は黒さを、芝生は緑を。

 色づいて、空が開けて、たまっていった熱気は風を受けて舞い上がる。


 ピッチャーの交代はない。

 明央はエースとともに完全燃焼をしきるようだ。

 真剣な眼差しで、バッターと対峙し、気迫の闘魂で香星打線を抑え込んだ。エースの意地で、十回は無得点。


 十一回のマウンド。照りつけてきた太陽が、一番熱い光を与えてくれる。蒸し暑さが汗を消してくれない。ユニフォームは汗で一杯だ。指先の汗をズボンで拭く。

 香星の一年生はまだランナーを出していない。前回の試合は完全試合。打ち崩すイメージは明王にもわいていない。

 だから。


 初球、セーフティバント。

 サードに意表をついた球が転がる。

 もたついて、少し遅れてファーストへ。

 セーフ。


 初のランナーか。

 悠星は、嫌な予感がした。そう、もう一回。同じように——。

 悠星は大きく外す。

 バントの構え。送りバント。定石だ。

 相手はバットを引いて、ボール。

 牽制球を一度。タッチしてセーフ。

 ストレート。剛の要求通り、外角低め、際どい球。バントの構えだが、ボールはバットに当たらずにストライクとなった。

 

 次の球を投げた瞬間、ランナーはスタートを切った。そしてバントから構えを崩してバスターエンドランに。

 バットはシンカーの上を切って、からぶった。キャッチャーはセカンドへ送球。

 セーフの声を塁審が叫ぶ。余裕でセーフだった。


「タイムっ」


 マウンドに内野陣が集まる。

 

「なんだ」

「一発逆転だからな。声をかけておこうかと」

「タイムの無駄遣いだ。矢瀬が打ってくれるだろう。取られても」

「勝負してもらえたらな」


「好きにやれ。負けてもお前たちのせいじゃない」


 監督からの伝令が走ってきて素早くベンチに戻っていく。


「だそうだ」

「負けの責任なんか誰でもいいけど、負けられないな」

「大丈夫だ。悠星のボールは簡単には打たれない」


 野手が定位置に戻る。

 ノーアウトで得点圏にランナー。厳しい場面だ。


 スライダーで空振りにとって、すぐにワンアウトにする。

 ああ、暑い。

 光。

 つんざめく音にジリジリと皮膚を焼く光。ドロドロに溶けていきそうだ。全部が空間の音楽で、全体が一つの生き物のような。


 ミットの衝撃音。ストレート。153キロ。今日一だ。いや、前世も合わせて生涯一の球速だ。

 誰も止められない。そう思いたい。

 今年の甲子園の、夏への切符は、自分たちが握りたい。


 ストレートが、打ち返される。

 ピッチャー返し。グラブを素早く構えて、反射神経で無理やり捕球した。

 

「セカンッ!」


 振り替えって、送球。塁を出ていたランナーを挟んで、アウトにした。

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