第3話 調整と自主練習と元カノ

 試合が終わった次の日。月曜日。

 中学生の授業を淡々と受けた。授業は簡単すぎるほど簡単で、興味はなかった。

 ただ学生の義務として、席について、時間を浪費していく。

 そして、放課後。

 あらかじめ、ケータイで連絡を入れて、剛に、投球練習をお願いしていた。通常は、試合後の次の日は練習休みだから。


「珍しいな」

「そうか。早く硬球になれておきたいからな」

「いうて、一ヶ月もかからないだろう。三日で慣れるやつもいるらしいし」

「ただ投げたいんだ」

「いいけどさ。あんまり投げすぎるなよ」

「ああ、軽く、キャッチボールだ」


 中学の後輩たちも、自主練をしていた。試合に出てないし、応援だけでフラストレーションが溜まっているのだろう。挨拶をされて、それに、挨拶を返した。

 自主練だからジャージ姿だ。わざわざ練習用のユニフォームを出すことはない。

 ネットの奥にあるブルペンに向かう。横には、バスケットコートがある。体育館が建てられてから、まず使われないコートだ。


 軽くキャッチボールをして、肩を温める。

 悠星は、調子がいいのが分かる。ほんとうに、ここ十年ほどは味わっていない完全に健康な身体。慢性痛のない身体は、動くことの喜びを感じさせる。動くことは、こんなにも気持ちのいいことだったんだ。


「座ってくれ」

「キャッチボールだろう」

「数球でいい」

「はいはい」


 悠星は、振りかぶった。今の自分だったら、どれくらいのボールを投げられるだろうか。フォームもかなり良くなってるし、指先の感覚も全然違う。身体への意識が、鋭くなっている。全身が連動していく。脚から、腰へ、肩へ、肘へ、手へ、そして、指先の先の先へ。


ドンッ。


「は?」

「うしっ」


 渾身のストレート。全く打たれる気がしない。

 ただ球速はやはり、まだ中学生の身体だ。あと、最低10キロは欲しい。


「タイム」


 剛は、無駄な言葉を言ってから、こちらに近づいてくる。

 

「なんだ、これ」

「ストレートだよ」

「ここまで速くなかっただろ」

「投げれると思って。それに速いほうがいいだろう」

「もう一回、投げてみろ」

 

 ズバンッ。

 快音が響く。

 野球部の声のないグラウンドに、大きなミットの音。

 後輩たちが、目が覚めたように、こちらを見ている。練習をやめて、悠星たちのピッチングに見入っていた。

 ひとしきり、投球練習を終えると、剛が声をかけてくる。


「まるで別人だな」

「硬球だからだろ」

「フォームが全然、今までと違う。それに、ストレートの伸びもコントロールも」

「コツがわかったんだ」

「そんな単純なものか」


 身体のことだ。ある程度、才能や感覚でごまかせる。

 本当は、練習とリハビリと、今までの経験の集大成をぶつけているとしても。

 途方もないアドバンテージを生み出す、一万時間以上の蓄積。数えたこともないが。才能は運動神経がいいぐらいで、高校球児の並だったとしても。今は、壊れなかった努力を引き連れている。


「剛。甲子園に、行く。絶対に」

「・・・・・・なに、思い詰めているんだ。まだ、高一でもないのに。――でも、おまえは、行けると思う。悠星――、俺、おまえのキャッチャーでいていいんだろうか」

「ああ、俺のキャッチャーは、剛しかいない」

「そうか」


 もっと練習しないと。

 まだまだフォームも調整がいる。

 中学生の身体だ。意識と、すこしのズレが気になる。強豪校の三年生相手には、致命的になる。

 まぁ、今日は、もう休むか。明日、そして、明後日。

 まだ時間はある。



 †††


三年生は地方大会を終えて、一週間後の後輩との紅白戦で一応の引退だが、グラウンドの端を何度か貸してもらえた。受験勉強もあるが、そこまで成績も悪くないし、問題はなかった。


「聞いたよ。覚醒したんだって」


 昼休みの教室に来た夏弥は、剛から、聞きつけたのか、そう言った。


「してないよ」

「めんどくさがってる」


 悠星は、少し夏弥との距離を掴みかねていた。今までの想いがあふれてきそうで、極力、距離を置くようにしていた。中学の頃、そこまで多く会話した記憶はなかった、特に学校内では。高校のときに、なぜか野球部のマネージャーになってから話す機会が格段に増えたはずだ。


「これこれ」


 唐突に、夏弥は、手紙を置く。

 なんだこれ、置かれた手紙を、いぶかしげに見つめる。


「ラ・ブ・レ・タ」


 顔を耳元に近づけて、夏弥は言った。

 そして、クスクスと笑う。

 冗談か。

 本当に心臓に悪い。一瞬ドキッとした。

 夏弥からのラブレターをもらった記憶なんてない。

 

「顔、真っ赤。悠星、なんで、そんな赤くなってるの」


 笑っている夏弥を見て、悠星は思い出す。

 たしか、中三の最後あたりに、付き合っていた憶えがあった。

 名前は、秋羽梓あきはあずさ

 デートを三回ぐらいして、自然消滅しただけの関係だった。高校も別で、そのあとは、全く知らない。


「断っておいてくれ」

「中も見ないの」

「いいよ」

「え~。きっと気が変わるよ。誰からのかぐらい、聞いたら」

「俺が好きなのは、夏弥と那雪だけだから」

 

 いたずらの仕返しをすると、夏弥は、ボッと顔を赤面させる。

 固まって、立ち尽くしたあと――。


「バカっ。しかも、二股。まぁ、手紙渡したから、よろしく。全く、お姉さんを口説くものじゃないぞ」

「お姉さんって。一ヶ月も誕生日違わないのに」

「先に生まれた方が勝ち」

「今度、那雪にいじめられてないか、訊いておこう」

「那雪に、ツバをかけないでね。青田買い禁止、ロリコン」


 そんな言葉を言い残して、クラスを出て行くな、と悠星は思いながらも、楽しそうにしている夏弥に、生きている感触に、他のことはどうでもいいように感じていた。

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