第21話 音楽

 日曜。

 昼。午後練の間の長めの休憩中。

 テンポのいい明るい曲。よく聞いたことがある定番の――。

 吹奏楽部が個人練習でよく使っている新体育館の方。基本的に、体育館とは名ばかりの演奏場のようなものだ。演奏室や録音室、楽器の倉庫もある場所だ。筋トレルームもあるので、野球部も雨の日は使う。

 悠星は、音につられて、グラウンドから新体育館の方へと歩いていく。音は、体育館の外からだ。

 体育館の横側で屋根がある。野球部が雨の日の素振りで使っている場所だ。


「コンクールの曲じゃないな」

「暇なの」

「昼の休憩だよ」

「コンクールの時って、同じ曲ばかりで飽きるのよ。だから、別の曲で、息抜きするの」

「なんで外で吹いてるんだ」

「あら、外で吹く予定だからよ。それに、楽器を外で吹くのって、気持ちいいでしょう」

「秋羽は暴走族とかになりそうだな、男だったら」

「あんな繊細さのカケラもない音はイヤよ。だいたい、深夜に、うるさくて、何度、そのまま爆音でもならないか期待したか」


 事故を願うなよ。過激派だな。

 

「コンクールって、野球の応援と似てるのか」

「別物よ。応援はやりたがらない人もいるからね。応援って、やっぱり大きな音を出さないといけないし、クセになったら大変でしょ。野球のフォームも変なクセがつくと、直さないといけないでしょう」


 ドアスイングとか、肘投げとかだな。まあ、そこまで崩すことはないが、微妙な重心の移動や肘の上げ具合とかは気になるよなぁ。


「課題曲と自由曲で12分。なのに、応援はいつまで続くか分からない炎天下。嫌になる人もいるわよ」

「イライラしてる」

「よく分かってる。わたしが、コンクールより野球応援を優先するって言ったら、結構、文句言われてね」

「息抜きというか気晴らしか」

「まぁ、日程が被らなかったら、問題ないのよ」

「伏線か」


 キョトンとした目で、見つめて、数秒後、得心がいったようだ。


「……なるほど、死亡フラグね。完璧に討ち取った、と思ったら、キャッチャー後逸。逆転サヨナラ」

「おい、嫌な試合を思い出させるな」

「あれ、わたしには、いい思い出なのに」

「お兄ちゃん、三振してるけどな」

「振り逃げって、カッコイイ。最後まで全力で諦めない人って、ステキだと思わない」

「よし、俺のヘッドスライティングを見せてやるよ」

「ホームへの?」

「一塁だな」

「アウトでしょ、絶対」

「全力疾走だよ」


 秋羽が簡単そうにトランペットを吹く。

 甲子園の背景は音楽でもある。背景作曲。サウンドスケープがないと盛り上がらない。聖なる騒音の響きが、空間を作っている。夏祭りのような熱帯の音楽の香り。場外のライブの突き抜ける軍楽、戦の歌。倒せとか潰せとか過激すぎる言葉は使わないけど。

 最後は、試合終了のサイレンが、独特の哀愁ととともに、終わりを告げていく。音は高く、天へと消えていく。青空を引っ掻いて、雲に散る。

 音楽が波のように引いていく。


「そういえば、また幼馴染に甘えていたみたいね」

「・・・・・・まさか」

「わたし、耳がいいの」


 しれっとそう語るストーカー。壁に耳あり。地獄耳。


「すごい悪口言われている気がする」

「安心しろ。当たってる」

「よかった。想像通りで。勝利の女神は二股に厳しいかもね」

「負けていいのか」

「ううん、許さない。――でも、片方が好きなら簡単なのにね。もしくは、一人だけしか初めからいなかったら」

「秋羽、それは、ないんだ、絶対に」


 悠星は、静かに言った。そう、それだけはないんだ。 

 どんなに都合が良くても、二人が二人であることが、たとえ割り切れなくても。


「・・・・・・ちょっと、わたし、岩沢姉妹に、恋愛テクでも学んでこようかな」

「期待しても、何も出ないと思うぞ。邪魔したな」


 そろそろ、午後の練習だ。

 トランペット奏者に背をむける。


「県体の応援、準決勝からだからね。絶対に勝ち上がりなさいよね」

「はいはい」



†††



「梓と、何を話していたんだ」

「お兄ちゃんの落とし方だよ」

「平和な事だ」


 矢瀬が、スイングをする。

 次は、バッティングの練習だ。五箇所バッティングピッチャーが構えている。ボール避けのネットを運び終えて、一年生がキャッチャーの準備をしている。

 ピッチャー陣が先に打つので、悠星とバッテリーが一番先。矢瀬は、次の打順だから、トスバッティングをする予定だ。


「あいかわらず、いいフォームだな」

「理想には、まだ遠い。でも結局はタイミングだ。どんなにいいフォームのやつでも、ボールにタイミングがあって、芯を捉えることができないなら、無意味だ。そして、恋愛もタイミングが重要だ」

「ああ、分かってるよ。甲子園が終わってからだろ」

「そうだ」

「でも、勝利の女神は、前髪しかないかもしれない」

「そいつは、タイミングが悪かったんだよ。仕方ない。この街に、この時間、この学校、一緒にいることが、偶然だ。偶然、今がある」

「諦めろってことか」

「受け入れるしかない」

「受け入れられないことってないか」

「あるさ。だが、どうしようもないことなんだろう。おとなしくアウトを受け入れる。とりあえず、今、甲子園を目指せるなら、他は、後回しだ」

「矢瀬、もしも偶然の怪我で野球ができなくなったら——」

「その時は、潔く退場する、人生から。野球以外に、道はない。それくらい、分かってる」


 清々しいほどの野球バカ。

 悠星よりも、よっぽど野球に魅入られて、野球の神に愛されている。

 しなやかで完璧な動き。

 重心の移動、ブレない頭、引かれる腕、腰が周り、肘がたたまれて、鋭い風の音、手首が返される。


「聴きたくない音だ」

「味方だ」

「矢瀬、人生から退場はできないぞ。兄の役が待ってるから」

「必要なら果たして去るが。きっと、邪魔だろう」


 負担になりたくない。

 そういうことだ。

 そういうことが、一番分かる。


「野球はチーム戦だ」

「いい言葉だ」

「いい言葉だよな」


 バッティングをしに行く。

 少しホームラン狙いの、長打の——。

 飛んでいくボールが心地いい。白球は、空中にある時が一番綺麗だと思う。

 ホームランに盛り上がる。夏の花火に盛り上がる。爆発する音が空中にコダマする。連続する快音。守備がフライを取っていく。

 

 

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