第13話 喫茶店と朝練
喫茶店に行くと、珍しく那雪がウエイトレスをしていた。店の手伝いをしている那雪を見ると、矛盾する言葉のようだが、未来の光景と既視感がある。年齢が違っても、雰囲気は変わらない。
那雪は、人見知りでも、店員の受け答えとかは、自然とできていた。
「那雪、お姉ちゃんだよ」
「暑い」
「那雪を温めている」
「ごめんなさい。すぐに案内するので」
那雪が、姉の夏弥を押しのけて、悠星をテーブル席に案内する。
現在は、少し昼時からズレているので、他の客はいないようだ。
「な、なに、になさいますか」
「えっと、カレーライスを。あと食後のコーヒーで」
「はい。少々お待ちください」
パタパタと、那雪は母の波美さんの元に向かった。夏弥は、一度部屋に戻るようで、喫茶店奥の階段をあがっていった。
喫茶店にあるマンガ誌を読んで——先の展開も知っているのに——時間を潰していると、カレーライスが運ばれてきた。
「カレーライスになります」
「ありがと」
出した後も動かない那雪。
僕は、横でじっと止まっているのを気にしながらも、カレーを食べた。
食べたとき、悠星は、自分がなぜカレーライスを頼んだのか分かった。あんまり、ここで頼んだ記憶もないのに。麺類を多く食べていたのを憶えている。でも、那雪と一緒に喫茶店をやっていたときは、那雪はよくカレーを作っていた。その場で作らなくていい料理だから、朝に準備してくれていた。ずいぶん凝り性だった。今、食べているのは、オーソドックスだけど、那雪の料理の味がする。
「おいしい。那雪が作ったの」
「うん」
「――こら、妹を口説くな」
さっき降りてきたのか、夏弥がテーブルの対面に座りながら言う。
「あ、那雪。わたしも同じのでお願い」
「お姉ちゃん、朝も食べた」
あきれたように言って、那雪は、カレーライスを再び運んでくる。もう沸騰し直しているから早い。ご飯をよそって、かけるだけ。あとは、付け合わせのサラダ。
配膳されているとき、夏弥が壁の一部を指さす。
「ほら、あれ。那雪が描いたの」
「ちょっと、お姉ちゃん」
思いがけなく言われせいか、はっとした那雪があたふたしている。それは、喫茶店に飾られた小さな絵だった。柔らかく繊細なイラスト。背景の描き込みが細やかで——増築していく異文化がねじり合った建物が天空に伸びていくのを、見上げる少女。ファンタジックで透明感のある絵で、普通にイラストとして売れるレベルに思える。
那雪は、この時期で、これだけのものが描けたのか。
たぶん、普通に見逃していたんだろうな。
波美さんが、どこかで買ってきて飾っていると思ってたか。そもそも興味がなかったか。絵心なんて、全くなかったから。
「上手だね」
だから、こういう感想しか言ってあげられない。歯がゆいけど――。
緊張しているのか、少し硬い表情をしていた那雪。
その那雪の表情が柔らかくなる。すぐに照れているのか、顔を少し伏せる。悠星は、座っているから、角度的に顔が染まっているのが分かる。
「天才でしょ」
「なんで、那雪より夏弥が嬉しそうなんだよ」
「・・・・・・まだまだ、だから」
「だって。褒め殺しは良くない」
「美術部のレベルは分からないけど、わたしにとっては、十分すぎるほど上手いから」
「そうだな」
那雪は、恥ずかしさが溜まりすぎたのか、カウンターの方に走っていった。
「うちの妹が可愛すぎる」
「俺の幼馴染が、シスコンすぎる」
「真似しないでよ」
「カレー真似しただろう」
「残念。わたしは、朝に食べてまーす」
話をしすぎて少し冷めてきたカレーを食べ直す。
やっぱり、那雪が作った味だ。でも、記憶の中の方がもっと上手で――。
「なぁ、夏弥。やっぱり努力だよな。才能じゃなくて」
「那雪は、努力家だよ。それでも、天才でもあるよ」
絵に視線を向けながら、夏弥は、つぶやいた。
天才か――。
†††
週が明けて、また学校だ。
繰り返す日々。授業の前に、矢瀬と朝練をしていた。
ランニングをする前に、ストレッチをする。身体を温めるために動的ストレッチ。身体を痛めないためのルーティンワーク。
「おい、天才」
「なんだ」
こっちの天才は、可愛げは、全くないな。
今度の日曜日は、高校で初めての練習試合だ。
「その自信を分けて欲しいものだ」
「なに言ってんだ」
「俺に、才能があると思うか」
「なんだ、気持ち悪い。お前に才能がなければ、俺はこの学校に来ていない」
「いや、結構、努力してきたんだが」
「不意に、シンカーを投げれるようになったんだろう」
「――たしかに」
「結果は、数字に出る。野球のいいところだ」
「そうだな」
容赦のない数字が、防御率、打率、本塁打数、四球、長打率――ほとんど何でも出そろう。そして、トーナメントの敗退も勝利も。冷たい方程式。
「まぁ、でも俺に才能はあるだろうよ。親も野球部で、いいところまでいった。それぐらいだ。あとは、ただ毎日の練習だよ、結局。怠るなよ」
「言われなくても」
悠星は、自分のアドバンテージが、所詮、仮初めだと分かっている。努力をしないと、すべてが崩れ落ちることも。やりすぎると、壊れてしまうことも。
「練習試合、勝とうな」
これで、本当に、どれだけ自分が高校生相手に通じるか分かる。同じ部内の紅白戦では、まだ分からない。本気度がどうしても違うから。悠聖にとって、これが、やっと自分を測る指標になる。十分に自信はある。抑えられるという自信が――。だけど、どこかに不安もあった。大学中も先発で投げたわけじゃない。プロも、結局、外野手だった。
身体が万全でも、果たして、本当に――。
俺は、投手として――。
「不安なのか」
「自信過剰の誰かさんよりは、繊細なんだよ」
「安心しろ。三点までなら、取り返してやる」
「三点取られるのかよ」
「最悪はな、たまに振り切れてないからな」
香星高校は、地元の選手ばかりだから、甲子園に行けるときは、僅差の勝負だ。守備力が堅実で、それに良い投手がいたときに、行くことが多い。優秀なバッターが何人も集まることはほぼないし、バッティングを鍛えるような道具も少ないから。自ずと、守備力とランが
甲子園で得点をあげる明央打線と違って、貧弱な打線だ。
悠星の記憶にも、5点を取れた試合なんて、ほぼなかった。今回は、どうなんだろう。
「自信を持て。自信は大事だ。――期待している。もっと球威がいるが。まだボールが軽い」
「・・・・・・おい、自信を枯らさせようとしてないか」
「伸びしろだ。口より、脚を動かせ。ランニングだ」
ストレッチを終えて、さっさと先にスタートしていく。
ストイック野郎っ。
矢瀬昴を追いかける。
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