第4話 元彼とライバルと変化
「断っておいてくれ」と、夏弥には言ったが、さすがに、自分で行かないといけないか。悠星は、学校から少し遠くの公園にいた。待っていると言われた場所と時間。
公園の坂道をあがって、屋根付きの休憩所から、街を見ていた。
秋羽梓、容姿が整っていて、ロングの黒い髪が似合う大人っぽい少女。吹奏楽部に入っている優等生。過去付き合っていたとはいえ、クラスメイトでも知っているような情報しか知らない。
「来てくれて、ありがとう」
後ろから声をかけられる。秋羽梓。
この恋は、終わる。枯れることが決まっている。
だから、関わることはない。
無駄な時間は過ごせない。
少しの沈黙。
さっさと断ろうと悠星は口を開きかけた。
「なんで、本気で投げなかったの」
彼女の目つきは鋭くて、そんな表情を向けられた記憶は無かった。
「地方大会、最後の球。それに最近の練習。全然、違う」
彼女が怒っているのが分かった。
手紙は、ラブレターではなかったことに気づく。
戻ってくる前と違って。
「どうして、投げなかったの」
「・・・・・・ぐ、偶然」
「そんなわけない。最後の変化球。そんな付け焼き刃のボールじゃなかったはず」
「それが、何か、君に関係あるのか」
「ある。――わたしは、甲子園の球場で、演奏したいから」
秋羽は、はっきりと答える。
「えっと・・・・・・」
吹奏楽は、炎天下で吹きたいものなのだろうか。文化系運動部と言われるのは知っているけど。コンクールとかで、ホールをメインに考えているのが、普通じゃないのか。まだチア部やダンス部の方が分かりやすい。
「いえ、いい。やっぱり、わたしのことは。ただ問題は、明央学園か香星高校か、どちらが甲子園に行くのかだけ」
県内の二つの強豪校。甲子園の常連は、明央学園。
確実に目指すならば、県内外から才能をかき集める明央だろう。少年野球から有名だった選手が集まる。出場数30回以上を数えているはず。
もう一つ、香星高校も、野球部は優秀だが、出場数は15回前後。少し劣る。年によって、バラツキのある高校。県内の人で、ほとんどが構成されているためだ。
「来年、あなたは、香星高校」
「ああ」
「明央には」
「行かないな」
夏弥が、香星に行くなら、香星しかない。
たとえ、どこの誰にスカウトされても、何を積まれても。
「おまえら、何、話してんだ」
ふいに、声をかけられて、振り向く。
真後ろに、矢瀬昴がいた。
剛と同じく、もう中学生離れしていて、しかも、ガッシリとしている。肩幅もあり、腕の筋肉も相当鍛えてある。
「妹に呼ばれて来てみれば、なんだ、こいつと付き合うのか」
「そ、そんなわけないでしょ。ただお兄ちゃんが、気にしてい――」
妹。
秋羽は、矢瀬の妹だったのか。
悠星にとっては、十年越しの事実だった。けれど、そこまで、秋羽の思い出がないから、驚きも少ない。名字が違うのは、何か事情があるのだろう。もう、そんなことに突っ込むほど、子供でもない。
「ああ、そうか。あれは、やられた。まさか、変化球が来ると思ってなくてな。決め球は直球だと思っていた。――桜井、ちょっと勝負しないか」
「勝負?」
「簡単な勝負だ。一打席。俺に投げてくれたらいい。それで決める」
「決めるって?」
「明央に行くか、香星に行くか。どっちが甲子園に近いか」
†††
「俺は、パシリかなにかか」
「悪いって。今度、昼飯おごるから」
キャッチボールをしながら、剛のぼやきを聞く。
急遽、剛にケータイで連絡を取って、来てもらった。剛の自宅は、学校の近くだ。そして、ちょうど学校のグラウンドは、テスト期間で、ほとんど使われていない。
肩を温めたあと、剛は、キャッチャー防具を着ける。
そして、マウンドに集まる。
悠星と剛と矢瀬。
「なんで、こんなことになってんだ」
「妹さんと付き合う前に、兄を超えていけだって」
