第2話 睡眠と起床と妹
中学の地方大会から自転車で帰宅した。
今年の大会は、県内だったから、自転車で来ていた。
自宅には、両親が普通にいる。あまり応援に来たりする親ではなかった。当時の悠星も応援されるのが恥ずかしい思春期だったから良かった。さすがに、高校野球の地方大会は見に来ていたことは憶えている。
「服を出して、さっさとシャワーを浴びなさい」
母の言葉を聞きながら、脱衣所に向かって、悠聖は服を脱いでいく。
脱衣所の鏡で、自分の身体を見る。鍛え抜かれていない、まだまだ発展途上の肉体。まだ一カ所も失っていない、どこも故障していない綺麗で健康な肉体。
悠星は、右肘を触る。押しても痛くはないし、どう曲げても違和感はない。脚は、自転車で帰ったから、全く正常に動くことが分かっている。
「おまえは、本当に、戻ってきたのか」
鏡の前の幼さの残る自分に自問する。
現実感が、湧かない。
だって、自分は、ただコーヒーを淹れているだけだったはず。那雪と喫茶店を経営していて、もうすぐ三十歳も近い年齢だったのに。
とにかく、悠星は、自分の姿を何度も確認する。まるでナルシストのようだが、怪我をしていた身としては、身体の全身が気になる。どこにも本当に違和感がないか。
異常がないか、あらかた見終えて、浴室に行き、シャワーを浴びる。服の隙間から入ってきている小さな砂が落ちる。さっきの試合ではスライディングをしていないから、そこまで砂まみれではなかったが。
「鍛えないとな」
自分の鍛えがいのある身体。まだまだ引き締める余地がありすぎる。この時期は、まだ食べるものから練習から全然考えていなかった。勝手に食べて、勝手に運動して、勝手に育っていった。それに、今の自分から考えると、怠けていた。ストレッチもそこそこだし、身体への気遣いも甘かった。
温かいシャワーを、最後に冷水にして浴びて、浴室を出た。
自分の部屋に戻る。
中学の頃の自分の部屋。今見ると、無駄で、意味不明なガラクタもある。当然、懐かしくさも感じるが。悠星は、本棚に置いてあるロボットのプラモデルを触る。これを妹が触って。小さな頭の部品が折れてしまって、怒ったことがあった。なんでもないことなのになぁ。
週刊のマンガ雑誌が床に積み重なっていた。あとは、ファッション誌も数冊。全然読んだ記憶がない。年月日を確認すると、やはり過去か。自転車で帰っているときもケータイ電話を使っている人ばかりで、スマホを使っている人もいなかったし。
「まぁ、でも、まずは寝るか」
ぐだぐだ考えても、何も始まらないし。
寝て、起きたら、またコーヒーを入れている最中というオチかもしれないけど、身体が重すぎる。さすがに一試合終えたあとだ。眠たくて仕方ない。夕飯を食べるのは、あとでいい。とにかく、寝てしまおう。
ベッドに倒れる。
疲れから、悠星はすんなりと眠りについた。
†††
天井の色は、いつもと違った色だったけど――。
「知ってる天井だ」
ライトをつけっぱなしにしていたことに、今更に気づく。時刻は21時。ぐっすりと眠っていたようだ。枕元にあった軟式ボールを手に取る。手首のスナップだけで上に放る。おもったより軽く、天井にぶつかってしまうが、左手で取り直す。
中学三年の夏か。
もし本当に過去に戻ってきているのならば、もう一度のチャンスどころか、三度のチャンスを得たことになる。それに、今の自分の身体の感覚は、以前の中学の頃の自分ではない。リハビリ後にプロの二軍に行った自分だ。大学でも、もう先発ではなかったが、リリーフで何度か投げていた自分だ。
硬式ボール、どこかにあったか。
悠星は、起き上がって、部屋の中を探す。机の上に置いてあったボールを取る。もう何度も握ってきたボールだ。かなりしっくりくる。
投げたくて仕方なかったが、まだ夜で、一試合投げたばかりだ。
グラブの軟式ボールと硬式ボールを入れ替えてから、リビングへと行った。
「あら、起きたのね」
「母さん、ご飯ある」
「はいはい」
空腹感が激しかった。さすがは、中学生。成長期の胃袋だ。
匂いからして、夕飯はカレーだろう。
「お兄ちゃん、負けたんだって」
妹の
「ああ、負けた。負けた。見事に」
「お兄ちゃんって、肝心なときに弱いもんね」
「安心しろ。本番は、高校だから」
「あ、そうだ。ーー甲子園に私を連れてって」
どこかの有名なマンガから切り取ったかのようなセリフを吐く妹。
全く甲子園に興味もないはずなのに。テレビでも甲子園を見ていた記憶がない。
「ものの
「こういうセリフは、誰かに言われておかないとね。バレンタインのチョコも妹からのを換算していいんだよ」
人の話を聞いているだが、聞きながら無視しているのか。
いいけどな。妹らしいし。こんな妹が、将来は小学校の教師なのが意外すぎる。
「それで、最後は、どうして負けたの」
「パスボール」
「え、暴投したの、かっこワル」
「捕れるボールだったよ」
「暴投したピッチャーは、みんなそう言うんですよ」
エセ探偵のようなことを言う。
犯人は、俺ではない。俺はやってない。
悠星は、暖められたカレーライスを食卓で食べ始めた。
コマーシャルがあけて、妹のチヤは、ドラマに戻る。
このドラマ、おぼろげだけど見覚えがある。どんでん返しで、当時ヒットしていた。
「そのドラマ、犯人は、その男だよ」
「何言ってるの。見てないでしょ」
チヤは、テレビを見たまま、興味なさげに答えた。
これは、当たっていても、チヤは忘れているだろうな。
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