「なに、言ってるの」
ベンチ付近から秋羽の声。よく響く声だ。
「聞こえるのか。耳がいいな」
「吹奏楽部だから」
楽器を弾けば、耳が良くなるものなのか。遠くの音を聞く能力とは、別じゃないのか。無駄な思考をやめて、悠星は、矢瀬に条件を確かめる。
「ボールは硬式。一打席勝負。ヒット性かフォアボールなら、矢瀬の勝ち。三振やフライ・ゴロだったら、俺らの勝ちでいいな」
「ああ。もう硬式も打ち慣れてきているから、大丈夫だ」
「一打席でいいのか」
「おまえの実力が分かればな」
悠星は、マウンドに残り、矢瀬はバッターボックスへ。そして、キャッチャーの位置に、剛が座る。
18.44m。マウンドからホームまでの距離。60フィート6インチという過去の勘違いから生まれた絶妙な距離。
悠星は、振りかぶって、シンカーを投げる。
矢瀬のバッドがボールを上をかすって、ファールボールが後ろに転がる。
そのあと、外角に低めにストレート。
矢瀬のバッドがボールの下を切って、ツーストライク。
スイング音が、風を切って、うなった。
「ふぅ」
矢瀬が息を吐く。
ヘルメットを一度触って、バットを回して、構え直す。
剛からのサインに一度首を振る。
そして、三球目。
外角に外れるスライダー。
踏み込む音。
外角から内に入ってくるボールが快音とともにファールゾーンに豪快に飛んでいった。
「おーい、誰が取りに行くんだよ」
「もう一球あるぞ」
剛がポケットからボールを投げる。
悠星は、ボールを受ける。
そして、感触を確かめる。問題ない。
振りかぶって、次の球を投げる。
ストレート。
高めのボール球。
「剛っ」
「なんだ」
「タイム。こっちこい」
キャッチャーマスクを外して、剛がこちらに駆けてくる。
少し面倒そうにしている。たかが一打席。
しかも、ピッチャーからのタイム。
「あれで討ち取ろう」
「あれって、あれか」
「ああ」
「あんま落ちなかっただろう」
「それでも初見だったら打てない」
「・・・・・・そんなんでいいのかよ。ピッチャーだろ。フォームもいいし、制球もいい。以前より格段に。でも、悠星。おまえ、おきにいってるだろ」
「そ、そんなわけ・・・・・・」
悠星にも思い当たる
全力を出したら、何もかもがハジけてしまいそうで。ボロボロと崩れおちていきそうで。砕け散ってしまう恐怖。
「信じろ。俺は捕れる」
的外れなことを言う剛。
別に、キャッチャーの力不足で抑えているわけじゃない。
サイン無視のシンカーを捕れなかったのは、仕方ないことだ。
「長いぞ、おまえら」
「ああ。悪い。剛、ストレートだ」
矢瀬に答えたあと、剛にだけ届くように言う。
そうだ。
今、ストレートで抑えられないなら、どのみち通用しない。
それに逃げ腰のピッチャーなんて、俺も嫌だ。見たくない。
「さぁ、来い」
構える。
中学生とは思えない覇気。さすがは、いずれ三冠王を取る男だ。
でも、今は、まだ――、俺の方が――。
悠星は、振りかぶる。
ストレート。コントロールはしない。ど真ん中に投げるつもりで。
軸足から体重が移動していく。十分に溜めたエネルギーが動いていく。肩が回り、連動して腕がしなっていく。
指先から力強くボールがリリースされる。
直後、矢瀬のバッドも動く。タイミングはあってそうだ。
捉えられる。まさか――。
ミットの快音はならない。
けれど、バッドの音も。
ボールはキャッチャーのミットの先にあたったあと、こぼれていた。
バッドは、ボールの下を振っていたようだ。
「いいストレートだ。――梓。香星高校に行く」
剛・・・・・・。
かっこつけるなら、ちゃんと捕れよ。
それから。
「矢瀬、負けたんだから、ファールボール任せた」
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